10/07/24
皆さん、こんにちは。

今年は「安重根没後100年」ということで韓国を中心に様々な記念行事があったようです。日本のカトリック聖職者が関与した“共同企画”なるものが実行されたようで、そのことを考えてみたいと思います。私はこれを「聖職者の政治関与」問題でなく、純粋に「宗教の、教義上の問題」と思います。
本文は私も編集委員を務めるミニコミ誌『ヴァチカンの道』62号(2010.08.15)掲載予定のもので、編集会議も終わり印刷屋さんの方に回っております。

本文の前に少し、
先週16日に、靖国神社「みたままつり」へ参りました。仕事の帰りでカバンを下げたままでした。九段下のコインロッカーは、空きが一つもありませんでした。
私は「雪洞」を丁寧に見て回ります。これが毎年の一番の楽しみであります。

李登輝先生の書
正に「誠実」と高潔を感じる字です。
李登輝先生は兄君・李登欽氏が「岩里武則命」として祭られており、平成19年6月7日、曾文恵夫人、三浦朱門・曽野綾子夫妻(共にカトリック信徒)等を伴って、昇殿参拝なさっています。(李登輝先生ご夫妻は長老派のクリスチャン)

私は17日に、自民党・谷垣禎一総裁へ靖国参拝なさるようメールを差し上げました。
ご本人に届くかどうか分かりませんが、そうなるよう、願っております。
 

===以下、本日の本文です。===
 

思考の断片33
安重根没後100周年記念・「日韓中」共同企画

5月の下旬に劇団四季の『サウンド・オブ・ミュージック』を観ました。
若い頃観たジュリー・アンドリュース主演の映画は実に素晴らしく、その後も繰り返し観ました。今回劇場で観て、このミュージカルを「劇団四季」は何年もかけて完成させていくのだろうと思いつつ、十分に感動しました。映画では気付きませんでしたが、これは実に政治的なドラマでした。ナチの台頭に対して、それを迎え入れる多くのオーストリア人がいました。“歓迎”は少数だったでしょうが、事なかれと迎えたオーストリア人が大半だったのです。でなければ、“無血”の併合はありません。
「日韓併合」は、どうだったのでしょうか。そのことを思いつつ『サウンド・オブ・ミュージック』を観たのであります。

「日韓併合」が語られるとき必ず出る名前に、伊藤博文と安重根があります。伊藤は安によって1909年10月26日、ハルビン駅において暗殺されました。この事件は「日韓併合」(1910年8月22日)の前年になります。当然「併合」は大きな政治問題になっていましたが、伊藤は首尾一貫して反対であったと言われています。その伊藤が暗殺されたことにより日本国民は激昂し、世論が一気に併合へ走った訳です。
安重根はカトリック信徒でありました。

【ハンギョレ・ファンクラブ】
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/1082830.html
という私的な資料により抜粋しますと、(どの程度信頼のおける情報か、私には判定できません)、この事件の後、教会のとった態度は、

国外に亡命し義兵活動をした安重根が1909年10月26日、日帝の最高実力者伊藤博文を処断するや、当時韓国カトリックの最高指導者だったフランス人ミューテル(1854〜1933)主教は日本検事も許諾した神父の面会と聖体聖事を拒否し、安重根がカトリック信者だという事実も否認した。また彼は黄海道,信川(シンチョン)聖堂で共に過ごした義士を訪ねて行かず、死刑直前に終傅聖事(野村註:終油の秘蹟?)を行ったピルレム神父に対して‘命令不服従’を理由に2ヶ月間ミサ執典を禁じる聖務執行禁止措置を下した。だが安重根の信仰心は変わることはなかった。彼は日本人検事の前でカトリック信者であることを明らかにし、‘人を殺すことはカトリックで罪悪ではないのか’という質問に「平和な他国を侵略し奪取し人の生命を奪おうとしているにも関わらず手をこまねいているのは罪悪になるので、私はその罪悪を除去した」と答えた。彼は長男プンドをカトリック神父にさせて欲しいと妻に遺言した。

1890年から1933年に亡くなる時まで、我が国カトリックの最高指導者であったミューテル主教は日帝の侵奪に手をこまねいていたばかりか、進んで日帝を積極的に助けた。昨年公開されたミューテル主教の1911年1月11日付け日記を見れば、安重根一家と親しいピルレム神父が安重根の年下のいとこヤコボ(アン・ミョングン)から受けた懺悔を聞いて‘朝鮮人が寺内総督暗殺を試みており、その中心に安重根の弟ヤコボがいる’という‘情報報告’を手紙で送り、‘雪道をかきわけて行き’日帝アカボ将軍に知らせたという内容がある。彼の密告で抗日秘密結社‘新民会105人’が検挙される。後日、新教,天道教,仏教など宗教界指導者らが力を合わせた3・1運動民族代表33人にカトリックは1人も含まれなかったことをはじめ、カトリックは韓国独立運動史に‘局外者’として残る。

とあります。
ミューテル主教の判断の基準は私には分かりませんが、安と検事の対話には興味があります。

「人を殺すことはカトリックで罪悪ではないのか。」

「平和な他国を侵略し奪取し人の生命を奪おうとしているにも関わらず手をこまねいているのは罪悪になるので、私はその罪悪を除去した。」
 

日本のカトリック教会は下のような巡礼旅行を企画し、実行しました。
(旅行会社のチラシより)

今年は「韓国併合」100年にあたります。
1909年、カトリック信者であった安重根(アン・ジュングン)はハルビン駅で伊藤博文を銃撃し、暗殺者として死刑囚となり、1910年3月26日大連の旅順で死刑が執行されました。
韓国の教会では、故金寿煥枢機卿が「正当防衛の義挙」であったとし、安重根の「復権」を認めています。
安重根にはさまざまな評価がありますが、その歴史的な事件は「韓国併合」と関わりがあります。
そこで、日本と韓国の両国のカトリック教会から巡礼団を組織し、中国のカトリック教会と共に3月26日に大連の教会でミサを行うことを企画しました。
もちろん、三つの国の司教が共同司式をします。ちなみに、大連教会はかつて日本人教会として設立された教会でもありました。
ともに歴史を振り返り、平和を祈るための巡礼に是非ご参加ください。
巡礼実行委員会 委員長 谷 大二

 日程 ◆2010年3月24日(水)〜27日(土)<4日間>
(以下、略)


この谷大二司教の呼び掛け文の中で語られる、

「韓国の教会では、故金寿煥枢機卿が『正当防衛の義挙』であったとし、安重根の『復権』を認めています。」

ということの、根拠が分かりません。下の新聞報道が正しいのでしょうか。

[中央日報]2009.10.26(抜粋)
ところが、恥ずかしくても天主教(カトリック)の中で、カトリック教徒としての安重根義士への評価は消極的だった。同氏の義挙が「殺人は不可」というカトリック教理に相反すると見たからだ。安義士が宗教を持った人として再評価されたのは93年、金寿煥(キム・スファン)枢機卿を通じてだ。金枢機卿は「帝国主義・日本による植民支配時代(1810−45)の教会が安義士の義挙に対し正しい判断を下せず、いろんな過誤を犯したことについて連帯の責任を感じている」とした上で「大韓帝国末期に帝国主義・日本の武力による侵略の前で、風前の灯火も同然だった国を守るため、この地の国民が自己救済策として行った全ての行為は正当な防衛、義挙として見なさなければいけない」と宣言した。かつて教会の歴史の誤りを認め、正したわけだ。

しかし、このような報道もあります。

[朝鮮日報]2010/03/27
殉国100周年:明洞聖堂で安重根追悼ミサ
「本日の追悼ミサは、安重根(アン・ジュングン)トマス義士のカトリック信者としての身分を公式に回復する意味を持っています」
カトリック・ソウル大教区長のチョン・ジンソク枢機卿は、26日午後6時から明洞聖堂(ソウル市中区)で行われた「安重根・トマス義士殉国100周年追悼ミサ」の説教で、このように話した。この日のミサは、安重根の殉国後、ソウル大教区が行った初めての公式追悼ミサだった。祭壇の左側に「天堂之福永遠之楽」と書かれた安重根の毛筆を拡大した垂れ幕が掲げられ、祭壇の正面には、肖像写真が飾られた。チョン枢機卿はミサの説教で、「安義士は抗日独立闘争の代名詞であり、平和主義者、人権運動家だった。安義士は徹底した信仰人だったが、残念なことにカトリック教会は長い間、安重根義士を信仰人として正しく評価することに消極的だった」と語った。
金翰秀(キム・ハンス)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

「朝鮮日報」の記事によれば、この日の(2010年3月27日)ミサをもって、安のカトリック信者としての身分は公式に回復された、つまりその日まではカトリックの身分が回復されていなかった、と言うことになります。

金寿煥枢機卿によって回復が為されたのだとしても、1993年です。事件から84年。終戦(光復)からでも48年。余りに長くはないでしょうか。その理由を前記[中央日報]は、

「恥ずかしくても天主教(カトリック)の中で、カトリック教徒としての安重根義士への評価は消極的だった。同氏の義挙が『殺人は不可』というカトリック教理に相反すると見たからだ。」

と記しています。(文書が少し分かりにくいですが引用文なのでそのままにします)
要は、カトリックの教理に反する行いであるとして韓国のカトリック教会は、長年、“義士”安重根の身分回復を行わなかった、と非難しているのです。教会が安を忘れていた訳ではないのです。

谷大二司教を実行委員長とする日本の巡礼団は、この点についてどのような見解を持って出かけたのでしょうか。つまり、ある条件の下では殺人も許される、とお考えなのでしょうか。

2008年9月13日、尼崎聖トマス大学において正平協全国大会の開幕式・夕食会がありました。私はそこで正平協会長の松浦悟郎補佐司教と話しました。師は“非武装”“無抵抗”を説いておられます。

「司教様のおっしゃる非武装・無抵抗と言うことは、もし他国から攻められたら日本国民に、無抵抗に、死を、もしくは隷従を受け入れよ、ということですか?」

「そうです。それがなければ何のための信仰ですか。」

松浦司教は確信をもってお答えになりました。この会場には谷大二司教もおられ、翌日私は谷司教の、「憲法20条」についての講演を拝聴しました。
個人的な「正当防衛」でなく、民族的政治的、つまり公的な理由で、如何なる条件の下では殺人が許されるのか、谷司教にはそれを語る義務があると思うのです。

安重根問題は、「政治と宗教」の問題でありません。従って、日本の聖職者が又も政治問題に首を突っ込むのか、と批判するのは本質的な観点でありません。攻撃する意志のない無防備な人間を、予告なく殺害する、如何なる要件があればカトリックはそれを認めるのか。これは純粋に「宗教・教義上」の問題であって、「安重根没後100周年記念共同企画」に参加した聖職者は、それを私たちに説明する義務があります。

(終わり)
→PDF.ファイル

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