思考の断片 6 2000年大聖年記念 横浜地区・湘南地区 聖歌隊合同ミサについて(続) 野村勝美(ノムラカツヨシ) (第32号 Aug.15.2000) |
2000年大聖年記念ミサ開催の二週間前、6月11日(聖霊降臨の主日)、受堅者を祝うパーティの席で、梅村司教様と話す機会を得ました。私たちは25日の横浜湘南合同ミサに対して、司教様から何がしかのメッセージを頂けないかとお願いしたのですが、それは断わられました。理由は同様の要望が数多くありすべてに対応できなく、あれに応じこれを断わるという訳にはゆかないので、公平の為にすべてをお断りしている、というものです。私たちはそれを納得しました。 その席でラテン語聖歌についての司教様のお考えを聞いたのですが、自分はラテン語聖歌を決して否定しない、カトリックの素晴らしい伝統として守ってゆかねばならないと思っている、ただ何でもかんでもラテン語というのではなく、それがふさわしくない場合もあると思う、というもので、私には穏当なお考えと思われました。事実山手教会では昨年、聖母被昇天の大祝日を司教様の司式、Cum jubilo であげ、その際予定していないところまでラテン語で歌われ、応ずることができず慌てた経験があります。司教様に試されたと思っています。 丁度この日の少し前に、私の所属するインターネット・メーリングリストの情報で、名古屋の別な場所二カ所で「セルフ・サービスの聖体拝領」が行われたと知りました。下記は私への私信ですが「ヴァチカン誌」への転記を了解して貰っていますので、引用します。 =Mさんの野村への私信= 恐ろしいことですね。この方は、御聖体への崇敬を跪くことで表した上で拝領はしなかった、とのことです。しかも同様のことが違った場所で、違う神父によって翌週も行われたのです。ということは一部では日常のものとなっているのでしょう。 「2000年大聖年記念、横浜地区・湘南地区 聖歌隊合同ミサ」において私はたまたま事務連絡係をやることになり、多少の方向付けも出来る立場になりました。そのことは前回述べましたが、概ね実現できたと思います。侍者をした私の友人が「震えた」と云って呉れました。私たちが求めたのは「形としても」美しいミサでした。守る強い意志を持たないものは「セルフ・サービス」のような恐ろしい崩壊を招くのです。 今回の催しの主旨を「ヴァチカンの道」誌前号の私の記事でご覧になって、Y−DAGの設立時より長く事務局長を務められた大木吉太郎氏が、お嬢様やシスターの御妹様、お介添えの方たち五名で、水戸からご参加下さいました。私をY−DAGに導いて下さったのも大木さんでした。久しぶりにお目にかかれてうれしかったです。 最終参加者は聖歌隊員として16教会、274名。一般で見えられた方を入れますと310名位であったと思います。聖堂は満杯でした。あとで山手主任のバーク神父様と「跪いた」ことに付いて話しました。山手では普段は聖変化の際にも跪いておりません。これを契機に、そのことの話しも神父様との間で始められるかも知れません。 私にはいい評価しか聞こえてきませんが、多くの方が喜んでおられたことは事実です。まあ、成功であったと思います。赤羽根さんたちの築いてこられた伝統を、更に発展させつつ継承していこうと思います。 (終) |