2005/06/23
皆さん、こんにちは。

20日、ソウルにおける日韓首脳共同発表で小泉総理が引用した歌人、孫戸妍(ソン・ホヨン) 先生の歌に興味を持ちました。何年か前、確か産経新聞にインタビュー記事があって、どこかに切り抜きを置いてあるはずです。1923年生まれで2003年(平成15年)11月22日にお亡くなりになったようですから、最晩年の記事だったのでしょう。探せば見つかると思います。→日経新聞でした。

とりあえず、講談社出版サービスセンター刊・北出明編著 『風雪の歌人-孫 戸妍の半世紀』を手に入れました。


切実な願いが吾れに一つあり争いのなき国と国なれ

小泉総理が20日の日韓首脳会談後の「共同発表」で引用した歌は、この本の末尾に近く、
「憲政会館における講演録(1999年1月29日)」
の中に出てきます。
強い感動を感じる講演ですね。
私はこの文章を、日韓両国が教科書の副読本として採用すればいいと思います。

孫先生は、平成10年(1998)1月14日、宮中歌会始の陪聴者として参内します。

大いなる歴史の中に吾もいておろそかならぬ吾が命かも
晴れの日に合わせて縫いしチマチョゴリ着て慎ましく歩きみるかな
百済人の末裔として歌を詠み歌会始の列に連なる

そして、2000年10月20日、韓国政府(金大中大統領)から、
“日本の伝統詩である和歌を通して韓国民の感情を日本に伝えてきた功績”
により、「花冠文化勲章」を授与されました。

日韓の共に囲まれ祝わるる半世紀余の年流れ来て
国境を言葉の壁を乗り越えて吾が咲かせみる無窮花の花を

平成9年(1997)6月1日、青森県六ヶ所村に孫戸妍先生の歌碑が建立されました。

君よわが愛の深さをためさむとかりそめに目を閉じたまいしや

日本人というのは、良きものを素直に認める民族なんですね。その品位の高さは、世界で抜きんでていると思います。韓国人にそうした姿勢が少しだけあれば、現在の日韓関係は随分違うものになっているでしょう。どうすればいいんですかね。
私の大好きな記者、産経の黒田勝弘氏は、「2005.06.21【日韓40年 韓流と反日と】(上)紹介されない協力の成果」の中で、

1.韓国では先ごろ国交正常化交渉時の外交文書が公開された。過去補償は韓国政府がまとめて受け取り個人への補償は韓国政府が支払う−で両国は合意していたことが明らかになった。→個人補償は韓国政府の責任
2.正常化に際し、日本が提供した五億ドルの使途→浦項製鉄、京釜高速道路、ソウル地下鉄、昭陽江ダムなど韓国のあらゆる分野での日本の協力。
3.日本の経験を導入し飲料ビジネスや百貨店ビジネスを一変させたヤクルトやロッテの功績。韓国の即席ラーメンが日本の明星食品の無償協力で始まったことなど。

これらのことが、韓国民にはほとんど知られていないそうです。黒田氏は、
“韓国にかかわった多くの日本人が「政府やマスコミが日本の対韓協力の成果を正直に評価し、国民に正確に知らせていれば反日感情も少しは変わっていただろう」と言っている。”
と記しています。ソウル地下鉄開通式の日、日本人は誰も招かれていなかったそうです。しかしそこに日本の資金的技術的支援のあったことは、他ならぬ運輸相として日本と折衝した白善Y(ペク・ソンヨップ)将軍の、「 若き将軍の朝鮮戦争」に詳しく書かれています。よど号ハイジャック事件が契機となり日本の政府高官との接点ができたことが良い方向に回りました。この開通式の日、朴正熙大統領も出席の予定が、直前に文世光事件が勃発しました。
話しが横路に入りますがその月の日韓がらみニュースを検索しますと、

1974年
  8.14 韓国政府、金東雲一等書記官をシロと断定、捜査打切りを通告。日本政府は不満を表明。(金大中事件)
  8.15 朴正熙大統領暗殺未遂事件。独立記念式典出席中の朴正熙が狙撃される。流れ弾に当たった陸英修大統領夫人が死亡(文正光事件)。ソウルの地下鉄が開通する。
  8.19 陸英修大統領夫人の葬儀デモに200万人が参加。田中角栄首相も葬儀に参列。
  8.29 木村外相、韓国に北からの軍事的脅威は客観的にないと国会答弁。韓国外務省、木村発言は認識不足と反論。

木村外務大臣が、「韓国に北からの軍事的脅威は客観的にない」と語ったことに対して、韓国外務省が、「木村発言は認識不足」と反論したのですから、時代が変わったんですね。正常だった、とも言えます。

もう一度、黒田勝弘氏の記事に帰りますと、

最近、ソウル日本人会(SJC)で講演した評論家の池東旭氏は韓国の反日について「もういちいち反応する必要はない。今後は“ビナイン・ネグレクト(丁寧な無視)”でいきなさい」と言っていた。一方、最有力紙、朝鮮日報の姜天錫論説主幹(元東京特派員)は最近のコラムで、日韓はお互い「病(やまい)と慣れ親しむしかない」と書いている。歴史認識の違いに起因する日本の“妄言病”と韓国の“反日病”にはそれぞれ戦うのではなく、異見、不和は我慢しようというわけだ。こうした一歩引いた姿勢こそお互い成熟なのだが。(ソウル 黒田勝弘)[産経新聞 2005年6月21日(火)]

韓国人の池東旭氏ですら、「丁寧な無視」をしなさい、と日本人にアドバイスするほどですから、“韓流”は韓流として楽しみつつ、しばらくは淡々と付き合うしかないですな。しかしこっちが“淡々と”していると、日本はオレたちを無視していると怒るのですから、やっかいなお隣に違いないです。趙英男氏もついに「親日発言を深く謝罪」させられました。日本の感覚ではイジメ、リンチですが、逆方向なら韓国まで出張って騒ぐ日本の特定グループも、なぜか、何も言いませんね。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=64627&servcode=400&sectcode=400

私は違った国が違った歴史観を持って、当たり前だと思います。こんなことを書くまでもないでしょう。当たり前すぎることです。相手国の歴史観におもねって妥協することが本当の友好につながると思いません。友好とは考えを同じくすることではなく、お互いの考えを尊重することです。違いを認め合うことです。だから、友好には明確な『垣根』が必要なのです。それより先は口も手も出さぬ、垣根です。小泉さんのやっていることは、その線を明確に相手に示しているのであって、かたくなとか頑固とか、忠告を聞かないとか、そんなレベルとまったく違うものです。日本には垣根がなかったのです。だから相手は言わなきゃ損と、スキなことを言ってきた。放っておいたら、いつか日本国民がブチ切れるでしょう。そうした事態を招かぬ為に、小泉さんは意識して突っ張っていると思いますし、長い友好の為には必要なことです。中国へ行って帰っては小泉さんに意見する、その人たちこそ、本当に害毒であると思います。

不思議なことに、日本を好きな韓国人が何人もいます。その人たちの日本の美点を見る目は強く深いですね。ありがたいことと思います。
同じように、韓国・朝鮮(北朝鮮に非ず)を好きでたまらぬ日本人もいっぱいいます。私はいま、それらの両方を読んでいます。勿論、手厳しい批判はあります。黒田さんは韓国に厳しいです。しかしあの人がいわば韓国に惚れていることは、韓国人にも分かるでしょう。認めた上で言いたいことを言う。そのことをより強く、韓国人に気づいて欲しいと思います。

名越二荒之助先生編著 『日韓共鳴二千年史』 を、いつも座右においています。
 

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以下、もう一度 孫戸妍先生に帰って追記です。特定の知人を念頭に書きます。
平成10年(1998)10月、孫戸妍先生は高岡市の『高岡万葉祭り』に参加しています。

・・・・戸妍は俄に胸の高鳴りを覚えた。近代化が進んだ故国ではもうあまり見られなくなった吉兆のしるしである七つの虹色の布が、船全体を飾っているではないか。その虹色は先祖代々大事にされて来た色彩であり、布は、戸妍の子供の頃は男女の別なくチョゴリの両袖に縫い当てられ足り、新婦が嫁入りの際に持参する敷き布団の下地に使われたものである。おそらく百済からの渡来人達は遙かなる祖国の名残として虹色の布を懐かしみ、大切にして来たのに違いない。せめて、お隣の国だけでも大事に保存され、子々孫々の代まで引き継いでいってもらいたい、と願わないではいられなかった。

チマチョゴリ装いながら吾れは嗅ぐ百済時代のその残り香を
時を超え歴史の中に吸い込まれ逝きし人とも溶けあう日かな

孫戸妍に朗唱の順が回ってきた。

或る本の歌
二十六番

み吉野の 耳我の山に
時じくぞ 雪は降るといふ 間なくそ 雨は降るといふ
その雪の 時じきがごと その雨の間なきがごとく
隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を

この歌を孫戸妍は、

一回目は普通に読み終え、二回目は即興の節回しで謡い始めた。普段は音程が安定しない戸妍であったが、この時ばかりは自分でも生涯最高と自負したくなるほどの出来栄えであった。殊に、終りの句、「思いつつぞ来し その山道を」に至って感情はクライマックスに達し、戸妍は知らず知らず両手を上下にゆらゆらとさせ、あたかも舞を舞うような動作を取っていた。

因みに、万葉に並びおかれた二十五番は、

み吉野の
耳我の嶺に

時なくそ雪は降りける
間なくそ雨は雰りける

その雪の時なきがごと
その雨の間なきがごと

隈もおちず
思いつつぞ来し
その山道を      (万葉集巻一之25)

これは大海人が天智のもとから吉野へ去った道中を、天武となって後、思い起こした歌です。吉野に降り続く雪。降り続く雨。その中を、思い悩みつつ山道を来た。命を掛ける決戦の近いことを大海人は知っていた。心の底にまで吹き込む雪。雨。吉野の山道は、そのような道なのであった。壬申の乱、勃発直前です。
 

国境も時空もなき世に息づきて吾れは幸せの絶頂にあり
渡来せる宮びとの血も引いていなむ万葉まつりの夜逢いし

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