【従軍慰安婦】について考える
 

2000/05/15 (月) 22:02
(これは以前に、私の仲間が主宰するカトリック信徒仲間メーリングリストへ投稿したものです。若いメンバーが多いので、多少説教っぽくなっています。文章は走り書きの荒さがありますが、 当時のままで手を加えておりません。)


もう二年位前になりますか、当社栃木事業所の所長から報告がありました。
私が栃木へ行ったときの報告で、つまり直後に報告するほどの価値を感じなかったのでしょう。話はこうです。当社の営業担当者Aがお得意先B社の担当者よりリベートを要求されたというのです。

ごく単純化して書きますと、ある工事案件に1000万円の予算がある、しかるに当社から出た見積りは920万円である、それを980万円で発注するから20万円ほどを自分のポケットに入れて呉れないか、というものです。Aは、上司と相談します、と云って帰ったのです。

で、上司(所長)に相談しました。所長の答はこうでした。
「なぜ、相談しますと云ったのか。なぜその場で、うちはそんなことしませんと断らなかったのか。すぐ断わってこい」
「でも、注文がよそへ行くかも知れません」
「よそへ行くなら行けばいい。うちはいらん」

それで良かったでしょうか、と所長が私に聞きましたが、勿論それで良いのです。そういう受注は一度やるとクセになり、A自身も我が社も、腐るのです。一時的には受注による利益があっても、比較にならぬ毒素が体に入ります。
(結果としてその工事は当社に注文が来ました。その後も変らず注文は来ています。そのことはB氏にとっても良かったと思います。)

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私が最初から客先担当者の接待等を、一切しなかった訳ではありません。
昭和44年(1969)東京に出店し私が所長として赴任した時(27才でした)一軒の得意先とて無い訳ですから、相当のことをしました。私は大抵のことは知っているのです。夜の銀座に無関心だった訳ではありません。大阪へ帰る前に4年半の東京生活がありましたが、もとより銀座のクラブなんて映画の中の世界でした。だからお客とも行きました。しかし、夜の世界が面白かったかと問われると、面白かった記憶は無いですね。結局ちょっとの期間は「夜の蝶」に好奇心が沸きました。あとは白けました。だから接待を止めたのです。高尚な理由は何もありません。自分が面白くないから止めただけで、自分勝手なだけのことです。私には「秋田屋」が最高ですね。

それはそれとして真面目な理由は、商取引の過程における相手担当者への個人的な利益供与が、その相手への軽蔑につながるように思えるからです。私は(私たちの会社は)常に相手を尊敬し、正々堂々と商売したい、そう思うのです。


OHさんは書きました。
>> 妻からこの話を聞いて、たいへん複雑な気持ちになりました。受け取った医師を非難すべきでしょうか。
一面ではそうでしょうが、一見して貧しいことが予想される老女性が、必死の嘆願を込めて、懐にねじ込んでくると、銭金の問題ではなくて、その「切なるいじらしさ」というのですかな……医師の方も断ると、気を悪くしないかという懸念がされで、受け取っても仕方がないと思うようにもなるでしょうな。>>

これは私にも経験があります。
私は取引先からの中元歳暮の類をすべて断っていまして、一つの例外を除いてどこからも何も来ません。例外というのが小さな家族経営の有限会社で、60近いお母さんが経理をみているようなところです。高価なものでなく缶ビールのセットなのですが断りの電話を入れると、「倅がいつもお世話になりまして」、そして何としても気持ちだから受け取ってくれ、というのです。これを強いて断ることはそのお母さんに、こちらの意図しない不安を与えるのではないか、そう思いまして、「それなら有難く頂戴します」ということで、ずっと頂いております。

もう一つ、こんな経験があります。これはきわどい話題になりますが、14,5年前、日本がまだ浮かれていた頃です。ある機械問屋の招待で韓国へ行きました。私は私のみならず全社員に仕入先からの接待受を厳禁しています。飲食の必要があれば、金は必ずこちらで払え(勿論会社費用でよろしい)と命じているのです。しかしその機械問屋は先代からの付き合いで、創立50年とかの謝恩行事ということでした。招待されるのも30人位いたので、当社からは私が行くことにしました。夜、綺麗な料亭で宴会があり、チマ・チョゴリの美しい女性が客一人に一人ずつ侍りました。それがいわゆる「妓生パーティ」であるらしいことはすぐ気付きました。私に付いた女性は間違いなく美人でした(松坂慶子にそっくりでした)。それにチマ・チョゴリは日本の着物とは違う華やかさがあります。困ったことになった、と同時に、最後に逃げ出せばいいや、と私は思っていました。

ここで「集団の中の個人」の問題にぶつかる訳です。

宴が終わりホテルへ帰る車が回され、それぞれが相方を連れて乗り込みました。私は私の相手女性に来なくてもいいと断ったのです。そしたら、血相を変えるとはあのことですね。どういう訳か、と私を詰問しました。私はそういうことはしないんだ、といいましたが、納得しません。こんなひどい辱めを受けるのは初めてだ、私のどこが気に入らないのか、と喚き出さんばかりです。私は団体の中でみんなに迷惑をかける訳にゆかず、とりあえず彼女をホテルへ同行しました。

ここで、集団というものにおいて、モラルが逆転していることが分かります。買春ということを逡巡することが「団体」又は「団体行動」に迷惑をかけることでした。「売春」を断られることは女にとって辱しめでした。
だから他人に迷惑を掛けたくない、女を辱しめたくない、と思えば、買春しなければならないのです。そして論理的には、そこにいた30人の男全員に、それは当て嵌まります。みんな、本当はイヤだったかも知れない。
その恐ろしさが組織、企業であり国家であるのです。

汚職した公務員も、本当はしたくなかったかも知れない。しかし、しなくてはその組織からはじかれる、そんなものがあるような気がする。

さて、お終いまで書かなければいけませんね。ホテルの部屋に二人で入って私は、お金はあげる、あなたに魅力がない訳ではない、しかし私はしないんだ、といいました。中々納得しませんでした。相当に自尊心を傷つけられているようでした。「私ニハ 、ワカリマセン」と何度もいいました。仕方なく私は、胸の十字架を見せました。それで何となく落ち着いたようでした。私は冷蔵庫からビールを出し、二つのグラスに入れました。飲み終えて、片方のベッドを指し、「もう寝なさい」と云いましたら、ようやく信用した彼女はベッドに入り、ほとんど数秒という早さで寝息を立て始めました。眠りに入る早さが哀れでした。美しい顔の底の深い疲れを、可哀想と私は思いやりました。いま、どのような生活をしているのでしょうか。

以上で終わりです。とりとめない話しですみません。


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2005.01.19

上の文章では書きませんでしたが、私が胸の小さい十字架を見せ、「自分はカトリックだ」といったとき、女は「私もカトリックだ」といったのでした。そしてマリア・****という自分の洗礼名をいいました。 マリア・マグダレナ、マリア・フランチェスカ、そうした名前だったのでしょう。
遠藤周作氏の文章の中に、ローマだったでしょうか、前夜街角に立っていた娼婦が朝のミサで祈っていた、その姿を記したものがありました。

「売春防止法」は、昭和31年5月24日に法律第118号として公布され、昭和32年4月1日に施行されました。その後何回か改変されているようですが詳しい内容を知りません。それ以前、わが国で「売春」は罪でなかったのです。現在でも売春が公認されている国は数多くあります。
昭和32年といえば私は15才で、「赤線」の街並を知っています。法律は施行されても、随分長い間、赤線は存在したと思います。大阪でいえば、「飛田」「松島」、通常生活圏のすぐ近所にあって目に入っていました。活字では「遊郭」と書かれましたが、 一般に「女郎屋」と呼ばれていました。何をするところであるかは、知っていました。

韓国女に対して私が売(買)春を断ったとき、女は「恥をかかされた」と怒りました。そのことを私は異常と思いません。自分は「女に恥をかかせた」のだろうと思います。
戦前、「併合時代」は違ったのでしょうか。売春は恥で、日本人は韓国女性の尊厳を踏みにじり、「性奴隷」にしたのでしょうか。その時代にも私と同じ状況はあったでしょう。その時、「断ったら」、彼女たちは尊厳を認められたと喜んだのでしょうか。

参考になる事例があります。昨秋、韓国で起った出来事です。2004年9月23日、韓国では「性売買特別法」が施行されました。 日本の「売春防止法」がそうであったように、韓国でもこの法律の成立には「女性団体」の発言が大きかったようです。その「女性団体」に対して、売春婦たちが「公開討論」を提案しています。


朝鮮日報2004.10.20
記事入力 : 2004/10/20 15:14
【性売買】売春女性らが
女性団体に「公開討論」を提案


 性売買特別法により生計手段を失い、集団で反Pツしている全国の売春業女性らが20日、性売買根絶を協力(強力?)に主張している女性団体との公開討論を呼び掛け、注目を集めている。
 全国の集娼街(売春街)の女性代表20人余はこの日、ソウル・プレスセンターナ記者会見を開き「私たちの立場を公開で話せる機会さえ与えられていない」とし、「陳述し合理的な対話の場を持ちたい」と女性団体に提案した。
 彼女らは「特別法施行後、多くの被害女性らが女性団体に助けを求めたというが、その統計でも公開すべきだ」とし、「けれども、万が一、売春女性らが消えるべきならば、その手続きと時間に対する解決策も一緒に話し合おう」と主張した。
 また「実際に携帯電話を追跡しドアにカギを閉めながら営業する闇の売春業者があるのは事実」とし、「しかし、そうした被害女性と生計のため自由意思を持った女性らを区分し法を適用してほしい」と要請している。
 さらに被害女性のための保護施設については「生活する上でも物足りないが、そこで行われる再生プログラムがフローリスト、美容、料理などに限定されており、適応が難しい」と不満を打ち明けている。
 そして「1か月の生活費支給も10万ウォンに過ぎず、再生プログラム修了後、創業資金に3千万ウォン融資してくれるとしているが、3年以内に返済しなければならず、結局借金を背負うことになってしまう」とし、「これが(風俗業者からの)前借金と何の違いがあるだろうか」と疑問を投げ掛けている。
 売春女性らは特別摘発期間の終了後、再び店に出るのかという質問について「生計のため死ぬ覚悟で闘うつもり」と答え、「デモへの強制動員説」については「徹夜でデモをするため疲れた体にムチ打って通りに出た」と真っ向から否定した。
 これに対し韓国女性団体連合側は「性売買による被害女性らが公開討論を提案してくれば、事実関係を把握した後、内部論議を経て決めたい」とし、「しかし性売買被害女性らと女性団体とは意見が食い違う争点はない」としている。
 女性連合側は「実際に今日の記者会見には一部地域の女性らは参加しなかった」とし、「会見場に来た女性らが実際に被害女性たちなのか、それとも業者関係の女性たちなのかについての把握も必要だ」と強制動員説に対する疑惑もほのめかした。

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朝鮮日報2004.10.19
「性売買特別法撤廃、生存権保障」求めデモ


 全国17の地域の売春街で働く女性と周辺の商人など2800人余は19日、ソウル・清涼里(チョンリャンリ)駅の広場で集会を開き、性売買特別法の撤廃と生存権の保障を要求した。
 参加者らは宣言文を通じ、「何の対策もなく法を施行し、売春女性の生存権を奪っている」とし、「人権と互いの利益を保護するために作られた法が、むしろ人権を蹂躙する悪法になった」と主張した。

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朝鮮日報2004.10.07
売春街の女性3000人が国会前でデモ(→画像)


 7日午後12時30分、ソウル・汝矣島(ヨイド)の国会前。3000人余の女性が全員帽子をかぶり、マスクをして歩道と車道2車線に座り込んでいた。彼女たちはソウル、釜山(プサン)、大邱(テグ)、江原(カンウォン)など全国12か所の売春街から集まった。

 ソウル・清凉里(チョンニャンニ)の売春街(通称『清凉里588』)から来た参加者らは、ジーパンにTシャツなどの普段着に、赤い帽子と白いマスクをしていた。ソウル・龍山(ヨンサン)駅にある売春街から来た女性たちはそろいの紺色の帽子をかぶって座っていた。
 売春街別に異なる色の帽子とマスクを準備し、「生存権保障」「2007年まで猶予せよ」などと書かれたたすきを肩からかけていた。
 司会者が集会場の前に設けられた舞台でマイクを取った。 
 「弥阿里(ミアリ)の姉妹の皆さん、いらっしゃいましたか?立ち上がって下さい」「永登浦(ヨンドゥンポ)の姉妹の皆さん、集まりましたか?立ち上がって下さい」。
 呼ばれた地域の売春女性たちが立ち上がるたびに喚声とともに拍手が起こった。参加者たちがこぶしを握ってスローガンを叫び始めた。「生存権を保障せよ!」「私たちを職業人として認めて!」。

 史上初の売春女性らの全国集会のため、地方警察署の情報課の刑事までソウルに押し寄せるなど、警察は極めて緊張した雰囲気だった。中でも警察は女性参加者らが裸でデモをする可能性があるとの情報を入手し、100人で構成された女子警察1個中隊と毛布60枚を現場に緊急投入した。
 しかし、女性らは太鼓などを動員して集会の雰囲気を盛り上げ、時々歌を歌っただけで、裸でのデモは行わなかった。

 女性らは「生存権を踏み潰さず、われわれの職業を認めよ」「対策のない性売買法で全国が売春街と化す」などと書かれたプラカードを振りながら、「性売買特別法を改正せよ」「女性団体はわれわれを利用するな」などスローガンを叫んだ。
 自由発言を通じて、十数人の性売買女性が発言するコーナーもあった。通称「弥阿里テキサス」から来たある女性は「父の治療費と弟たちの学費を稼いでいる。家族を養っている人のためにも(性売買法の施行を)猶予してほしい」と語った。
 司会を務めた京畿(キョンギ)道・水原(スウォン)の売春女性は「政府対策は他のところに就職させてくれるというものでもない」とし、「闘争を続けよう」と呼びかけた。
イ・ヨンス記者
hejsue@chosun.com

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「性」の問題は、男にとって切ないものです。
日本を責める韓国もまた、ベトナム戦中にかなりのことをしています。戦後、「進駐軍」を相手にした日本女性も多くいました。私の年代では、子供ながらにそれを見ています。良いこととは言わない。しかし、いつの時代、どの場所にもあったことです。現在あるし、これからもあり続けるでしょう。

「日本軍慰安婦制度の責任者を裁く民衆法廷」=「女性国際戦犯法廷」
というのが開かれ、NHKが、それを材料とした番組を放映したそうです。
昨年デモをした韓国の女性たちを招いて、もう一度やってみたらどうでしょう?

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