2008/06/17
皆さん、こんにちは。

先日、尊敬する仲間U氏を含めて歓談したのですが、たまたまU氏が、司馬遼太郎氏の『昭和という国家』(NHK出版)について語り始めました。
実は丁度私が、その本を読んでいたのでした。偶然ですが、いま興味を持っているものが何となく、同じ書物へ導いたのでしょうね。
私にとっては再読、あるいは三読になります。
昭和61(1986)年、NHK教育テレビで放映され、私は欠かさず見ましたし、ビデオも購入しました。しかしここ数年は書棚の奥に収まっていました。

昭和前期についての、多くの本を読みました。これからも読んでいくと思います。
「戦前」というものが、どのようなものであったのか、それを知りたいと思います。そして、「戦争をしない為に」、何が必要で有効なのかを、考えていきたいと思うのです。

憲法九条を保持し、武装を棄てれば平和が確保されると、人類史に在ったことのない状態を、確信ありげに主張する人々がいます。
これへの反論はむずかしい。実証できないからです。実証できたときはすべてが終わり、取り返しできないのです。

さて、司馬遼太郎氏の『昭和という国家』ですが、他のお二人の作品と、出てくる言葉が交差しつつ、響き合います。
古山高麗雄氏、浅利慶太氏です。
古山氏は凄惨な戦場を味わいました。司馬氏は実戦を経験していませんが、戦車隊で訓練を受けていました。本土決戦になれば、戦うことになりました。「昭和三部作」を上演した浅利慶太氏は、もし私が十年早く生まれていたら、間違いなく、この戦争の第一線の兵士になっていた、と記します。その三人から、このような言葉が交差します。

司馬遼太郎氏(「日本という国家」p.77)
   それにしても軍人の言葉というものは嫌ですね。軍人がつくりだしたいろいろな表現がありますが、誇大で実体を伴わないものでした。そして漢語表現が多かった。なるほど勇ましくはあるが、そらぞらしいものですね。
   私は戦後まもないころに新聞記者をしていました。当時の左翼運動を取材していて、経験された方には申し訳ないのですけれど、非常に似たようなものだと思いましたね。
   何か空々しくて、場合によってはぞっとします。

古山高麗雄氏(「断作戦」文春文庫p.154)
   私は、今、反戦、反戦ちゅうて騒いどる人を見ると、こん人たちは時代が変われば、撃ちてしやまんの、聖戦の奉公のちゅうて、騒ぐんじゃろうと思われてならんです。

古山高麗雄氏(「フーコン戦記」文春文庫p.186)
   二度と戦争を起こさないために戦争の悲惨を語り継ごう、などと言っている婦人団体の人たちには、どこかに反戦平和が聖戦遂行にとって代わった世間に自分をあわせて、安心したがっているところがあるのではないか。(中略)国を護るという嘘が、平和を護るという嘘に代わったのである。

古山高麗雄氏(「フーコン戦記」文春文庫p.396)
   戦争中に反戦反軍を唱え、軍隊で屈辱の糞溜めにたたきこまれ、戦地で生命を奪われる危険に幾度も曝されながら、生き残った「私」は、戦争と軍隊を告発したり、弾劾する側に身をおいて語ろうとはしない。
   そしてまた、戦後になってそれらを声高に糾弾する人の表情と口調に、かつて目を吊り上げて大東亜戦争の理想を叫んだ人人の調子と、共通するものがあるのを見逃すことが出来ない。


司馬遼太郎氏(「日本という国家」p.36-37)
   ところが日比谷公園の群衆は違いました。日本の歴史の中で、一種の国家的なテーマで群衆が成立したのは、このときが初めてです。
   この群衆こそが日本を誤らせたのではないかと私は思っています。
   彼らが、ロシアからたくさん金を取れ、領地を取れというのは、つまり日露戦争というものを勝ったと思っているからですね。
   実際、勝ったことは勝ったでしょう。(中略)
   もしそのときに勇気あるジャーナリズムがあって、日露戦争の実態を語っていればと思います。満州における戦場では、砲弾もなくなりつつあった。これ以上続けば自滅するだろう。そういうきわどい戦争だったのだということが正直に書かれ、(中略)
   しかし、そういうジャーナリズムはなかった。もしあったとしても、おそらく官憲の手でつぶされたろうと思いますが、自費出版しても、あるいは秘密出版してもと、勇気を持ってする者はいなかった。

浅利慶太(劇団四季「李香蘭」一幕)
参謀1 新聞記者どもは何と言っておる。
記者1 〈国際連盟との協力、今や限界に達す〉
記者2 〈不当なる勧告 矢はつるを離れた 日本よ! 行く手を視よ〉
記者1 〈連盟よ、さらば!〉
参謀2 いつものことだが、奴等の方が先に熱くなっています。

浅利慶太(劇団四季「李香蘭」二幕)
香蘭 でも新聞を見ると日本軍はどこでも勝利を収めているみたいだから、きっと大丈夫だと思うけど。
愛蓮 香蘭、本気で言っているの? 本当に何も知らないの?
香蘭 何のことを?
愛蓮 香蘭、日本の新聞に書いてあることなんて嘘ばかりなのよ。

浅利慶太(劇団四季「異国の丘」配布メッセージ“語り継ぐ日本の歴史”より)
   ・・・世論を戦争にかき立てたジャーナリズムの責任も極めて重大である。この時期、悲劇に向かう事態の推移を、体を張って止めようとした人はいなかったのか。少なくとも斎藤隆夫以外、記録には現れていない。


話しが跳びますが五月に山形・福島を歩きました。
9日に“山寺”を上ったのですが、途中に『もや部隊』というものの慰霊塔がありました。

もや部隊 概況
昭和十九年六月二十日 山形連隊入隊 九月五日千五百八名山形出発
十月十三日マニラ上陸
二十年一月以降 プンカン サランバド サンタクルーズ マニラ東方高地の戦斗にて勇戦奮斗
千四百余名  戦死す
 

これはもう、文字通り「全滅」したんですね。
 

古山高麗雄氏の文章に還りますが、「水上源蔵少将」の名が度々出ます。ビルマ戦線、
   「ミイトキーナ」ヲ死守スヘシ
という軍令に従わず、部隊に脱出命令を出して、自身は自決した、そのような人です。
それに比して古山氏は、抑制した文章ながら明らかに憎しみを込めて、辻政信、牟田口廉也について記しています。

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「教会の政治的言動を憂慮する会」