09/05/16
皆さん、こんにちは。

ある時期から『昭和』というものに強い興味を持ち始めました。50を過ぎてからでしょう、遅いです。きっかけは司馬遼太郎先生の「台湾紀行」を読んだことです。あの本は私に歓喜を与えた点において、画期的な書物でしたね。李登輝という方と、八田與一という方を知ったことです。
司馬さんが李登輝総統を、手放しに近く惚れぬいて書いているのに、何と危険なことだろうと思いました。生身の政治家を、(裏も表もあるだろうに)、まかり間違えば司馬先生の(人物眼という、作家の根幹にかかわる)評価を逆転しかねないものでした。司馬先生が、それを認識しなかったはずはありません。あの作品において私は、司馬先生は、作家のイノチを掛けたと思います。李登輝という人に掛けたのだろうと。そして李登輝という方が類い希な、高潔かつ辣腕の政治家であることを納得するのに、時間は掛かりませんでした。司馬さんの目は正しかったのです。
私は『台湾紀行』を、いつもそんなことを思いながら読み返します。

日本には素晴らしいものがあった、素晴らしい人物がいた、それを知ったことは本当に歓喜でした。それから、私は「昭和時代」に関する本を多く読むようになりました。それは必然的に、「戦争」に繋がっていきます。
私は左翼運動をしたことはないですが、月刊誌はずっと『世界』を読んでいました。(厖大な量の「世界」を一まとめにゴミに出したのは、今から思うと惜しいことをしました)。又、松本清張の愛読者でした。そのような刷り込みから、昭和時代を更に深く知ることを避けていました。知りたくなかった、と言えるでしょう。そしてそのような傾向は、私より後の世代は、更に顕著であると思います。
その反動からか、「台湾紀行」以降、昭和に関する本をむさぼるように読みました。それは、「なぜ戦争をしたのか?」という疑問につながり、戦争をしたことは正しかったのか? 他に方法はなかったのか? という疑問につながっていきました。

先の戦争について、色々な先生方、歴史家、評論家の本を読みましたが、ある時期、大別して二種類になると判断しました。いわゆる「左翼」の人は別にして、保守と呼ばれる人たちの、戦場にいた人と、戦場にいなかった人、です。そして概して、戦場にいなかった人が勇ましいのです。具体的なお名前を出しませんが、Will、正論等によく発言しておられる先生方です。最近は元航空幕僚長という方も登場して来ました。諸君という舞台はなくなってしまいましたが、私は単純に、読者に飽きられたのだろうと思います。残る二誌にもその嫌いがあります。

数年前から私は、「実際に戦場にあった人」の本にしか、興味が持てなくなりました。それも将官や高級軍人でなく、下級兵士、下士官のものです。山本七平、大岡昇平、古山高麗雄、水木しげる、あるいは「大東亜戦争殉難遺詠集」「大東亜戦争詩文集」、そっと手にしなけれバラバラに散りそうな「ガダルカナル戦詩集」、・・・そして最近、この本に来ました。

江崎誠致、『ルソンの谷間』
作品そのものは直木賞をとった数十年前から知っていたのですが、今年になってようやく読みました。作家になる予定でなく、肺結核手術を控えて、これだけは書き残しておかなければならないという、言わば生き残ったものの、彼の地で斃れた者を代表してのレポートであるのでしょう。これは先に名をあげた方々、また次の伊藤桂一先生も同様と思います。そしてこれだけの“語り部”が残されたことも、私には偶然でなく、神の計画のように思います。戦争とはどのようなものか、戦場とはどのようなものか、生きて帰って語れと。

『ルソンの谷間』(光人社名作戦記006)には、『岩棚』という作品が併載されています。
これも名作と思います。「この作品は、人間の死でなく、人間の死体の物語である」と著者は記しています。戦場で朽ちていく「死体」を克明に描写することで、戦争というものを伝えようとしていると感じます。
 

そして、この作品に行き着きました。
伊藤桂一、『悲しき戦記』

これは文章の密度が高い。書くと言うより、版木に彫り込むような文章です。認識不足だったのですが、伊藤さんは何冊も詩集を出している詩人なのですね。私は知りませんでしたが、一読して「詩」のレベルの文章と分りました。書かれている内容も、清冽です。

もとより、伊藤さんの文章に戦争を美化したり、擁護するものはありません。かと言って、「反戦小説」でもないと思います。戦場の情景を刻めば、それ以上を作家が語らなくても読者が判断できると、伊藤さんは思っておられるのでしょう。この作品が美しいと言って、戦争が美しいなどと、正常な者は思わないでしょう。
どのような不条理、悲惨な中ででも、キレイに生きようとする人間がいた、キレイに生きる生き方しか出来ない人間がいた、ということです。
 

『かかる軍人ありき』(光人社名作戦記008)
これは読みながら時々ページを伏せて、深い息をしました。このような軍人たちのいたことを知ると、私は日本人に自信を持ちます。特に、「純情慰問団最前線へ」には感動しました。また、「大隊長、独断停戦す」は、日本にもっと別な道があり得たことを示しています。あり得たけれども、おそらく実現の確率はゼロだったでしょう。局地では存在し得ても、軍組織全体の中では、潰されるしかなかったと思います。

今、戦前の日本が選んだ道を、「間違っていなかった≒正しかった」と主張する方々は、この先、もし同じようなシチュエーションに日本が置かれたら、かつてと同じ選択を“正しい”とし、選択することになります。論理はそうなります。私はまっぴらですね。
 

『若き世代に語る日中戦争』(文春文庫)
ここには、「従軍慰安婦」、「南京大虐殺」、「靖国」等の問題が、私にとってはもっとも受け入れやすい認識で(おそらくそうであっただろう、と私が思える、という意味ですが)語られています。従軍慰安婦の軍関与について、関東軍の国境守備隊長が軍の関与する慰安所を作ろうとしたところ、憲兵隊長の強い反対にあう話があります。「民間人がやるならともかく、軍みずから慰安所を作るなんてとんでもない」と。実際にはこの場合、慰安所は作られたのですが(納得のいく衛生的理由があります)、いわば局地的非公式のことで、軍全体の立場は、憲兵隊長の発言通りと思います。慰安婦の募集についても、ここで伊藤さんが語られている通りだったと私は思います。

私は癖で、伊藤桂一先生の御著を、とりあえず10数冊買い込みました。まず並べるのです。上に紹介した三冊を読了しましたが、これからも読み続けます。
私は、「田母神論文」を強く批判しました。要点は、戦争をした日本を、“間違っていなかった(≒正しかった)”と思うから愛国心が生まれるのでなく、日本は“間違っていた”と思うから愛国心が無いのでもない、「愛国心の根拠は、そこにはない」というものです。

いつの時代にも、如何なる場所にも常に存在する不条理、理不尽の中で、端的には、「清く、正しく、美しく」生きた人間がいる。自分個人の栄誉でなく、人びとの役に立つことを至高の基準として生きた人びとがいる。芸術家たちがいた。万葉歌人がいた。紫式部がいた。仏師たちがいた。世阿弥がいた。芭蕉がいた。近松がいた。風景、食べ物、それら諸々に愛国心の根拠はあるのであって、声高にあの戦争が正しかったと語ることが愛国の標ではない。そのような狭隘な道へ、日本人を導かれては困るのです。

実際に戦場で戦ったことのない大本営「参謀」が、出す言葉は最も勇ましく、突き進ませました。その結果としての行為を、正しかったと主張する人々がいます。私には同意できません。