思考の断片 1

部落のこと

野村勝美(ノムラカツヨシ)

第24号(Dec.25.1997)

   私は昭和17年に生まれ今年55になる。出は徳島である。徳島市で生まれたが米軍の空襲で全焼し母の里である県南に移った。里は農家で私たちは馬小屋の2階で暮らした。爾来、馬は私のもっとも好きな動物である。飼葉桶には入らなかったが一年位屋根裏に居た。
  父は剣道具を作る職人で母もそれを手伝っていた。敗戦後は剣道そのものが禁止されていたので、父母はおそらく私の思い及ばぬ苦労をしたと思う。優しい人たちであった。

 子供のころ、トランプ遊びで「神経衰弱」というのがあった。アトランダムにばらまいたカードを一度に四枚だけめくる。その際同じ数種のスペード、ダイヤ、ハート、クラブを一気にめくることができたならそれは自分のものとなる。2枚3枚の所在は確認できても4枚目が分らない。その為、確認のため発掘のため、あるいは発見のため、「忘れないように」めくる。めくり、確かめる。

  実社会で多くの人が同じ事をしている。忘れぬようにめくっている、善意から、あるいはそれが利益になるから。
 私の父母は部落民ということの知識を私に一切与えなかった。そのような言葉を私は大学に行くまで知らなかった。玉井君という親友がいてしょちゅう私と遊んでいたが、父母は彼を部落の子供とは一言も言わなかった。知らなかったはずはない。ずっとあとになって、私は彼が部落民であったことを知った。知って、私は何もかわらなかった。変わりようがなかった。変わるべく基本OSが私にはインプットされていなかった。当然私も子供たちには教えなかった。教える価値のないことだった。差のないものを差がないと教える、本当は教えようもないのである。差があると心の底で思っているものが、わざわざ差がないといいたがるのだ。
 教えないことそっとしておくことが、最良の解決であることがいっぱいあると思う。部落問題は誰もが何もいわなければ20年を要せず消滅するであろう。

 

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