幻想の中の日本人

朝 岡 昌 史

(「ヴァチカンの道」第 44号 Aug.15.2004掲載)

 イギリス人は歩きながら考える

 50年前、戦後のどさくさがまだ収まらぬ頃、文庫版で「ものの見方について」というベストセラーが出版されました。著者は笠信太郎氏、新聞社で論説主幹をされていた方です。長年の海外生活の体験を基にしたこの本は、海外への知識が殆んどなかった当時の日本人に幅広く愛読されたものです。
 「イギリス人は歩きながら考える」。この名文句は当時の流行語になった程です。同系の民族であるアメリカ人も同じ観念を持っていると考えて良いでしょう。
 そして「スペイン人は走ってから考える」。ラテン系民族ならなるほど解るような気がします。
 「フランス人は考えた後で走り出す」。ドイツ人も同類でした。フランス大革命はジャン・ジャック・ルソーなどの思想から出発したのですが、先に筋を通してじっくり考え、いったん走り出すともう止まらない。その後ジャコバン党の恐怖政治、一転してナポレオン時代へと暴走を続けました。
 この時イギリス人は一緒に走りませんでした。それだけでなくフランス人が血をもって獲得した自由と平等を、イギリス人が先取りして自国に花を咲かせました。 
 血相を変えて走ったウサギより歩いたカメの方が早かったのです。

 歩きながら考える、となれば平凡な易しい事柄に限ります。哲学や数学の難題に没頭していたら忽ち交通事故に遭ってしまう。常に周囲に気を配り足元の凹凸も見ながら、今夜のおかずは肉にしようか、魚にしようか等と思いを廻らす。
 つまり物事を固定した一点から見るのではなく、複数の方角から見ることにも通じます。富士山を観察する場合、田子の浦から、箱根から、河口湖から、朝霧高原からぐるっと廻りながら眺めれば各々が異なった姿に見える。それを頭の中で総合的に組み立てると、かなり正確に富士山の実像が分かってきます。
 では、日本人の行動様式を「歩きながら・・・」流に言うとどうなるでしょう。著者は台湾の作家 林悟堂氏の言葉を引用します。氏は日本人を「夢みる人」として中国人の実利的な性格と比較対照しています。日本人は欧米人に比べても遥かに多く幻想の中に生きている民族だ、と指摘しています。
 それはそれで日本の長所でもありましょう。善悪の問題ではない。
 但し、この幻想を政治、歴史、経済、科学などにに持ち込んだら非常にまずい事になる。私自身、今まで持っていた知識に誤った幻想が多かったことに気付き 恥ずかしい体験をしました。

 幻想を覚ましてくれたギリシャ旅行

 歴史の教科書や原色のカレンダーなどでしばしばお目にかかるギリシャ風景。紺青のエーゲ海を背景にした丘の上に気高くもたたずむ聖なる神殿の遺構。白亜の大理石のまばゆいばかりの輝き。これこそギリシャのイメージそのものです。
 私はギリシャの神殿の石材が全て純白の大理石で造られているものと、今まで信じ込んでいました。ギリシャの山を掘れば無尽蔵に大理石が出てくるものと思っていた。
 ところが一年前、ギリシャへ旅行してこの幻想は跡形も無く崩れ去りました。神殿に使用されていた石は、日本にいくらでも転がっている石灰岩に過ぎなかった。表面が茶褐色に酸化した堆積岩の一種です。大理石の神殿もあるにはありましたがそれはむしろ例外でした。
 ギリシャ人は神殿を造るに当たって近くの山から手取り早く石を集め、省エネ、省予算で柱や梁に加工していたようです。
 オリンピアの遺跡では神殿が既に倒壊し、夏草の中に累々と巨石が横たわっている、それは実に豪快な光景です。それらの石材はいずれも軟質の石灰岩で、表面はパンを切ったような大小の穴だらけ、風化してザラザラに崩れかかった石もありました。
 更に近づいて観察すると異質の岩石が混ざった礫岩や砂岩までも使われています。
 思い出すのは遺跡の片隅で一人の女子大生らしい人物が鑿(のみ)とハンマーを使って、コンコンと貝の化石を取り出そうと石を割っている光景に出会ったことです。それを誰も咎めないのが不思議でした。 
 その周辺の石には貝殻がいっぱい詰まっていて、素人目にも建築材には不適当だと思えました。

オリンピア遺跡

陸上競技グランド跡。手前にスタートライン(石を埋めてある横一線)が残っている

 ではギリシャのシンボル、アテネのパルテノン神殿はどうでしょう。市内の丘に聳え立つ巨大な神殿、その威圧感は超一流です。しかし柱も梁も黒褐色のまだらに汚れ、大理石のイメージには程遠い。
 実は現在、神殿は大改修中で現場に近づけませんでした。建物の外側10メートルにぐるりとロープが張ってあり立ち入り禁止。私が首を伸ばして中を覗いていたら、突然ピー!と笛の警告。ロープに触るな、と言うのです。その向こうでは、連れの女性を積んである石材に添わせてカメラを構えた白人男性にピー!石に触れてもいけない。
 あっちでピー!こっちでもピー!どこかで監視員がジーッと見ている。
本で調べてみると、ミケランジェロのピエタやダヴィデ像のような純白の大理石は、そうやたらに転がっている物ではないらしい。エジプトのピラミッドもギリシャの神殿もおおかた石灰岩で造られました。その要所要所に磨かれた大理石を貼り付け、その他の部分は白色、またはカラーで塗装したようです。もっとも日本では表面を研磨した石灰岩も、大雑把にひっくるめて大理石と呼んでいるようですが。
 現地で実物を見たり触れたりすると、ガイドブックでは分からない意外なことを発見します。パルテノン神殿の修復には日本の技術と資金が投入されています。神殿の石と石とが ずれるのを防ぐため、当時は鉄の鎹(かすがい)や楔(くさび)を石に打ち込んで固定しました。
 ところが鉄は酸化し膨張します。20世紀に入った頃には神殿の石にひび割れや欠落が目立ち、危険であるばかりか、錆が流れ出て石の表面を汚し最早放置できない状況になっていました。今回のオリンピックを契機に、日本の援助を得て鉄材を除去し、チタン材に交換する全面的な改修工事の最中でした。
 果たしてオリンピックに間に合ったでしょうか、気になるところです。

修復工事中のパルテノン神殿

アテネ市内遠望

コリントスの遺跡

一般的に云ってヨーロッパの中ではギリシアの遺跡が最も保存状態が悪い。

比較的保存状態の良いこの遺構は初期キリスト教の教会跡といわれているが、根拠はない。

世界一のスト国家ギリシャ

 この小文が皆様の目に触れる頃、アテネオリンピックは佳境に入っているでしょう。ギリシャ旅行の続きをお話しましょう。
 空港を出てアテネ市内のホテルに向かうバスの中から、アクロポリスの丘のライトアップされた神殿を垣間見た瞬間、さすがに胸はときめき心は舞い上がってしまいました。
 バスがホテルに着いた時は陽が暮れかかっていました。バスはホテルから離れた場所に止まりました。見ると道路の片側が工事中で腰位の深さに溝が掘ってあり、ホテルの前を通ってその先まで続いている。さて、ホテルに入るには玄関前の幅1メートル程の危なっかしい板の橋を渡らねばなりません。
 ここでコケたらアカン、コケたらアカン、と我とわが身に言い聞かせて慎重に渡り終えました。日本を出るとき入った傷害保険がチラッと頭をかすめました。
 さて翌日はエーゲ海クルーズです。ホテルを出る時またあの橋です。コケたらアカン、コケたら・・・
 エーゲ海の透き通った空と潮の香りを満喫し、いい気分になってホテルに戻りました。ところが道路工事は、アア、何ひとつ進捗していない。コケたらアカン、コケたらアカン。 
 三日目はメテオラの修道院見学でした。今朝も玄関前の板を渡る。コケたらアカン。コケたら・・・冗談じゃない、いい加減にしてくれ。とうとう全員頭にきた。工事人の姿はどこにも見えない。日本なら一日で片付きますヨ。一体どうなってんの?この国は。
 ホテルは市の中心にあるシンタグマ広場と、アクロポリスの中間ほどのアドリアヌ通り沿いで人も車も結構多い。事故が起きたら誰が責任をとる?
 バスが走り出すとコンダクターが言った。「道路工事の会社がストのため、皆様に大変ご迷惑を掛けました」。なるほど。でも日本人が謝ることはないだろう?で、彼女の説明はこうでした。「この国はいつでも、どこかでストをやっているんです。私たちはホテルに着くと、まずフロントで聞きます。『今日は何がストをしていますか?』って。もし鉄道やバスなど交通機関がストをやっているのを添乗員が知らずにいたら大問題になります」。「この前、私が来た時はタクシーがスト中でした。それが終わるとすぐ航空会社のストが始まり二万人の乗客が足止めされました。つい最近は大学教授が賃上げストを打つと、負けじと小学校の先生もストに入りました」。
 ギリシャは世界一のスト国家、世界一のグータラ天国でした。旅行の後半、6日目にとうとう私たちもストに巻き込まれてしまいました。
 バスはミケーネの遺跡に到着しました。ここはホメロスの叙事詩にうたわれ、19世紀にシュリーマンが発見したBC15世紀頃の遺跡です。ミケーネの栄えた頃がイーリアスやオデッセイアの時代と重なることから、私は素人なりに、何か得るものがあるのではないかと楽しみにしていました。ところが何と遺跡の職員がスト。入口の門が施錠され中へ入れない。私たちは空しく遠方から写真を撮るしかありませんでした。遺跡までがストをするとは流石にギリシャ、立派なものです。コンダクターもこれにはギブアップでした。
 ついでにもう一つストの思い出を。先のエーゲ海クルーズの日、エギナ島の神殿遺跡では、職員が残業拒否のスト中でした。入場してまだ夕刻には時間があるというのに、出て行けとばかり、怖い小母さんに追い出されてしまいました。
 後から知りましたが、このような場合、小母さんに袖の下を渡せばよかったようです。賄賂が堂々と通用するのは、西ヨーロッパではこの国だけだそうです。
 そもそも当時の政権が社会主義を掲げ、労働組合の力を背景に成り立っているので、組合のストには何も言えないらしい。日本でもかつて東京都知事になった革新系の某が組合の言いなりになって財政を破綻させました。
 ギリシャはその後、中道左派政権に変わったと聞きましたが、ストは無くなったでしょうか。イヤイヤ、一度人間が手に入れた甘い権利を放棄させるのは並大抵のことではありません。
 ある日、私たちの観光バスはオリンピックを目指して建設中のメインスタジアムの前に停まりました。見れば、スタンドの外郭がやっと姿を現したところです。これでは開会に間に合うまい、と言うのが一行の意見でした。 
 私たちが畏敬の念を持って仰ぎ見た古代のギリシャ人はどこに消えてしまったのでしょう。文明の旗手として地中海世界に君臨した彼らの鋭気は、荒れ果てた遺跡に偲ぶしか術はないのか。
 幻想から覚めた私の胸に残ったのは、やりどころのない寂しさでした。

オシオス・ルカス男子修道院(ギリシア正教)

修道院内部

  ユーロ高に踊るEU諸国

 近年、交通機関と通信情報網の発達で国家間の距離が近くなりました。ヨーロッパのような小国が密集している地域で、国境を越えるごとに通貨が替わったり、荷物に関税がかかったりでは社会の変化のスピードに付いていけない。EU(欧州連合)の結成は当然の成り行きでした。
 しかしもう一つには、世界の主導権をことごとく失ってしまったフランスとドイツが、アメリカに対抗する捲き返しの拠点として、EUを利用したいという思惑が秘められていました。
 両国の音頭とりで発足したEUは、このところ通貨ユーロがドルに対して常に優位を続け彼らの自尊心をくすぐっている。しかしどう見てもユーロは高すぎます。
 今年の6月中旬でドル/円は109円、ユーロ/円は132円、20%以上高い。
 ユーロ高はユーロ圏外からの輸入を容易にする代わり、輸出を難しくし経済を後退させます。この状況が続けばユーロの海外市場はドルに侵食されてしまう。自動車産業などでは早くもユーロ高の悪影響が表面化しています。
 今のユーロ高は経済を反映したものではなく、政治的要因で動いていると見るべきでしょう。経済戦争の一環として捉えた方が良い。ハッキリ言えるのは、彼らには通貨問題の怖さが分かっていないということ。アメリカが欧州経済を潰すために、ドル安ユーロ高を意図的に作り出している、と言う経済専門家の見方もあります。
 アメリカはレーガン大統領時代、ソ連を軍拡競争に巻き込み とうとう経済破綻に追い込んだのですから、それくらいの事は平気でやるでしょう。

 私は「スペイン旅行の雑記帳」というコラムを昨年の本誌クリスマス号に載せましたが、その中で気にしながら書かなかったことがあります。それはスペインが全国的に建築ラッシュだったことです。観光スポットでカメラを構えると必ずと言って良いほどファインダーに建築現場のクレーンが入る。クレーンが写らないように構図を決める苦労が常に付きまといました。
 地価が上がるから早いところ土地を買う。建築費の安いうちにとビルを建てる。物価も上がり給料も上がる。表面的には好景気です。
 でも待てよ、当のスペイン人が急に働き者になったわけではない。昔通りシエスタ(昼寝)の時間もしっかり摂り、良く食べ、よく飲んで人生を楽しんでいます。国内で大油田や金の鉱脈が発見された訳でもないし、新製品を発明したと言う話も聞いていない。つまり今の好景気はバブルです。ハジケた時の恐ろしさは私たち日本人が体験済みです。
 ギリシャも同様、オリンピックブームもあって地価と物価の上昇が激しい。一人当たりGDP(国内総生産)が日本の半分以下というのに、スーパの物価を円に換算すると日本と殆ど変わらない。これでは暮らしが成り立たないから、賃上げストと物価上昇の鬼ごっこが続いています。

 経済開発の影の部分を見よう

 EU新加盟のチェコ、ハンガリー、ポーランドなど東欧諸国は、西欧に比べて人件費が格段に安いので日米を主とする何百社もの工場が進出し、過熱状態を現出しています。
 しかし早くも人件費が高騰する気配を見せている。加えて東欧の通貨がユーロに変われば物価上昇は加速されます。やがては殺伐な資本主義の波に飲み込まれ、車が走り回り、ファーストフードやコンビニが立ち並ぶのも時間の問題と言えましょう。
 東欧を旅してみれば分かりますが、静かな中世の面影を残した村々、そこで暮らすのは何百年も前からドナウの大平原に馬を駆ってきた純朴な人たちです。
 開発こそ遅れているものの、客観的に見て、その文化は西欧に比較して何の損色もなく、むしろ、より宗教的であり、より敬虔であり、より人間的です。
 それが行政の方針とは言え、民族の香り高い彼らの社会が、現代文明の浸潤によってやがて消滅していくのを見ることは耐え難い悲しみであり、地球的損失だと私は思うのです。
 開発に関わる反面教師の最たるものは、まもなくEUに加盟すると見られるトルコです。この国は超一級の爆笑天国です。空港で米ドルをトルコリラに換金しました。するとビックリ仰天、数枚のドル紙幣が弁当箱ぐらいの札束になって戻ってきたのです。1ドルが(現在)140万トルコリラ、こりゃあタダゴトではない。町の有料トイレが1回30万円、ミネラルウオーターは1本40万円、私たちは面白半分、円の単位で呼んでいました。公表されているインフレ率は年20%、それも嘘かマコトか分かりません。
 工業力が極めて脆弱なトルコですが、国民はコマーシャルに刺激されて車を買いたい、モダンな住宅に住みたい、ビデオカメラも欲しい、いい服も着たい・・・輸入するしかありません。政府は国民の不満を解消させようと紙幣をバンバン印刷する。かくてインフレとデノミの繰り返しです。失業率と犯罪の増加、遂に経済破綻。
 アメリカはトルコの経済危機に際し200億ドル、300億ドルの有償、無償の援助をしています。
 東欧の低所得国にも、将来ドル圏からあの手この手の援助が差し延べられるでしょう。
 こうして「古いヨーロッパ」に対する親米的な「新しいヨーロッパ」が台頭する。これがアメリカの長期戦略なのかも知れない。
 かつて日本経済が発展してアメリカ本土の不動産まで買い占めるようになると、彼らは金利ゼロ政策を採って日本を追い込み、弱った日本の銀行を買収してしまいました。アメリカは軍事力あるいは経済力で他国と争うことを何とも思っていない国です。他国の領土問題にも臆せず干渉することを正義と考えている。
 後世の歴史家は21世紀前半をアメリカ帝国主義の完成期と定義付けるでしょう。ソ連崩壊後のアメリカは、帝政時代に入ったころのローマと同じ。日本でなら徳川幕府の三代将軍家光の時代でしょう。もともと歩きながら考える現実対応型の国ですから、ソ連のような崩れ方をするとは先ず考えられない。当分この力関係が続くとすれば、日本の取るべき対米政策の選択肢はごく限られています。
 幻想の入り込む余地はありません。

ブダペスト郊外

 幻想の中を泳ぐ日本のインテリたち
 去る5月の日曜日、ミサの後神父さまに呼ばれました。「あなた宛にこんなFAXが来ていたよ」と一枚の紙を渡されました。それは5月16日付けのカトリック新聞に掲載された私の投稿に対する、さる御仁からの反論でした。
 私の投稿とは「教会の中の無責任発言」と題した次のような内容です。「一部聖職者や修道者の無責任な政治発言に不快を感じている。政治は現実の問題だから、発言内容も現実に即したものであるべきだ。彼らは非武装中立にしても、対米追従反対にしても、ただ目標を唱えるだけで、そこに到達するための手段や、達してからのビジョンには口を閉ざしている。これでは絵に描いた餅だ。発言する以上、目標へのアプローチとその後の計画を語って下さい。言いっ放しは無責任です」と。
 これに対し先のFAXの御仁、英米法、憲法、国際法の肩書きを名乗っておられるからナントカ大学の教授かと思われるが、日本が抱える難問題を快刀乱麻と切って捨てる。曰く、「非武装中立を維持するには 『アジア連邦』,『世界連邦』を作れば解決する」。ソンナ簡単なことが君には分からんのかネ、と言った調子。
 続けて言う。「自分たちは国旗国歌に反対しているのではない。日の丸君が代に反対なのだ」とサ。コメを食うのは構わない。だがメシを食ってはならぬ、ですか。
 
 開いた口がまだ閉まらぬうちに、今度はカトリック新聞6月20日号の社説「展望」が過剰反応です。執筆の酒井新二老先生は、信徒間に聖職者の政治発言への警戒感がある事に苦言を。私の如き若輩者の投稿に目を留めて下さったのは光栄の至りですが・・・
お説の内容は毎度のことで目新しいものはありませんが、最後の結びで大脱線。それは「大欧州モデルに学べ」と言う小見出しで括られた一節です。
 曰く、「この5月1日にEUは新加盟国を加え、25ケ国、人口4億5千万の巨大パワーとなった。大欧州の誕生こそ戦争なき地域を地上に現出する人類史的実験」だそうです。「米国流の二国間同盟による世界制覇の野望は潰えた」とも。
 今やEUブームとは言え、歴史、人種、宗教、文化それぞれが異なる国家の集合体です。だからこそ25ケ国が国境を隔てて暮らしていたのではないでしょうか。あまり大きな事は言わない方が宜しいのでは?
 ここまではマアマアとしてもその次が悪い。「これから日本はEUをモデルにしよう」「日、韓、中を軸に東南アジア諸国、アメリカ、ロシア、オーストラリアなどと共に『アジア、太平洋多国間安全保障体制』構築に向かって、日本は方向転換せよ」と。これもまた絵に描いた餅。
 老先生は幻想の世界を浮遊しておられる。日本カトリックのオピニオンリーダーと称される方がこれでは、私たちは不安でたまりません。
 それにしてもジャーナリストって羨ましい仕事ですな。マンガチックな空想物語でも、地球の迷い方を教える旅行案内でも、ペン一本、一枚書きさえすれば結構なお金になる。
 奇想天外な教育基本法 改正反対の理由

 ここで私はハタと膝を打った。「アジア連邦」「世界連邦」「アジア太平洋多国間安保体制」・・・ナーンダ、お二人ともおっしゃる事がそっくり同じじゃあないですか!
 偶然の一致にしては話が出来すぎている。つまり、お二人の上部に極めて力のある知恵者が存在して「こう言え、ああ言え」と指令を出しているに違いありません。

 高校時代、漢文と国語を担当されていた高林先生という恩師から多くの事を学びました。「君たちは先生に指名されて何も答えられない生徒を、バカな奴だと軽蔑してはいけない。頭が良くて、よく考える人間程いろいろな回答が頭に浮かんで答えに迷うものだ」「答えられなければ、分かりませんと言えばよい。それも立派な答えだ」。今になって師の言葉が頭の中に蘇ってきます。

 9・11テロの後は「紛争は話し合いで解決せよ」と言うのが彼らのスローガンでした。
 話し合いで・・・と口で言うのは易しい。しかし誰が仲介の労を取るのか、誰と誰が、どこで話し合うのか、実現までの道のりは無限に遠い。 
 だったら素直に「私たちには出来ません」「分かりません。他の方法を考えましょう」と言えば良いのです。にも拘らず美辞麗句を連ねて虚勢を張るから、大風呂敷が閉まらなくなる。社会からはバカにされる。
 
 その頃「コスタリカを見習え」というのも流行っていました。講演会、ホームページ、カトリック新聞紙上に「コスタリカ」が飛び交っていました。
 その熱が冷めると、次は有事法制に便乗して「いよいよ日本は戦争に巻き込まれる」と恐怖を煽るのが流行しました。
 その脅しが効かなくなると今度は教育基本法改正反対です。彼らは言う、「日本国民の意識を、アメリカと一緒にいつでも戦争を始められるように切り換えておくための改正」だと騒ぎ立てています。
 彼らは改正案を自分の目で読んだのでしょうか。「国」を愛するとは「政府」ではなく、歴史、文化、伝統などを共有する生活共同体としての国家の事です。その延長としての感性、自然環境との関わりを重視するのは当たり前の事でしょう。
 また従来の絶対的政教分離政策を反省しつつ、新しく掲げる理想として「宗教的情操、または教養の涵養」が「道徳の根底を支え、人格形成の基礎になるものとして教育上尊重されねばならない」と謳っています。同時に「家庭教育」が教育の原点であり、家族の絆を強めることの必要を説いています。
 これを戦争への準備だと決め付けるのは、奇想天外です。どのような解釈でそのような結論を導きだしたのでしょうか?教会の立場としてはむしろ歓迎すべき改正だと思います。
 要するに彼らの心境は、脅迫観念的な偏見に支配されている。全てが感情的で非合理的です。現実離れした幻想によって一つの構図を作り上げ、自らその枠に嵌まり込んで身動き取れない状況になっています。

 日本やアメリカを非難すること自体が彼らの目的であるがために、事実関係や論理には関心が向かない精神構造になっているようです。イデオロギーに縛られて硬直している人間には、思考の自由がありません。自分では主体的にモノが考えられなくなっている。
 上から「こう言え」と指令がくれば、イエス サー!
 雀の学校の生徒よろしく、チーチーパッパ、チーパッパと声を揃えて一斉に歌い出すのです。

 しかし、「ヴァチカンの道」と、その同志である皆さま方の立場は、ひとつの所に立ち止まらないで常に歩いている。いろいろな方向に目を配りいつも考えています。
 つまり固定した思想が中心でなく、動いている人間が中心です。人間あっての思想です。
 私たちが、刻々変化し流動する現実を見据え、多くの現象の中からそれぞれの価値を見分け、自分の判断で自分の道を歩いて行く、この場合にこそ人間の真の自由があります。
 多面的な視野を持っていればこそ、笑って人を赦すことが出来る。しなやかな心があればこそ、静かに忍耐出来る。人と話し合って協調していく事も可能になるのだと思います。
 世界の平和は、まず隣人との平和から始まることを忘れてはなりません。

朝岡昌史の表紙へ

「ヴァチカンの道」誌より
ノムさんのエッセー

やまて喫茶室