思考の断片 2

永井隆博士と原子力

野村勝美(ノムラカツヨシ)

(第25号 Apr.12.1998)

   私は、カトリックの教理についてはひたすら教わるばかりで語るに足るものを持ちません。この小文「思考の断片」では世俗的なことを世俗の場所から、何となくカトリック全体の考えと世間で思われていることについて、疑問を記してゆきたいと思います。おおむねカトリック新聞が私の情報源でありその主流と思える考えを対象としますが独断勘違いが多くあると思います。必要な注意はどうぞなさって下さい。

   何年か前一人の女性が山の手線車内で原子力発電に反対の演説を始めました。大きな声ではなっかたですが。私は「いま乗っているこの電車も昼間3分の1、夜間は半分、原子力で動いているんですよ」と云いましたがもとより論争する積りはありませんでした。
   一般的にカトリックは「反核」と思われているようです。
   細かいことは記しませんが、というのは常識的に考えれば自然な結論ですが、『核』は石油・石炭・ガスを含めもっともクリーンで「地球にやさしい」エネルギー源です。酸性雨もCO2も煤塵もダイオキシンも出しません。長崎の鐘、永井隆博士も「反核」であると、当然思われているでしょう。私は中央出版社の永井先生の著作13冊を読みました。

   殺人の道具になるということで否定するなら鉄は武器の素材として、その歴史の長さ範囲の広さにおいて比肩する他を持ちません。しかし私たちの誰も鉄を無くしろとは言いません。長崎に原子爆弾が炸裂した翌日8月10日、米軍の撒いたチラシによって永井博士はそれが原子爆弾であることを知ります。受けた衝撃を記す永井博士の文章は非常に冷静です。

   あっ、原子爆弾!
   私の心はもう一度昨日と同じ衝撃を受けた。原子爆弾の完成! 日本は敗れた!
   なるほどそうだ。この威力は原子爆弾でなければならぬ。昨日からの観察の結果は予想されていた原子爆弾の現象と一々符節を合わすものだ。ついにこの困難な研究を完成したのであったか。科学の勝利、祖国の敗北。物理学者の歓喜、日本人の悲嘆。

   そして「清木教授」を中心として「原子野」の防空壕の中で裸の学者たちが、一体これを完成したのは誰だろうか、材料は何原子だろう、などという評論を始めます。

  「とにかく偉大な発明だねぇ、この原子爆弾は――」
   かねて原子物理学に興味を持ち、その一部面の研究に従っていた私たち数名の研究員が、今ここにその原子物理学の学理の結晶たる原子爆弾の被害者となって防空壕の中に倒れておるということ、身をもってその実験台上に乗せられて親しくその状態を観察し得たということ、そして今後の変化を観察し続けるということは、まことに稀有のことでなければならぬ。私たちはやられたという悲嘆、憤慨、無念の胸の底から、新たなる真理探究の本能が胎動を始めたのを覚えた。勃烈として新鮮なる興味が荒涼たる原子野に湧きあがる。(「長崎の鐘」p67〜80)

   永井博士は医学者、原子物理学者として、更には重傷の被爆者として内からも外からも、理論的にも実証的にも、原子爆弾の悲惨を体験した人です。しかしこの方の著作のどこにも核エネルギー利用への否定の言葉は見出せません。勿論原子爆弾を肯定などしていません。それは当たり前のことです。あるものを殺人の道具になる故に否定するなら、繰り返しますが鉄はその最たるものであり、石ころでも人は殺せるのです。

  『本質的に悪しきものを神が人に与え給うはずがない』

   これが永井博士の信仰でした。原子力もその一つでした。
   私たちはかつて原子力実験船むつを、微量の放射線漏れを理由に廃船にしました。日本人の多くが、完璧なものなら実験などする必要はなく、まさにこのようなことが起こり得るから実験するのだと考えませんでした。実験の過程で多くの不都合のでることは、むしろそれだけの経験が積めて良いことである、と考えませんでした。政治家も官僚も誠実さと確信をもって国民に語らなかったのです。そのことの延長が最近の動燃の隠蔽ごまかし工作につながっているのです。
   本当のことを話せない本質で語り合えない、ものを直視できぬ弱い精神。ディスカバリーの爆発のあとレーガン大統領が「悲しいことではあるが起り得ることだ。今後とも起り得る。しかし我々は続ける」という意味のことを語ったと思います。
   被爆2年半後に出版された「ロザリオの鎖」の中で永井博士は次のように話しています。

   原子爆弾は人類に向かって宇宙にはまだまだ大きな利用資源が隠されてあるよと教えました。
   石炭がなくなり石油がなくなれば文化は行き詰まりだと悲観していた人類は、あのピカドンで全く新しい未開の沃野に飛びこんだのです。燃料、食糧、動力などの資源と、国土と人口との調節について、各国の政治家はこれまで外交と戦争とにその解決を求めて紛争を続けてきました。原子力の利用は彼等の紛争の種の大部分を解消しそうな予想がされます。(p86)

1998.3.11

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