2000.8.10 1985(昭和60)年8月12日、羽田発大阪行き日本航空123便ボーイング747SR機が32分に及ぶ迷走飛行の末、午後6時56分頃御巣鷹山尾根に墜落した。乗客乗員524名、そのうち女性4名を除く520名が死亡した。はや15年になる。そのときKと云う52歳の男性が、旋回しながら落下する機中で遺書を残した。 マリコ きのうみんなと食事したのが最后とは ママこんな事になるとは残念だ (日本経済新聞1985.8.19?)
私には衝撃だった。落下する機中で、これだけの文章が書ける沈着。男らしく、強く、そして優しい。私に完璧に欠けているものだった。私なら、ただ叫んでいたと思う。ひと言で、「極限の恰好良さ」だった。決められた、と思った。 この人の奥様がテレビ画面に出たのを見た。私は事故に遭った人の、遺族へのインタビューを好まない。悲しむ人にマイクを突きつけるのを不作法と感じる。そっとしておいてあげるべきと思う。しかしK氏の奥様には興味があった。どんな人なのか。 「十分に愛して呉れました」 怒号し喚く遺族の多い中で、この夫人の「感謝します」は静かに高貴で、忘れられぬ言葉となった。私はこの家族の質の高さを知ったのである。奥様にも決められたのだった。このご夫妻は私の心の底に、生き方についての深い影響を残した。
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