自衛隊機墜落

2000.10.07

1999年11月22日午後、航空自衛隊入間基地所属のT33型ジェット練習機が入間川河川敷に墜落しました。その際、東京電力の高圧送電線を切断し、東京・埼玉の約80万世帯で停電となりました。電線切断による停電は都市のもろさの再認識となり、マスコミの論調は私の知る限り「税金の無駄使い」的な、冷淡なものであったと思います。

ところが私の属する「フォーラム」で別な観点の紹介がありました。

当日のニュースステーションで(私は普段テレビをほとんど見ず、この番組も見ていませんが)国際コンサルタントの岡本さんという人が出演しており事故のお詫びをする防衛庁長官の画像についてコメントを求められ、
「私の事務所でも停電のためにコンピュータが止まり、大いに迷惑はしているが、今の報道を見ると、脱出用パラシュートも開かぬままとなっており、脱出のチャンスを失ってまで、住宅地への墜落を回避した可能性が高い。であれば、パイロットの行為は人間の尊厳に満ちたものであり、にも関わらず、まず、この行為に対して、長官が哀悼の意を表しなかったとすれば、ご遺族の方々は、何と思うだろうか、誠に遺憾である」
と語ったそうです。(実際には防衛庁長官は会見で、亡くなったパイロットへの、哀悼の意を表したそうです。報道の編集作業の恐さですね。報道には必ず「誤報」があります。意図したもの、せぬものがあるでしょう。しかしそれ以上に恐ろしいのは「編集」です。簡単には「強調」と「省略」です。)

又、別なフォーラムでこのような会話がありました。

「ベテランのお二人は、最低安全高度については熟知されていた筈ですから、二人とも『
自分が助かるため』に脱出装置を使われたとは思えないのですが」
「自衛隊パイロットへのインタビュー記事でしたか、こんな記述を読んだことがあります。もし住宅密集地の上空でエマージェンシーに遭遇したら、どうするのかとの質問に対するパイロット氏の答え、
『被害を最小限にとどめるため、最後まで操縦を続ける覚悟はあります』
と言い切った上で、
『ただ、最後の瞬間に、わずかでも時間があれば、脱出装置は作動させます。そうしないと、脱出装置を整備した整備員に、要らぬ心配をかけますから』
とのことでした。」 

産経新聞2000.8.3朝刊から「自衛隊半世紀」と題する特集記事が始まっており、プロローグとしてこの事故が取り上げられています。その冒頭で、

なぜ、航空自衛隊のパイロットは「ベイル・アウト(緊急脱出)」を二回叫んだのだろうか。

と、記しています。「パイロットはベイル・アウトを通報した後、十三秒後にもう一回、同じ言葉を叫んでいた。」

この十三秒は、正に上記の
『被害を最小限にとどめるため、最後まで操縦を続ける覚悟はあります』
に合致します。そして、
『ただ、最後の瞬間に、わずかでも時間があれば、脱出装置は作動させます。そうしないと、脱出装置を整備した整備員に、要らぬ心配をかけますから』を、完璧に実現しています。

この事故の直後に近くを通りかかった教育者がいました。狭山ヶ丘高等学校学校長・小川義男先生です。この事故に関する所感を同校の学校通信「藤棚」90号に寄せました。この文章は多くの場所で引用され、国会の場で朗読もされました。殆んど公的なものと思います。私は勝手に、ここにその全文を転載します。部分的な引用は意を伝え得ないと思えます。繰り返しますがこの文章は国会でも朗読され、新聞雑誌等にも各所で引用されました。既に公的な文書と私は思います。(小川義男先生には直ちに本ページの所在をお知らせしました。「暗黙の了解」を頂いているものと存じます。)

 

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人間を矮小化してはならぬ

校長 小 川 義 男

   先日、狭山市の柏原地区に自衛隊の練習用ジェット機が墜落しました。たまたま私は、寺田先生と共に、あの近くを走っていましたので、立ち寄ることにしました。すでに付近は閉鎖されていて、近くまで行くことはできませんでしたが、それほど遠くないあたりに、白煙の立ち上るのが見えました。
   見上げると、どのような状態であったものか、高圧線がかなり広範囲にわたって切断されています。高圧線は、あの太くて丈夫な電線ですから、切れるときはぷつんと切れそうなものですが、多数の細い線の集まりからできているらしく、ぼさぼさに切れています。何カ所にもわたって、長くぼさぼさになった高圧線が鉄塔からぶら下がっている様は、まさに鬼気迫るものがありました。
   聞くと、操縦していた二人は助からなかったそうです。二佐と三佐と言いますから、相当地位の高いパイロットだと言えます。二人とも脱出を試みたのですが、高度が足りなく、パラシュート半開きの状態で地面に激突し命を失った模様です。
   以前、現在防衛大学の学生である本校の卒業生が、防大合格後航空コースを選ぶというのを聞いて、私がとめたことがあります。「あんな危ないものに乗るな」と。彼の答えはこうでした。「先生、戦闘機は旅客機より安全なのです。万一の場合脱出装置が付いており、座席ごと空中に打ち出されるのですから」と。
   その安全な戦闘機に乗りながら、この二人の高級将校は、何故死ななくてはならなかったのでしょうか。それは、彼らが十分な高度での脱出を、自ら選ばなかったからです。おそらく、もう百メートル上空で脱出装置を作動させていれば、彼らは確実に自らの命を救うことができたでしょう。47歳と48歳と言いますから、家族に取りかけがえもなく尊い父親であったでしょう。それなのに、何故彼らはあえて死をえらんだのでしょうか。
   実は、あの墜落現場である入間川の河川敷は、その近くに家屋や学校が密集している場所なのです。柏原の高級住宅地は、手を伸ばせば届くような近距離ですし、柏原小、中学校、西武文理高等学校もすぐそばです。
   百メートル上空で脱出すれば、彼らは確実に助かったでしょうが、その場合残された機体が民家や学校に激突する危険がありました。彼らは、助からないことを覚悟した上で、高圧線にぶつかるような超低空で河川敷に接近しました。そうして、他人に被害が及ばないことが確実になった段階で、万一の可能性に賭けて脱出装置を作動させたのです。
   死の瞬間、彼らの脳裏をよぎったものは、家族の顔でしょうか。それとも民家や学校を巻き添えにせずに済んだという安堵感でしょうか。
   他人の命と自分の命の二者択一を迫られたとき、迷わず他人を選ぶ、この犠牲的精神の何と崇高なことでしょう。皆さんはどうですか。このような英雄的死を選ぶことができますか。私は、おそらく皆さんも同じコースを選ぶと思います。私も必ずそうするでしょう。実は、人間は、神の手によって、そのように作られているのです。
   人間はすべてエゴイストであるというふうに、人間を矮小化、つまり実存以上に小さく、卑しいものに貶めようとする文化が今日専らです。しかし、そうではありません。人間は本来、気高く偉大なものなのです。火災の際の消防士の動きを見てご覧なさい。逃げ遅れている人があると知れば、彼らは自らの危険を忘れて猛火の中に飛び込んでいくではありませんか。母は我が子のために、父は家族の為に命を投げ出して戦います。それが人間の本当の姿なのです。その愛の対象を、家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を我々は英雄と呼ぶのです。
   あのジェット機は、西武文理高等学校の上を飛んで河川敷に飛び込んでいったと、佐藤校長はパイロットの犠牲的精神に感動しつつ語っておられました。
   しかし、新聞は、この将校たちの崇高な精神に対して、一言半句のほめ言葉をも発しておりません。彼らは、ただもう自衛隊が、「また、事故を起こした」と騒ぎ立てるばかりなのです。防衛庁長官の言動も我慢がなりません。彼は、事故を陳謝することのみに終始していました。その言葉には、死者に対するいたわりの心が少しもありません。
   防衛庁の責任者が陳謝することは、それはもう当然です。国民に対してばかりか、大切な隊員の命をも失ったのですから。しかし、陳謝の折りに、大臣はせめて一言、「以上の通り大変申し訳ないが、隊員が、国民の生命、財産を守るため、自らの命を犠牲にしたことは分かってやって頂きたい。自衛隊に反発を抱かれる方もあるかも知れないが、私に取り彼らは可愛い部下なので、このこと付け加えさせてもらいたい。」くらいのことが言えなかったのでしょうか。隊員は命を捨てて国民を守っているのに、自らの政治生命ばかり大切にする最近の政治家の精神的貧しさが、ここには集中的に表れています。まことに残念なことであると思います。このような政治家、マスメディアが、人間の矮小化をさらに加速し、英雄なき国家、エゴイストのひしめく国家を作り出しているのです。
   人は、他人のために尽くすときに最大の生き甲斐を感ずる生き物です。他人のために生きることは、各人にとり、自己実現にほかならないのです。
   国家や社会に取り、有用な人物になるために皆さんは学んでいます。そのような人材を育てたいと思うからこそ、私も全力を尽くしているのです。
   受検勉強で精神的に参ることもあるでしょうが、これは自分のためではなく、公のためである、そう思ったとき、また新しいエネルギーが湧いてくるのではないでしょうか。受験勉強に燃える三年生に、連帯の握手を!

 

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