1.カトリックの中のチュチェ思想

本年、2004.01.20付「朝鮮新報」(Web版)に、このような記事があります。
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2004/05/0405j0120-00001.htm

〈岡山で日朝友好学習会〉厳しい情勢下開催に意義
日朝友好学習会が13日、岡山市内のオルガホールで行われ、深田肇元衆議院議員、森暢子元参議院議員、藤木靖文元岡山県議、後藤正史岡山カトリック教会神父の諸氏を含む日本市民と同胞らが参加した。
ノートルダム清心女子大学の田代菊雄教授らの発起で開かれた学習会では、チュチェ思想国際研究所の尾上健一事務局長が、「自主、平和を主導する朝鮮との友好のために」と題して講演した。

田代菊雄教授はノートルダム清心女子大学人間生活学科教授であり、Webで検索すれば、例えば池長潤大司教も参加した2003/3/12(水)〜14(金)の「カトリック社会福祉セミナー」において、「戦後日本のカトリック福祉」について講義するほどの、カトリックの重鎮であります。その田代先生は、「チュチェ思想研究」Webサイトによれば、

キムイルソン主義の旗を高く掲げ、広範な人々とともに
日本キムイルソン主義研究会代表者会議
日本キムイルソン主義研究会の代表者会議が7月12日、北海道で開催された。日本キムイルソン主義研究会の尾上健一事務局長が来賓として挨拶をおこない、キムイルソン主義は今日、世界の人々のなかに深く根を下ろしている、今代表者会議がキムイルソン主義の旗を高く掲げ、幅広い人々とともに活動していくという大きな意義をもって開催されたことを嬉しく思うとともに、今後も力を合わせて活動していくことを決意するものであると述べた。
つづいてノートルダム清心女子大学の田代菊雄教授が基調報告をおこない、朝鮮問題は日本の政治の要であり、日本とアジアの平和と密接に結びついていると指摘し、活動の柱として第一にチュチェ思想を学び広めること、第二に日朝友好運動を全国でおこなうこと、第三に自主と平和のための大衆運動を力強くおこなうことを提起した。
会議では日本の社会運動の第一線で活躍する人々が新役員に選出され、新会長には田代教授が就いた。

と、あります。
田代教授の「日本キムイルソン主義研究会」と尾上健一事務局長の「チュチェ思想国際研究所」のURLは、

チュチェ思想国際研究所 =http://www.cnet-ta.ne.jp/juche/
日本キムイルソン主義研究会=
http://www.cnet-ta.ne.jp/dprkj/

で相互にきっちりリンクされており、事務所の所在地もともに、
東京都豊島区南池袋2-47-7-903
と同じですから、二つの組織は同一、もしくは夫婦関係にあると云えるでしょう。この二人が企画したと思える会合に後藤正史岡山カトリック教会神父も出席している訳です。
ところで、尾上健一とはどのような人物でしょうか。

「よど号」ハイジャック事件というのがありました。その犯人の妻となり、有本恵子さん拉致を実行した八尾恵という女に、『謝罪します』(文藝春秋社)なる告白本があります。
この本は、出版時に知っていたのですが、新聞評で「自分勝手な甘い言い訳」というようなことをチラッと読んで、そんなものかと思っていました。どの新聞の誰の評であったか思い出しませんし、私の理解が評者の意向を正しく捉えていたかどうかも分かりません。しかし私はこの本をその程度に受け止め、最近まで関心を持ちませんでした。しかし実際に読んでみて、この中には真実の痛哭があることを知りました。
勿論、言い訳はあるでしょう。言い訳が皆無の文章などありません。あらゆる文章が、云ってみれば言い訳です。又、文章そのものの質からして、あるいは別なライターがいるのかも知れません。しかしここには、明らかに一人の女の真実の声が聞こえます。それであるからこそ有本恵子さんのご両親の前で、
「床に伏し、土下座した」(P.337)
そのとき、有本恵子さんのお母さんは恵を抱き起こそうとしたのです。この女性、八尾恵の運命の岐路は、

「そして二十歳の冬、私の人生の転機が訪れました。」(p.35)

それが"チュチェ思想研究会"と接点を持ったことでした。彼女は、"チュチェ思想研究会"のことを詳しく書いています。自然な形で引きこまれてゆきます。やるのは「プロ(工作員)」なのです。勿論それまでの彼女の生活に、そうなってゆく素地、反体制的なものがあります。その素地を狙い、道糸を垂らしておく者がいます。観察し、撒餌する者がいるのです。

「四月十五日の金日成の誕生日に神戸の三宮近くの総聯でお祝いの立食パーティがあり、無料で招待されました。この日は北朝鮮の祝日でした。チュチェ研は、総聯と深い繋がりを持ちながら、チュチェ思想の啓蒙、宣伝を続けていました。・・・『日本青年チュチェ思想研究会』のリーダーは尾上健一という人物でした。彼は群馬大学医学部の学生でしたが、大学を中退したと聞いています。現在は日本キムイルソン主義研究会常任委員長兼チュチェ思想国際研究所事務局長です。」(p.44)
「尾上氏は何度も北朝鮮へ渡航して、朝鮮労働党から直接指示を受けて日本で活動しているようでした。労働党から勲章もいっぱい受けていました。」(p.45)

こうした人々に影響を受けつつ彼女は、通学していた保育専門学校には一年間の休学届けを出し、アパートはそのままにして、二三ヶ月の積もりで平壤へ行きます。そこでよど号ハイジャック犯の一人と結婚させられるのです。最初からよど号犯人の妻を段取りする目的が先導者にはありました。しかしその目的は隠され、「研修旅行」と云うことで北朝鮮へ誘導されたのでした。
釣られたのです。
そして教育され、「活動家」となってゆき、やがては有本恵子さんの拉致を実行する女になります。

ここに出る尾上健一氏と、田代菊雄教授が今もなおペアを組んで活動しているのです。

これらのことから、日本人拉致という悪行について彼らが正面切った非難を一切しないのは、単に北朝鮮や金正日に親和感を持つという以上に、彼ら自体が正に加害者そのものであった、あるいはその横にいた、と私は疑うのです。