120. 先人が伝えてくれた祈祷文を再評価したい。   2012年5月25日)

天使祝詞をもういちど唱えてみよう。

『めでたし、聖寵(せいちょう)充ち満(みちみ)()てるマリア、(しゅ)御身(おんみ)(とも)にまします。御身(おんみ)(おんな)のうちにて(しゅく)せられ、御胎内(ごたいない)御子(おんこ)イエズスも(しゅく)せられ(たも)う。
 天主(てんしゅ)御母(おんはは)(せい)マリア、罪人(つみびと)なるわれらのために、(いま)臨終(りんじゅう)(とき)(いの)(たま)え。
 アーメン』(傍線は筆者による)


<この祈りの味わい> 
この祈りのことばを聖書の「天使のお告げ」(ルカ1.30〜32)の箇所を参照しながら、みんなで味わってみよう。

「めでたし、」…祈祷文
この最初の文節に、聖書が伝えるイエズスの誕生が予告された場面が再現されようとしている。だれが「めでたし!」といったのか?それは大天使ガブリエルである。そして続けた。「おめでとう、恵まれた方。」(ルカ1.28)

「…聖寵充ち満てるマリア」…祈祷文
これは大天使ガブリエルが乙女マリアへ受胎告知をした言葉を示している
「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。」… 聖書
 大天使ガブリエルはつづけていった。
「…主御身と共にまします。」…祈祷文
「あなたは身ごもって男の子を産む」… 聖書
 大天使はさらにつづけていった。
「…御身は女のうちにて祝せられ、
御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。」…祈祷文
「その子をイエズスと名付けなさい。その子は偉大な人となり、いと高き方の子と言われる。」… 聖書

<聖書の趣旨を忠実に再現した簡明な日本語の祈り>
➀聖書にある大天使ガブリエルのマリアへのお告げの内容を、わずか最初の2行(傍線部分)で見事に表現し尽くされている。文語体の素晴らしさに感動を覚えませんか。 
➁含蓄のある深い意味を、祈ることばとして簡素で優雅な響きを持ってとなえられるこの祈祷文は、先人たちが残してくれた珠玉の宝物ではないだろうか。

<祈ることばの価値>
祈ることばは、心の底からほとばしりでる精神的な響きをともなうものである。
祈りのことばは単なる道具ではない。カトリック教会の信仰の伝統を後世に伝えるもので、これをおろそかに扱ってはいけないと思う。そしてわたしたちはこの祈りを後世の人々に祈り伝えなければならない義務があると思う。

第二バチカン公会議以降、「刷新」という合言葉が独り歩きして、ラテン語の祈りや聖歌を軽視ないし遠ざける聖職者がいる。そして祈りのことばさえも美しい文語体から、若者が分かりやすいようにと口語文に書き換えることをしてしまった。信仰から伝統を抜き去ってしまえば、単なる形骸だけが残り、信仰の神髄から離れてしまう。聖母マリアへの崇敬の念を表すことに異論をとなえたり、聖母像を聖堂の端に移動してしまう聖職者がいるが、とんでもない愚行であると思っている。

世界の大宗教といえども、カトリック教会(東欧聖公会を含む)以外には、「神」と「人間」との間に、今でもキリストの御身体と御血をもって「神性」と「人間性」という神秘の垣根をこえた姿を現実の世界に伝えている宗教は他にはない。その立役者がまさに「聖母マリア」の存在なのである。

<「聖母マリアへの祈り」の批判的評価 >
「聖母マリアへの祈り」を順に検討してみよう。
「恵みあふれる聖マリア、」… 新祈祷文
   この祈りだけでは「あたりまえのこと」をいっているだけでポエジー(詩情性)がなく、ましてや、大天使の「お告げ」のことばを連想できない。
「主はあなたとともにおられます。」… 新祈祷文
   まるでわたしたちが聖母マリアにお話ししているようです。
「主はあなたを選び、祝福し、」… 新祈祷文
   大天使でもなければ、このようなことをいえないが、最初の出だしから誰がいっているかわからない文章にしたために、大天使の「お告げ」を表す言葉との間に整合性がなくなってしまった。
「あなたの子イエスも祝福されました。」… 新祈祷文
   ここまでを祈り唱えても、聖母マリアを讃える気持ちが起こらないのは、大天使のお告げのようすを表す「めでたし!」ということばがないためです。

<一体だれが口語文にかえたのだろうか?>
祈祷文が文語体から口語体に変えられたころ、梅村司教さまが大船教会で堅信
式を司式されるためにお越しになりました。式のあとで、司教様に祈祷文を替えた理由を直接お聞きしました。文語文ではわかりにくいので、若者にもわかりやすくするために、宗教家、言語学者、その他専門家が集まって新しい祈祷文を作ったのです、とお答えになったと記憶しています。
わたしはどうもしても納得できず、従来の祈祷文を唱え続けてもよろしいかと伺ったところ、ミサや公式の祈りのなかでは新祈祷文を統一して唱えることになりましたが、個人または私的な集まりでは旧祈祷文を唱えることは差し支えありません、とのご返事でした。

聖職者にたいするわたしの敬愛の情は、いささかも変わっておりませんが、なぜか、大好きな「天使祝詞」だけは、すんなりと「はい解りました」といって「聖母マリアへの祈り」へ切り替えることができず、迷い続けています。

ことある毎に聖母マリアのおとりなしを願い続けてきたわたしにとっては、朝夕の祈りのなかで、天使祝詞を唱える時がもっとも心を落ち着けて祈れる瞬間なのです。この信仰体験は、故ヘルムート・ウルフ神父さま(イエズス会)が今から60年前に高校生だったわたしたち生徒を対象にした黙想会で情熱をこめて教え導かれた信仰の賜物なのです。マリア信仰であると批判する人がいますが、マリアを神様とみなして祈るなら、それは間違いです。しかし、聖母マリアの主へのおとりなしをねがいつつ敬愛の念を以て祈ることは、カトリック教会の信仰生活の大切な部分であります。

参考までに英語の天使祝詞をみてみましょう。「日本語の天使祝詞」の神髄をよく伝えているではありませんか。
Hail Mary, full of grace! The Lord is with thee: blessed art thou amongst
Women, and blessed is the fruit of thy womb, Jesus .
Holy Mary, Mother of God, pray for us sinners, now and at the hour of
our death. Amen.

いつの日か再び「天使祝詞」が日本カトリック教会の正式の祈りの言葉として唱えられるようになることを心から願いつつ、その時を待ちましょう。