思考の断片 

東海村臨界事件について

野村勝美(ノムラカツヨシ)

(第30号 Dec.25.1999)

 本文は原発の是非をテーマとするものではありません。組織及び職務の、「責任」とか「誠実」を問題にしました。原子力発電所については仲間のカトリック信者にも、メーカー側技術者、電力会社で使う立場の人、また原発絶対反対の人、いろいろいます。それで良いのです。(私自身は賛成の立場ですが、それを語ることが本論の目的ではありません)。

 本日11月21日現在、下の文章は「住友金属鉱山(SMM)」のホーム・ページに公開され続けています。公開されている文章ですから、全文を、その通りに引用します。

――引用開始――

                                      平成11年10月1日

報道各位

                                   住友金属鉱山株式会社
                                   社長 青柳 守城

 この度は私どもの100%子会社であります株式会社ジェー・シー・オー東海事業所転換試験棟におきまして、ウラン取扱い作業中放射能事故を発生させ、地域社会をはじめとして多くの皆様に多大なご迷惑をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます。また、被災者の方の病状を危惧しており1日でも早い回復とこれ以上被害が拡大しないことを切に願っております。
 事故の経過などにつきましては、現在鋭意調査継続中でありますが、科学技術庁のご指導のもと株式会社ジェー・シー・オーにて問題の解決に向けて懸命の努力をいたしております。原因などの究明につきましては、当局の調査結果を待たねばなりませんが、当社といたしましても私を長とする事故対策本部を設置し株式会社ジェー・シー・オーともども当局の調査に全面的に協力し、一日でも早い事態究明と問題解決に全力を尽くしたいと考えております。
 現在、事態は鎮静化に向っての第一歩を踏み出しておりますが、原子力安全委員会の先生方や、関係省庁の先生方のご指導と、核燃料サイクル開発機構の方々、日本原子力研究所の方々の現場における絶大な御支援をいただけなければ、このような速やかな鎮静化の第一歩は実現できなかったものと考えております。心より深く感謝申し上げます。

以上

――引用終――

 

   これは何という文章でしょうか。この国では今、第一級と思えた会社の社長が、臆面もなくこのような文章を流し続けて平気なのです。発信は事故翌日の10月1日です。
  「報道各位」と名指しされて、報道陣のコメントは無いのでしょうか。歴史的な事件の最高責任者が「報道各位」と名指しで発した声明に対して、報道側から何らの反応も無いことは不思議な風景です。(私の知る範囲において、この声明に正面で対応した「報道各位」はありません。)

   今回の事件に付いてJCOの運営の杜撰さが指摘されています。しかし根はもっと深い場所にあると思われます。つまり「関係者はみんな知っていた」。それがこの社長声明により想定できます。

 (「意図して起こしたものが事件で、意図せず起こってしまったものが事故だ」と云われます。私はそれに加え「当然為すべき行為」を為さなかったことに拠る事故は、実は「事件」であると申し上げます。即ち、政治においても経営においても、当然為すべきことを為さないのはそれ自体「意図」であると私は思うのです。今回で云えば作業工程の遵守、作業員への教育です。オウムに破防法を適用しなかったのも、強い「意図」です。現在日本の頽廃は、その権力を持つ者が卑怯にもそれを行使しないところに一つの原因があると考えます。)
   SMM社長青柳守城氏の声明を検討します。
   ご覧のように、これは「報道各位」に出されたもので、日本国民は云うに及ばず近隣住民にすら宛てたものではありません。声明の中では「地域社会をはじめとして多くの皆様に多大なご迷惑をおかけしております」と述べていますが、普通の社会的礼儀として、お詫びというものは直接その相手に伝えるべきもので、第三者への言葉の中でついでにいうものではないでしょう。ごく当たり前の儀礼に欠けた人物であることが窺えます。更に、この事件の影響が及ぶ範囲は、「地域社会をはじめとして多くの皆様に」という程度のものではなく、日本全体の、今のみならず未来につながる、エネルギー政策全般に関わるものです。ところで一般に、分からない言葉、非常識な文章・行為というものには、必ず、「分かる人には分かる」隠された意味があります。

 「現在、事態は鎮静化に向っての第一歩を踏み出しておりますが、・・・・」

   重大事件の発生は9月30日です。その翌日に事態の沈静化を宣言できる神経は異常ですが、それには根拠があったのでしょう、続く言葉で理解できます。

  「・・・・原子力安全委員会の先生方や、関係省庁の先生方のご指導と、核燃料サイクル開発機構の方々、日本原子力研究所の方々の現場における絶大な御支援をいただけなければ、このような速やかな鎮静化の第一歩は実現できなかったものと考えております。心より深く感謝申し上げます。」

   つまり、「原子力安全委員会の先生方」「関係省庁の先生方」「核燃料サイクル開発機構の方々」「日本原子力研究所の方々」の「絶大な御支援」によって、速やかな鎮静化の第一歩を踏み出している、先生方と「話は付いていますよ」と、「報道各位」に宣言しているのです。それに対して報道各位が納得してしまっているのが現状です。
   なぜ、かくも速やかに最高責任者が「事態の沈静化」に確信を持つことができたのか。それは先生方が今までに「為すべきチェックをしていず」あるいは「知って知らぬフリ」をしていたからです。チェック機構の無責任と怠慢、更には無能があったのです。この文章は、詫び状というより「感謝状」であり、同時に先生方に対する静かなる威嚇でもあります。彼らはみんな「共犯者」なのです。そう考えなければ意味が分かりません。そう考えればよく理解できる文章です。心底、怒りを覚えます。

   私は「原子力エネルギー」利用賛成派です。神より人類に賜わったお恵みであると思います。それ故にこそ、誠実に、謙虚に、神への感謝をもって使わせて頂かなければなりません。今回の事件は徹底的に全貌を公開すべきでしょう。しかし会社と監督機関、先生方、報道関係、そのムラの中で「話がついてしまった」ようです。この国は常に「臭いものには蓋」をするのです。近隣も、実はあまり騒がないでしょう。農家は、騒ぐことによって自分の商品の価値を下げます。そのような「忠告」も為されていると思います。事件の重大さに比し余りに早い「沈静化」を、私たちは許してなりません。

   この事件についてカトリック教会は、1999年10月7日、

「ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所におけるウラン臨界事故に関する要望書」

   として、内閣総理大臣、通商産業大臣、科学技術庁長官、宛に文書を提出しています。提出者は「カトリック中央協議会 事務局長 岡田武夫」「日本カトリック正義と平和協議会 担当司教 大塚喜直」の両司教です。この内容は妥当なものであると思います。(但しいわゆるダブル・スタンダードと思える個所があります。別な機会に別なテーマで検証してみたいと思います。)
 ところで、10月10日付カトリック新聞「展望」欄に清水靖子修道女が「クラゲたちが止めた原発」と題して発言しています。原発の出力低下を余儀なくさせたクラゲの大繁殖に対して快哉を叫ぶ文章です。船底に穴が空いたと面白がる船客です。「現在ドイツをはじめ欧米では原発を閉じる方向にある」と書いています。同じだけの強いパワーが原発継続に注がれていることを無視しています。個人としてどのような考えを持つかは自由ですが、カトリック全体の意向を代表すると受け取られる場所に不正確な情報を流すのは如何なものでしょうか。
   例えばスウェーデンです。この国では1979年のスリーマイル島事故の翌年1980年に国民投票が行われ、国民の大半が原子力開発をこれ以上行わず原発を段階的に閉鎖していくことを支持しました。現存する12基の原子炉の廃止期限をめぐってその後論議が続き、チェルノブイリ事故直後の88年には「96年までに2基の原子炉を閉鎖する」と決定されましたが、91年、3党の合意により閉鎖は延期されました。その後97年6月に国会承認されたエネルギー政策によって、スウェーデン南部にあるバーセベック原発2基の閉鎖が決定されると同時に、2010年という原子炉の全廃期限も撤廃されました。(つまり古い原発2基を廃止するのと交換に残り10基は無期延命したのです。ところが更に、・・・・)バーセベック1号炉は98年7月1日に閉鎖されることが決まっていましたが、5月、その閉鎖が延期されました。(!)
   即ち、国民投票によって原発の全廃を決議した国が、いざその時期が来たとき、原発の廃止をやめたのです。これは、単に原発を継続するということではない、重い決断です。スウェーデン国民は我々以上に切実に検討したに違いありません。スウェーデンのことの経緯を、報道陣は細かく報せるべきです。反原発を叫ぶ人たちも、この事実には必ず言及せねばなりません。スウェーデンという知的な国、自然環境や福祉にもっとも敏感と思われる国が、一端決心した原発廃棄を、何ゆえ反故にしたのか。如何なるシミュレーションによったのか。私たちはその学習をしなければならないでしょう。ドイツのシュレーダー政権下でも、おそらく、同じ経過を辿ると思います。スイスには火力発電所はほとんどありません(火力発電所建設技術は世界最高レベルのものを持っています。ABB=アセア・ブラウン・ボベリ社)。スイスは44%強が「原発」です。フランスをいうなら、フランスは電力の輸出大国で、ここで原発を撤廃してゆけば、欧州全体のエネルギー事情に大きな打撃と混乱を与えるでしょう。因みにフランスは発電量の77%強が原子力です。(スウェーデン関連以降の情報根拠はNHK−BS1で放送された“地球法廷”Part-2核と人類

 http://www.nhk.or.jp/forum/a-energy/index.htm

によります)。
 「日本では原発をすべて止めても、火力・水力で十分賄える」と清水靖子修道女は述べておられます。それ自体間違っている決まり文句ですが、例え可能としても、そのことによる悪影響に付いては無視しています。特に火力の出力増大は,酸性雨・地球温暖化に繋がる環境破壊を加速させるでしょう。石炭にも実は放射性物質が含まれていることも知らねばなりません(主にラドン系)。更に燃料の備蓄には限りがあります。いざという時の為に、プルトニウム利用迄を含めた核技術の収得は、我が国に必須のものです。

   終りに「日経エコロジー」誌7月号の記事を紹介します。それは「予想もしなかった“黒海の悲劇”」というもので、1972年にドナウ川に建設された「アイアン・ゲート」と呼ばれるダムによって黒海の生態系のバランスが破壊され、「・・・・オデッサ付近一帯にはまるで卵が腐ったような悪臭が立ち込め、大気汚染が進行した」「漁業で生計を立てていた沿岸の住民はたちまち困窮した」「黒海の水辺には、かつて青々と水草が生い茂る光景が見られたが、いつの間にか消え、今やあたり一面に有害な藻が広がり、悪臭を放っている」というものです。私ならば必要な電力はダムでなく原子力で得た方がどれほど良かったかと思うのです。(詳細をお知りになりたい方は日経BP社にお問い合わせ下さい)。

   アメリカでは原発よりもむしろダムを壊し、昔の自然な流れに還そうという運動があり、一部で実行されていると聞きます。(日本生態系協会「アメリカの自然生態系を守る制度とダム」)。私などはその運動に極めて近しいものを感じます。中国の三峡ダムも、おそらく予測を超えた環境破壊をもたらすでしょう。日本の気候にまで影響を及ぼすかも知れません。

   原子力を安全なものと私は思いません。そもそも絶対的に安全なものがこの世にあると思いません。神は私たちに物を与えるとき、叡智と誠実の限りを尽くして使うように、油断すれば危険なものとしてお与えになったのです。すべてがそうです。
   スイスでは原発の危険に対する国民への教育が徹底しているそうです(最近、車の中で聞いたNHKラジオ、海外の話題)。何であれ周知教育すべきはそのプラスとマイナスであり、その上で何を選ぶかという選択の問い掛けなのです。それが教育であり政治です。日本にはそれが欠落しているのです。火力にも水力にも当然のマイナスがあることを認識して、語り合わなければなりません。
                                                                          (終)

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