「カトリック教会が本来の道に戻るべきとき」

 

                           秋山 晉一郎
                           「ヴァチカンの道」第32号(Aug.15.2000)

ラテン語・グレゴリオ聖歌を主とするカトリック・アクション同志会主催の司教ミサは、記念すべき大聖年の今年10周年を迎える。私は、1991年の第1回目からずっと、この司教ミサの準備、ミサレットの編集、聖歌隊の指揮という責任ある、かつ栄誉ある務めを果たすお恵みをいただいた。当初は参列者の数が300人程度であったものが、昨年は800人、聖歌隊を含めれば900人にもなった。このことは、今の日本のカトリック教会の信徒のなかに、このような伝統を重んじる荘厳な典礼も欠かせないと考える人の多いことを実証しているのではないだろうか。

ところで私は、小教区で長年にわたって聖歌隊の隊長を務めてきた。今のK教会では20年にもなる。最近の6年間は、「聖歌隊をつぶすよう司教様から任命されてきた。聖歌隊がなくてもミサはできる」と、とんでもないことを公言する主任司祭が来て、聖歌隊と一切の話し合いを拒否したため、ずっとにらみ合いが続いた。この主任司祭は「司教様から全権を委任されてきた」と豪語した上で、聖歌隊のみならず、教会委員長、侍者のリーダー、教会報の担当者など、長く献身的に奉仕し続けた人々をすべて辞めさせ、自分に擦り寄る人にその仕事を任せようとしたため、信徒のなかに修復不可能な亀裂が生じてしまった。私は逆にこのような状況下で隊長を下りるに下りられなくなった。信徒の意見を大切にしない高圧的な態度、説教の手抜きなど典礼を悉く事務的に運ぼうとしたことで、ミサに来る人は従前の3分の1以下に減った。最近の異動で、新しく来た主任司祭は前任者の残した傷痕に心を痛め、我々聖歌隊と積極的に話すようにするなど、やっと改善の兆しが見えてきた。と同時によその教会に避難していた人々が少しずつ戻ってきた。私は、新しい主任司祭が来たのだから聖歌隊も新しい体制で臨む方がよいと考え、6月末に隊長を交代した。私は新しい主任司祭から20年間を振り返って、教会報に意見を載せたらどうか、と勧められたので、遠慮なく書かせてもらった。以下は、その導入部を除いた全文である。

   さてこの間、私がずっと懸念し、模索しつづけてきたことについて、皆さんにもぜひ考えていただきたいことがあります。単純な例を示します。私たちのカトリック教会の隣にお寺があるとします。前の通りの向かい側にはプロテスタントの教会、やはりその隣に神社があります。お寺と神社の間にはあまり争いはありません。プロテスタントとカトリックの間では昔から神学論争があり、この点ではどちらかといえば対立関係にあります。しかし第二バチカン公会議以降、世界のキリスト教会の各宗派は、福音を広めて地上に平和をもたらすためにお互いに協力し合うことを誓って、いずれは一致することを目指すようになりました。日本でもプロテスタント教会を、「一時期別れていた兄弟」との認識が深まってきました。

   ところで前の通りは人通りが多く、ほとんどは無宗教の人達です。特に若い人は決まった宗教を持たない人が殆どですが、法事があればお寺に、子供が生まれれば神社に、結婚式には教会か神社に行くといったことは習慣として認識されているようです。しかし人間は、時として、何か宗教的な救いを求めることがあります。そんなとき、日曜日に教会の前を通りかかったとします。ちょっと覗いてみようかという気にもなるでしょう。礼拝やミサの始まりを告げる鐘の音はそのような人にとって特別な響きを持ちます。つづいて信徒が歌う聖歌が外の道にも聞こえてきます。カトリックとプロテスタントの違いなど分かる筈がありません。プロテスタントの教会から流れてくる美しい賛美歌のメロディーは、「ああ、あの歌だ」という具合に日本人の古くからの教会のイメージと一致しますが、カトリック教会からの典礼聖歌は、残念ながら一般にはこなれていないメロディーに聞こえるようです。特にクリスマスには教会であの懐かしいキャロルの数々が聞けると期待して足を向けても、現在のカトリック教会ではキャロルやラテン語聖歌が載っているカトリック聖歌集を廃棄する傾向にあり、典礼聖歌集にはキャロルは一曲も載っていません。人々は自然にプロテスタントの教会に吸い込まれていきます。私たちカトリック教会はこれをただ黙って見ていられるでしょうか。人がどちらに行こうと所詮は同じキリストの福音に与かるのだからあえて気にしない、という態度をとるのでしょうか。

   以前は、見た目にもはっきりした違いがありました。カトリック教会の聖堂に入ると祭壇の奥にご聖体が聖櫃に安置され、その上に赤いランプが灯されています。白いベールを被った女性の信徒や修道服のシスターが跪いて静かに祈る敬虔な姿があります。ミサが始まれば一千年の伝統を彷彿とさせるグレゴリオ聖歌、バッハやシューベルトなどの曲に由来する聖歌が聖堂を満たします。マリア様のご像が大きく飾られ、マリア様への信心の深さが感じられます。まさに「神の家」に来ているとの思いで身が引き締まるのです。ミサ典礼の荘厳さと美しい音楽、これがカトリック教会としてのイメージであったのです。

   昨今はどうでしょうか。聖櫃を香部屋に移した教会が出てきました。女性がベールを被るのは古来の習慣ですが、いつの間にか東京では見られなくなりました。大阪ではまだ多くのベールの姿があります。跪き台は撤去してしまいプロテスタントと変わりがなくなってきました。新しい典礼聖歌はミサの主旨には合っているといっても、そのメロディーや歌詞は歴史的な淘汰を経ていないので、聖歌として洗練されたものとは言えないでしょう。特に口語文の歌詞は分かりやすい反面、余りにも日常的かつ説明的で典礼に必須の荘厳性に欠ける嫌いがあります。

   この風潮を放置した場合、日本のカトリック教会はどうなってしまうのだろうか。心ある聖職者、信徒は私と同様の不安を持っているのではないだろうか。誰かが声をあげて正しい方向を示すべきではないのか。そんな思いでこの20年間、私なりに奮闘してきたのです。

   新しく来られた主任神父様が真先に示された目標、「この聖堂を人々で一杯にしたい!」は、私たち聖歌隊の願いと一致しており、この目標実現のために、私たち聖歌隊は上に述べたカトリック教会としてのアイデンティティーを明確にした上で、誠心誠意お役に立ちたいと考えています。

さて6月のローマ教皇による日本の司教人事について、私は日本のカトリック教会の将来を左右する画期的な出来事と評価する。数年前、私たちの司教ミサを東京カテドラル以外でやってくれと、聖堂の予約に際し嫌がらせをした神父がいたが、その神父はその前年、当司教ミサの式長を務めたのだから、俄には信じられない話である。その周囲にいて当会の主催する司教ミサの存続を認めたくない高位聖職者の意向が働いていたことがうかがえる。小教区の聖歌隊を潰してこいという信じられない指示をすることとも通じるものがある。小教区にとって主任司祭が交代するたびに180度方針が変わることは本来あってはならないことである。96年末に出された東京教区長(白柳枢機卿)の「小教区共同体における典礼に関する司牧指針」で示された内容、すなわち、1)司祭は許可なくミサに新しい試みを加えてはならない、2)司祭交代で信徒が戸惑うことのないよう司祭間の連携を蜜にすること、3)古い聖歌を慕う人と新しい典礼聖歌しか知らない人が互いに裁くことなく認め合うこと、これらはその後東京教区内において無視されつづけている。司祭の人事権を握る高位聖職者の睨み故に面従腹背を余儀なくされていた心ある聖職者は大勢いる筈である。単にその高位聖職者の意向だけではない。そこまで影響力を浸透させた反カトリック集団のイデオロギー戦略の結果であったと考える。6月、この人事が発表された直後、私の教会には、カトリック新聞の宣伝員が来て、「司教も変わったことなので、この際ぜひカトリック新聞を講読してほしい」とPRした。カトリック教会の将来を憂うる人々にとって、これまで余りにも非常識で不可解な教会当局の決定を押しつけられてきたことを思うとき、今回の人事は日本のカトリック教会が正統信仰へ立ち返るために神様が与えてくださったチャンスと考えたい。少し時間はかかるだろうが、私たちはここでローマカトリック教会のアイデンティティーをもう一度はっきり認識して、熱病のように浮かされた急進的な改革一辺倒の人々を正しい道に戻すことを、声を大にして叫ぼうではないか。
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