時は川の流れのように

 

朝 岡 昌 史

「ヴァチカンの道」第46号より)
Mar.27.2005

左翼政党にすり寄る教会の危うさ

 今年2005年は戦後60周年に当たり、日本の歴史の節目になると言われています。戦後から今まで日本は成長を続けましたが、経済、財政、人口を含む国力が今年をピークに下り坂に入るでしょう。国力の下降を食い止めるには生き残りをかけた日本社会の根本的改革しかありません。

 国の基幹である教育と防衛と税制には早くも見直しが行われています。教育基本法、郵政民営化、年金、税制なども改革を避けては通れません。そしてその先に憲法改正という課題が待ち構えています。実現までの道程には紆余曲折もあるでしょう。しかし今まで口にするのも憚られた憲法問題が国民の間で盛んに取り上げられているのを見れば、日本もやっと普通の国になったという思いを深くします。


 そこでこの60年間を教会の窓から振り返って見ましょう。

 今から30年ほど前、教会の中には正平協(正義と平和協議会)の嵐が吹き荒れていました。正平協は1967年、教皇パウロ六世の呼びかけに応じて作られた団体です。当時はソ連が健在で、その威光を背景にした日本社会党と共産党が大きな勢力を誇示していました。
 日本の正平協はキリストによる正義と平和という本来の意味を換骨奪胎して、社会主義のイデオロギーを振りかざし神の名の下に反日、反米の政治闘争にのめり込んでゆきました。
 弱者側に立つという名目を歪曲して社会、共産両党の尖兵となり彼らと全く同じ主張を声高に叫んでいました。

 反米デモの先頭に司教が立って行進している写真がマスコミに取りあげられ、日本国民のカトリックに対する印象を著しく傷つけました。
 私は或る神父がミサの説教で皇室の悪口をさんざん言った挙句、皇后陛下を「天皇のかみさん」と呼んでいるのを聞きました。なんという非常識でしょう。
 また或る神父は行く先々の教会で沖縄問題を説教のテーマにするので信者たちは席を立ったり、献金をしないなどで無言の抗議をしているそうです。信徒もくだらない政治談議を30分も聞かされてはたまったものではない。

 正平協は1987年のNICE( 福音宣教推進全国会議 )以後急速に左傾化の動きを早めました。彼らの宣教とは、教会の政党化、世俗化に他なりませんでした。
 その先頭に司教や神父が立っているため、彼らの行動を批判することはタブーであるかのような雰囲気が作られ、信徒は黙って忍従するしかありませんでした。
 時代の追い風を受けて彼らは事ある毎に政治問題に介入し、抵抗の赤旗を振り続けました。その件数を挙げれば枚挙にいとまありません。私の記憶にあるだけでも次のようなものです。

 

中でも呆れ果てたのは日の丸 君が代反対運動でした。全国のカトリック系大学から幼稚園に至るまで、卒業式などの式典に日の丸を揚げるな、君が代を唄うなという通達を司教名で出したことです。

自らの職務権限を踏み越え、半世紀昔の戦後民主主義を原理的に押し付けるコチコチの石頭。自分は何様だと思っているのだろう。


ここで音楽。私の好きな歌手美空ひばりの晩年の絶唱、「函館山から」

 荒れ狂う吹雪の中を走る男、彼に秘かな想いを寄せながら年を重ねてしまった女、そして風に吹き飛ばされるかもめ。この歌を聴くと私は正平協と信徒の関係を連想する。
 感情を抑え、叙唱風に淡々と唄われるこの曲は、次に来るべきアリアのエネルギーを予知しているかのようです。   

        ♪ 函館山から 立待岬
            吹き上げる 雪の中
            飛び交うかもめよ
            若い男は 荒海を走る
            優しさ拒む 背中にいつも
            悲しむ女がいた
            今はただ胸にしみる
            ひとりの寒さよ
            おまえはもう 若くはないと
            とどろく波よ

            函館山から 立待岬
            吹き上げる 雪の中
            飛び交うかもめよ



正平協の正体見たら

私と正平協との出会いは、そうです、30年程前のことでしょうか。当時、日本経済は成長期にあって人手不足が深刻化し、中学の卒業生が金の卵ともてはやされる時代でした。賃金もうなぎ上りに上昇し、このままでは日本国内の中小企業は成り立たなくなる、そんな危機感が漂い始めていました。私の会社は電子部品のメーカーでしたが、韓国企業と提携してこの難関を切り抜けようと考えました。

 しかし一つの不安がありました。当時のカトリック新聞は、韓国の治安が極めて悪く、いよいよ革命前夜が来たとはやし立てていました。当時の朴正 大統領が米国と手を組んで国民の自由を弾圧し、人々の怒りは頂点に達している、と繰り返しトップニュースで報じていました。あまつさえ日本には朝鮮人を虐待した前歴があり、彼らの前に土下座して謝罪しない限り、渡韓した日本人は生きては帰れないだろう、といった論調でした。今から思えば新聞社が正平協に乗っ取られていたのでしょう。

 他のマスコミは冷静なのに、何故カトリック新聞だけが革命、革命と叫ぶのか。私は根が楽天的ですから、だったら革命とやらを自分の目で見てやろうじゃないか、と観光ビザを取り、知人の商社マンを頼ってソウルに旅立ちました。これが初めての訪韓でした。

 行ってみて驚いた。一週間の滞在中いちども嫌がらせにもデモにも出会わなかった。街は活気に溢れ、朝になると教会の鐘がホテルの近くから、遠くから聞こえてきました。ソウル賛歌の歌詞「鐘が鳴り、花が咲き、鳥は歌い、人々には笑顔がある」その通りでした。

 私は商談をすすめ、タクシーに乗り、買い物もしましたが、彼らは友好的でとても親切でした。最後の日の日曜日、近くのカトリック教会のミサにあずかりました。まだ日本人が珍しい時代でした。ミサの後数人の年配者が日本語で親しげに話しかけてきました。私は彼らの信仰の深さと宣教活動のエネルギーに感銘を受けました。

 日本へ帰って一息つくと、カトリック新聞の記事の出鱈目さに無性に腹が立ってきました。そこで高校時代の先輩で、今は故人になられた原 俊神父さまに手紙を書き、自分の目で見た事実を述べて新聞記事の歪曲を正すように訴えました。

 返事がきました。「君の言うことは正しいと信じる。しかし教会には難しい事情があって、今の私にはどうにもならない。しばらく待ってくれ」と。

 その時、私は身にしみて感じました。しれっとした顔で、真実を歪曲してはばからない正平協の恐ろしさを。嘘も百回くり返せば真実になる?これが彼らの正義の正体でした。

 しかし、こんなのはまだ序の口でした。彼らの実態を追っていくと、シャーロックホームズの謎解きのように次々に知られざる素顔があぶりだされて来ました。

 彼らは一般信徒の目の届かないところで社民党や日本赤軍派と手を組み、教会の予算を使って活動しています。事務局長の木邨(きむら)健三氏は、素性を隠したうえ、教会の名を利用して暗躍しているゴロツキです。2002年に警視庁と公安調査庁がチェックした過激派関連組織の中に「カトリック正平協」が、個人の中に木邨健三が名を連ねています。

 一部の司教を始めとする聖職者の周りにも極左の活動家が潜り込んでいる筈です。イデオロギーに洗脳された彼らの言動が、霊性より人権に、聖書より社会改革に傾いていくのも当然です。


 目を覚ました一般信徒の良識

本誌40号(2003年4月号)に「ニセ平和主義者の仮面を剥がせ」との私の小文が載っていますので、ぜひ読んで下さい。パソコンで読むことも出来ます。YAHOO!を開いて「カトリック正平協」と打ち込んでクリック。上から二つ目に「ニセ平和主義者の・・・」のタイトルがあります。このホームページは本会のメンバー野村勝美氏の協力によって作られました。

 昨年、一昨年と二年続きの国政選挙に共産、社民両党が惨敗すると、活動方針と資金の後ろ楯を失った正平協のエネルギーは忽ち沈滞してしまいました。

 2004年12月5日カトリック新聞に吉岡サカエさんという修道女の投稿が掲載されました。11月に東京で行われた、米軍基地反対と教育基本法反対集会に、「教会からの参加者が少なくて寂しい限りだった」と嘆いておられました。考えてみれば当然のことでしょう。

 一般信徒が反対運動の虚構に目覚めたからに他なりません。

「声なき声」と言われ、無党派層とされる過半数の信徒は、実は政治に興味がない人々ではなく、多くは日本の良さを守りながら次の時代につなげてゆきたいという、広い意味での保守層だと思います。

 誤解の無いように言っておきますが、私たちは教会を公会議以前に戻そうとしているのではありません。現代の教会は新しい革袋を必要としています。新旧文化の融合、諸宗教の共存こそが公会議の目指すところだと心得ています。しかし、正平協ら改革派は自分の主張と違うもの、一切の古いものを拒否し弾圧をして憚らない。目の前に現れたものに片っ端から闘争を仕掛けていく。このやり方では教会の内部対立を助長させ、信徒の教会離れを加速させるだけでしょう。


 
第一の論点 実際論と空想論のすれ違い

では正平協など教会左翼の最近の動きを追ってみましょう。

 憲法改正の議論が高まって来たのを背景に、2005年1月23日の夜NHKスペシャルの2時間番組で放映した「徹底討論 どうする憲法9条」は誠に時宜に適っていました。

 しかし改憲派と護憲派の意見は最後まで噛み合わなかった。ある野党を代表する女性の護憲論者は「日本には自衛権がある」と言いながら、「自衛隊は無くして行く」とも言うのですから視聴者の目玉は白くなったり黒くなったりです。護憲派の主張は非現実的な観念論が先行して浮き上がっていました。

 彼らの一致した主張は米国への追従を止めよ、というものでした。日本から米軍の基地をなくし、米国から離れて自立せよとおっしゃる。そうすれば日本は平和になる、と。しかし考えても見ましょう。食糧もエネルギーも自前で賄えない日本の取るべき道には、二つの選択しかない。

 第一に生命線であるシーレーンや日本領海をいかにして防衛しますか。機動艦隊を作らねばなりません。中国や北朝鮮のミサイルによる脅迫には、ミサイルで対抗するしかない。この現実と、非武装平和との整合をどうするか。

 第二の選択はロシア又は中国と同盟を結んで、その輩下になるか。この場合でも重武装は避けられません。しかも自由は厳しく制限されるでしょう。密告を恐れ、言いたいこともいえず、役人に媚を売って生きていく。人間が自由を失ってなんの生き甲斐があるでしょう。

 憲法問題の根底には、わが国の地勢上の問題もあります。日本は海外依存度が特に高い貿易立国であること。資源だけでなくマーケットの多くを海外に依存しています。しかしこの領域の防衛を日本単独で維持することは殆んど不可能です。

 ここで二歩も三歩も譲って米国との同盟を解消したとしましょう。その時、日米の経済関係はどうなるのか、金融市場はどうなるのか。護憲論者たちには、そんな事はまるで念頭にないようでした。

議論は平行線のまま延々と続きました。それもそうでしょう。この討論会は、片や現実論、片や机上の空論、議論は噛み合わない。100年待っても結論は出ない。とうとう疲れてあくびがでた。

ここで少し視点をずらして、護憲論者の主張を総括すれば彼らは頭がコチコチに固い化石人間です。激しく流動する世界の動きについて行けない。

彼らは自分が善意であれば、その善意が国際社会にも通じるという表向き理想主義の裏側で、反米、反政府を言いつのって止まない、二枚舌と偽善性。

議論で不利になると、自分に都合のいいファンタジーの世界に逃げ込んでしまう。これはカトリックを含むいわゆる知識階級に共通する病根です。

例を挙げましょう。護憲派の主張は「戦争の悲惨な体験をした私たちは再び戦争に巻き込まれたくない。軍備を持てば危険、放棄すれば安全だ」と言うのです。

 子供じゃあるまいし、私は思わず笑ってしまいました。「備えあれば憂いなし」は古今東西の常識かと思っていましたが「無防備の方が安全だ」とは世間も広いものです。

 テレビに登場した護憲派の皆さん、そして正平協の皆さんは、今夜もきっとご自宅の玄関や窓に鍵を掛けずにお休みになっていることでしょう。


 本誌は教会の政治活動に対するオピニオン誌として15年前に創刊されました。振り返れば苦しい歳月でした。いつか晴れる日を待ちながら今日を迎えました。今まさに時代は過ぎ、大きな川の流れは日本社会を呑み込んで、とうとうと流れてゆく。

 では、ひばりの最後の歌になった「川の流れのように」を聴きましょう。 

      ♪ 知らず知らず 歩いて来た
        細く長い この道
        振り返れば 遥か遠く
        故郷が見える
        雨に降られて
        ぬかるんだ道でも
        いつかは また
                   晴れる日が来るから

        ああ 川の流れのように
        ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて
        ああ 川の流れのように
        季節 雪どけを待ちながら


 
第二の論点 東アジア共同体はバベルの塔

 さて、NHKスペシャルはこの位にして次へ。          

第二の論点に「東アジア共同体構想」というのがあります 

 その昔「ダメなものはダメ」を押し通した政党が、追い風に乗ってそこそこの代議士を揃えていた時代がありました。しかし今ではこんなのはバカバカしくて誰も相手にしない。

そこで彼らは一計を案じた。非武装平和を実現するには「東アジア共同体」を作ればいいと言うのです。

 これは酒井新二氏がカトリック新聞でしきりに唱えていますが、実は氏の創案ではない。朝日新聞などが、かなり以前から改憲派への対案として主張していたものです。

 つまり日本、中国、韓国などを中心に南はオーストラリアまでを包括する大共同体を作れと言うのです。

しかし、これはバベルの塔の現代版。絵に描いた餅です。最近新聞のチラシに、建設予定の豪華マンションの完成予定図が入っています。東アジア共同体構想もプランナーが描いた一枚の絵です。世界のいかなる建築物よりもこの超高層ビルは群を抜いて巨大。雲を貫き遥か高く聳えています。しかし肝心な問題であるスポンサーは誰なのか、資金はどのくらい必要でどこから調達するのか。安全性は、維持管理は、なにも分からない。というより決められない。この限りでは吹けば飛ぶ一枚の紙に過ぎません。

彼らはEU(ヨーロッパ連合)を見習えと言っている。EU型の多国間安全保障体制を構築すれば、アジアにも非武装平和の理想郷が実現するというのです。

 しかし、それには自国の生死を委ねるに足る、諸国を引き付け結びつける核心がなくてはなりません。 EUには共通の宗教としてのキリスト教があった。無償の奉仕、譲歩、信頼、誠意・・・そんなものは東アジアには何もない。

 また欧州には、ギリシャ、ローマの文化を根底に持つという共通項もありました。EU はこれらの基盤の上に成立したものです。

 しかし東アジアには共通の宗教も文化もありません。例えば中国。抜きがたい中華思想、共産党支配の異質性、国民の倫理欠如、そして何より軍備の大拡張と目に余る覇権主義、国を挙げての反日キャンペーンは物凄い。

 フィリピンやインドネシアではキリスト教とイスラム教が対立し内戦状態に近い。駄々っ子北朝鮮の横車は言うに及ばず韓国の政情不安定、中台関係の緊張などを目にすれば非武装平和など夢のまた夢に過ぎません。

 これら種々雑多の国々を一体誰が一つに纏めると言うのでしょう。その労を朝日新聞社がとってくれるのでしょうか。それとも酒井新二氏が一肌脱ぐと言うのでしょうか。具体的なアプローチを示さなくては、真面目な議論になりません。

若しかしたら、唱えている本人も職業上格好をつけているだけで、本気ではないのかも。
 

 
第三の論点 聖句のツマミ喰いで墓穴を掘る

彼ら護憲派の共通した論拠は次のようなものです。「山上の垂訓」でイエス様は無防備無抵抗」を教えたもうた。私たちもその後に従い、非武装無抵抗を実行すべきだというのです。しかし福音書全体を読めばイエス様は原理的平和主義者ではありませんでした。

 彼は弟子たちに身を守るための帯剣を命じました。また、神殿から商人を追い出すために鞭を振るい、彼らの屋台を倒しました。

教会も厳しい条件を付けながら正当防衛を認めています。国連も非常時に備えて軍隊を常備しています。

宗教が直接関わるのは、あくまで神と向き合う個人の良心に対してです。罪びとが悔い改めて許されても、社会的責任は許されない。いかに祈りもとめても、それだけでは地上の平和は達成されない。聖句の一部をツマミ喰いして、非武装無抵抗を国際関係にまで拡大、適用するのは無茶苦茶というものです。

この世の平和や秩序を真面目に考える人にとって、それは極めて無責任で卑怯な態度としか受け取れません。戦争は国家間の武力紛争です。日本だけが一方的に軍備を放棄しても、他の周辺諸国が一斉にそれを放棄しない限り却って紛争を呼び込むことになります。

こういう方に限って「戦後60年の平和は憲法9条のお陰だ」と信じ込んでいるのです。

日本が戦後から今日まで自由と平和の中で復興と繁栄を達成できたのは、日米安保体制のお陰でした。米国に追従するのが是か非かはこの際たいした問題ではない。

少なくとも安保があったからこそ、日本は外国の侵略を心配せず、従って徴兵制も取らず、経済発展に全力を尽くすことが出来ました。どうしてこんな単純な事実が見えないのでしょう。彼らはすっかり洗脳されていて他に聞く耳を持ちません。

ソ連とその衛星諸国が消滅したことで、社会主義の過誤と非人間性があらわにされた。それにも拘らず正平協ら護憲派の言動はいまだに社会主義路線に癒着している。現実を無視してイデオロギーに絶対の価値観をおいています。 

彼らは、神による救いでなく、社会制度の変革による救いを目指しています。

ソビエトこそ平和勢力だと謳われた社会主義の過去の威信が、今や鰯の頭の御利益にも劣るレベルに成り下がっているのに気がつきません。

 ここで、三曲目は「愛燦燦」です。病に倒れたひばりが気力で歌い上げたヒット曲。作詞・作曲 小椋 佳 歌いやすい節なのでカラオケの人気曲として広く親しまれています。左翼護憲派は、まだしぶとく生き残っているものの、昔日の面影はもはや無い。
 人の生涯には雨の日もあり、晴れる日もある。でも神さまはいつも私に目を注いでおられます。だから人生って・・・

      ♪ 風 散散と この身に荒れて
     思いどうりにならない夢を
     なくしたりして
     人はかよわい
     かよわいものですね

     それでも未来達は
     人待ち顔して微笑む
     人生って 嬉しいものですね

過去40年続いた正平協 驕慢の時代は終わりました。彼ら必死の反対にもかかわらず、日本の伝統と良き習慣、公と私のバランス、国家としての自衛権と主権尊重など新しい価値観に基づいた法律が次々に成立しました。この事実が新しい時代の到来を告げています。

 

                                      終

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