2008/09/08
皆さん、こんにちは。

先週土曜日(9/6)の夜、テレビをつけたら「七人の侍」が始まるところで、つい最後まで見ました。
私はこの映画を映画館で見ました。テレビでは初めてでした。
既に常識的であることを書くかも知れませんが、これは結局、『防衛』を扱った映画だったんですね。

野武士集団に狙われている百姓は、「侍を傭う」という選択をします。
その際村の長は、このように言います(記憶です)。

「侍を傭った村は残った。侍を傭わなかった村は、消えてしまった。」

「侍を傭う」とはつまり防衛力=軍事力を、持つと言うことです。
そしてそれをしなかった村は消えてしまった、侵略された、ということです。
昭和29年(1954)の制作ですが、テーマは、時事的なものだったと気づきます。

朝鮮戦争は1950年6月に勃発し、1953年7月、休戦しました。
「七人の侍」は正に朝鮮戦争の最中にシナリオが書かれ、まだ休戦に至る前に撮影開始されたものです。
クランク・インは昭和28(1953)年5月、休戦協定成立は7月27日です。封切は昭和29(1954)年4月26日。

もう一カ所、重要なシーンがあります。

野武士の来襲を控えて、百姓の一部が戦線離脱し自分の家に帰ろうとします。離れ家である自分の家を放っておいて、他人の家を守るなんて、できない、という訳です。それを見て志村喬の勘兵衛は抜刀します。離脱するなら斬る。

「離れ家は三つ、部落の家は二十だ。三軒のために二十軒を危うくは出来ない。この部落を踏みにじられて、離れ家の生きる道もない。戦とは、そういうものだ。
他人(ヒト)を守ってこそ自分も守れる。おのれのことだけ考える奴は、おのれをも亡ぼす奴だ。」

これが、『集団防衛』『集団的自衛権』ですね。

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