10/06/08
5月は遂に一通の発信もできませんでした。
菅さんに替わって、民主党支持率が劇的に盛り返したと報ぜられています。
自民党は、何度もいいましたが、当面ジタバタしない方がいいと思います。
菅総理の政策(=民主党の政策)に私は賛成しませんが、興味があるのが小沢さんとの関係です。
さて今回はカトリック教会聖職者の性的スキャンダルについて。
私の属する「横浜アクション・グループ」の代表である赤羽根恵吉氏はこの記事を、同じくドイツ在住のAtsuko Lenarz 氏に送り、同氏から下のような感想を得ました。両氏のご了解の下、公開致します。 ==================== 赤羽根様、
今回の記事、赤羽根様がどれほど心痛い思いをしながらお読みになったことか、お察し致します。
このような反教会感情を最高度に煽り立てるヨーロッパ諸国は、大衆世論、教皇批判者の意見にのみ絶対の判断基準を置き、これに逆らう見解を全て保守反動と決め付けるのが一般的です。彼等の論拠を正統づけるために事あるごとく、マスコミの寵児のようにして一方的に紹介されるのは、「下からの教会」「我らは教会」また「ヴァティカンの道60号」でご紹介したZdK(ドイツ・カトリック信徒中央委員会)の役員など教会への反抗を以って進歩的と見做す人々の発言のみです。この人々は、全員が現教皇ベネディクト16世に対する憎悪で一致しています。教皇はまだ枢機卿時代に、公会議の方針を曲解し、全てを改革と称して誤った方向に走ろうとしていた教会の兆候に歯止めをかけようとして「正論」を述べたとたんに、超保守派のレッテルを貼られました。それ以来、教皇は一言発するたびに進歩の敵として世間の非難を浴びてきました。イギリスでは、教皇を「人権侵害のかどで逮捕せよ」などの意見まで出ているほどです。 それに対して教皇を知る人々、またご著書を読んだり話しを聞いた人々は皆、教皇がどのような意図からいつも的確な発言をされるかを良く知っています。しかし各方面で見識高い教皇を慕い、その言葉の深さに感銘を受ける人々など、教皇の指導下に集まり左傾した教会を正しい方向に導こうなどというグループの意見がマスコミなどで紹介されるということは、絶対にありません。この人々の存在はマスコミから意図的に無視されています。 さて「Will」誌にはハンガリアのジャーナリストの記事が紹介されましたが、私の知る限りではこの国の論評は、もともと現教皇の尊厳性を損なうような記事しか書かないようです。
次に川口マーン氏は、ここ数年のうちに急に論壇を賑わすようになった人物です。数年前に、当地の日本書店でこの方が書いたドイツ滞在記のような本を少し立ち読みしたことがあります。その中でドイツのクリスマス風景について、「クリスマスの祝いに宗教色が付きまとうのが気に入らない。」という意味のことを書いていました。ヨーロッパに生活しながらこの程度の認識度!という感じで後は押して知るべしですのでそれ以来、全く問題外でした。 元々キリスト教嫌いな同氏が、自分と無縁の教会のことなど正しく判断、観察きるはずもありません。ざっと読んだところでは、ドイツのテレビ報道や反教会姿勢を露骨にしている新聞、雑誌などを適当にまとめ、自分としての調査などは全くせずに、後は周囲の知り合いドイツ人などから聞いた話を証拠ずけとして列挙しただけのようです。要するに教会への偏見、無知、個人的な憎悪を口汚い言葉でぶつけただけのお粗末記事に過ぎないという印象を受けました。今まで読んだ反教会記事でも最低なものであったと言えましょう。
明るみになった教会不祥事は事実ですから弁護の余地はありません。問題を起こした司祭を他の地方に転任(左遷)させたところで、本人の歪んだ心理状態、病状を治癒しなければなんの解決にもならなかったわけです。このような内部解決が失敗したために世間からは隠蔽工作などと非難されるわけです。この点は教会も深く反省し、これからは各方面での専門家とコンタクトを密にしていく意向であることは確実です。 次に司祭の独身制さえ廃止すれば問題は片付くと言わんばかりの単純発想法も愚かな極みです。今回の聖職者が巻き起こした道徳的な不祥事は、教会以外の分野でも頻繁に起きています。しかしカトリック教会の不祥事のみがマスコミにより一方的に、大々的に報道されるのに対して、プロテスタント系施設、或いは無宗教の名門学校であった不祥事(その数はカトリック系施設よりも多かった)については、ごく僅かな報道のみでこのような不公正報道に疑問を思う人すら少ないというのが現状です。マスコミなどに煽動されて独身制を廃止せよ!との叫びは信徒の中でも高っていますが、私がこの人々に聞きたいのは次の点です。
司祭の結婚許可を叫ぶだけで、上記のような素朴な問に対する答えは一度も聞いたことがありません。妻帯生活のためにプロテスタントの牧師には、家族との緊張関係に直面し、数度に及ぶ離婚経験者も少なくありません。このような人々にキリスト教的家族倫理などを説く資格はあるでしょうか。
私は教会が信頼と尊敬を回復するにはこの際、過去の膿を全部出して完全な自己浄化に努め、弛緩していた聖職者は、初心の精神に立ち戻り、新たな出発をする以外に治療法はないと確信しています。独身制廃止などの安直な案は、逆に教会の秩序体系、価値そのものの崩壊に通じる危険な要素を含むことを肝に念じるべきではないでしょうか。まして教皇退位要求などは、無責任な介入以外のなにものでもありません。日本のカトリック信徒の方々が低級、粗悪な報道を真に受けて惑わされるようなことのないよう、願うばかりです。 どうぞ今後ともよろしくお願い致します。 |
ノムさんの、「観た、聴いた、読んだ、食った」 |