聖シュテファン大聖堂のイースター・ミサにあずかって

日本の教会の現状=

赤羽根  恵吉

「ヴァチカンの道」29号 Aug.15.1999

 

 去る4月3日()から4月12日()迄、藤沢市を中心とする湘南地区の音楽愛好家で組成した「オーストリア・スイス音楽の旅」を、家内共々楽しんで来た。オペラやお城のコンサート、そしてスイスでのホームコンサ−ト等、音楽を満喫するとともに、オーストリアからスイスに至る風光明媚な風景に、ヨーロッパの歴史の重みを感じ取って来た。ただ本誌では単なる旅行記を記すことはその趣旨にそぐわないので、最も感銘を受けたウイーンの聖シュテファン大聖堂の、イースタ−・ミサについて述べることとしたい。

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 昨年8月、旅行スケジュールが発表されると、旅行2日目の4月4日
()が1999年のイースターであることに気がつき、こんなチャンスは二度とあるまい、ウイーンに行くなら何としても有名な聖シュテファン大聖堂のミサにあずかりたいと思った。事前の説明会で、私から参加者(約50名)に対しミサそのものの説明とともに、当日のメインのミサでは、多分オーケストラ付きのミサ曲が歌われるであろうから、クリスチャンであるか否かを問わず、ミサへの参加を呼びかけておいた。  

 しかし、イースターのミサが何時と何時に行われ、そのうち、メインのミサが何時からという情報が仲々得られなかった。漸く出発2ケ月前に、一行の中でウイーンのドブリンガーという出版社と交渉のある者からの情報により、当日のミサは9時と10時15分で、後の方がメインのミサであることが判明した。さて、いよいよ4月3日の夕刻、予定通りウイーンに到着、オペラ座に近いアストリア・ホテルで旅装を解き、夕食はツアーのメンバーと一緒に近くのレストランでウインナ・シュニッツェルに舌鼓を打ったのだった。その夕食を終えたのは未だ8時半だったので、聖土曜日の式をやっているのではないかと思い、クリスチャンの人数名と散歩がてら聖シュテファン大聖堂を覗いてみることとした。15分位歩いて大聖堂の前に来ると、続々と人が入って行くのであった。多分聖土曜日の復活前夜祭に参列する人達と思い、一緒に聖堂の中へ入って行った。

 9時になると司祭数名と侍者達がローソクを持って入堂式が始まった。
 
ご承知の通り聖土曜日の式はローソクの祝別から始まり、いくつかの聖書の朗読、最後にミサと非常に長いものであるが、聖書の朗読が行われた時は既に10時半を回っており、この分だと終わるのは12時になってしまうと思い、バツが悪かったが途中退席してしまった。
 
帰り際、入口の掲示を見て、明日のミサが9時と10時15分であると再確認出来たのであるが、聖シュテファン大聖堂のイースター・ミサともなると、大勢の参列者によって聖堂内に入ることも、仲々難しいのではないかという別の心配が出て来た。そこで、数名の方と相談した結果、9時にホテルを出て先のミサの途中から参列しようということになった。(結果これが正解であった)
 
 いよいよ4月4日9時になると、ホテルのロビーに15〜16名の人が集まっており、なんとなくせかされる思いで大聖堂に向かった。

 大聖堂に入ると丁度9時のミサの説教が終わったところで、未だ空席が可成りあった。しかし、聖体拝領の少し前から続々と人が増え始めたので、やはりメインのミサにあづかる人達だと分かった。そこで、我々も聖体拝領を先にすませ、前の方の良い席を取ろうと思ったが時既に遅く、左側の前方の席しか座ることが出来なかった。そのような訳で我々のグループ10数名は一ケ所にまとまることが出来ず、バラバラになってしまった。
 10時頃になると、どうも合唱団らしい人達が右前方に入ってきた。ただその頃になると通路にも人が一杯になってしまったので、合唱団の人数がどの位なのかよく分からず、ましてやオーケストラがあるかどうかも定かでなかったのであるが、ミサが始まる10分前になると、オーケストラのチューニングの音が聞こえてきたので、これでオーケストラ伴奏によるミサ曲の演奏となることが確実となった。私自身これを期待していたことは勿論であるが、事前の説明会で、私がツア−の皆さんに話したことが嘘でなかったことが証明され、ホッとしたのである。

定刻の10時15分になると高位聖職者数名に混ってミトラをつけたカルデイナルが、大勢の司祭と侍者を従えて入堂して来た。入堂の聖歌はオーケストラ伴奏によるドイツ語の歌で、会衆一同によって歌われた。  
 
入堂の祈りが終わると、オーケストラの前奏があった後キリエが歌われだした。最初は誰の作曲になるミサ曲かよく分からなかったが、体全体がしびれるような感覚が走り、思わず聖歌隊と一緒に歌っている気分になってしまった。しかも天井の高い大聖堂の響きは格別であり、最近の響きの良い日本のコンサートホ−ルでも味わえない荘厳さを感じたのである。
 そしてグロリアが終わり説教が始まったが、これはドイツ語なのでよく分らなかった。しかし、コソボという言葉がしばしば出て来たので、コソボの平和を説いているのだなと思った。ユーゴはハンガリーをはさんだ近い国であり、オーストリアにとって他人事ではないのである。

ミサはクレド・サンクトウスと順調に進んで行ったが、「主の祈り」になると突然ラテン語で唱え始めた。

「パーテル・ノステル・・・・・・」

これなら私も一緒に唱えることが出来た。それ以降司祭と会衆の応答はすべてラテン語であったので、私も唱和することが出来たが、オーストリアの教会は「クレドと主の祈りは、会衆全員がラテン語で唱えることが望ましい。」と言われたヨハネ・パウロ2.世現教皇のご意向を、忠実に励行しているのである。しかし、アニュウス・デイが歌い終ると、既に12時になっていたので、次のスケジュ−ルの関係から、やむを得ずミサの途中で退席することとなった。
 
後で分かったのであるが、歌われたミサ曲はべートーヴェンのハ長調ミサ曲であった。

べートーヴェンは有名な「ミサ・ソレムニス」以外、ハイドン・モーツアルト程沢山のミサ曲を作曲しておらず、ハ長調ミサはどこかの合唱団が歌ったのを一度聴いた程度で、余り印象に残っていなかったのである。それが、大聖堂のミサの中で聴くと、コンサート・ホ−ルやCDで聴くのとは全く違った感動を覚えたから不思議である。いや不思議ではなく、むしろそれが当然なのであろう。後日信者でない方からも大変感動しましたというコメントを頂戴したが、それで私だけの独りよがりでなかったことを確信、大聖堂でのミサにあずかれたばかりか、歌われたミサ曲の響きの素晴らしさとが相俟って醸し出された至福の一時を経験できたことは、まことに幸せであった。
 勿論、合唱団もオーケストラもプロであろうから、これとそっくり同じようなことを日本の教会でやろうと思っても難しい面はあるが、このようなカトリック教会の誇るべきよい伝統を、これからも是非続けてもらいたいものである。

=日本の教会の現状=

以上のように、一生に一度あるかないかの素晴らしい体験をして帰国したのであるが、帰った途端に日本の教会の現実にぶつかって、暗澹たる気持ちになってしまった。私の所属する横浜教区は、浜尾司教がローマへ行かれた後、半年以上も後任教区長が決まらない状態であった。漸く4月半ばに梅村司教が教区長に着任され、5月15日に着座式が行われることになった。

梅村司教は年も若く、これからの日本のカトリック教会のリーダーとして期待される方の一人であるが、その着座式に当たって、典礼担当の司祭が、当日の聖歌隊の責任者に対し「ラテン語の聖歌は一切歌ってはならない。」と言ったとのことである。これによって、当初各教会に呼び掛けて80人位の聖歌隊を編成しよう、と考えていた聖歌隊責任者は、これでは人が集まらないと思い、各教会に呼び掛けるのを断念してしまった。  
 
この典礼担当司祭はベルギーの人で、あの悪評高い京都河原町教会で行われたナイスのミサに参加し、一部信徒達がご聖体を配布するのを咎めもせず平然としていた、所謂カトリック内の進歩派に属するような人で、何かと問題を起こしがちな人である。それにしてもこの典礼担当司祭、何という心の狭さの持ち主なのだろうか。
 従来本誌でもしばしば指摘しているように典礼憲章にも明記され、現教皇も事あるごとにラテン語聖歌の重要性を説かれている。
 更に日本の教会においても、一昨年12月、白柳枢機卿が「典礼に関する指針」の中で聖歌に言及し、「古い聖歌を歌いたいと思っている人、また逆に古い聖歌は典礼になじまないと思っている人、それぞれいるが、お互いに裁かないで受け入れ合って下さい」と仰言っている。
 

このように、教会の聖歌に関する基本的な考え方が明示されているにも拘らず、現場では全く無視されているのは一体どういうことなのだろうか。 他方、今回の新司教着座式では、ラテン語の歌を禁じていながら、英語やスペイン語、韓国語の聖歌が歌われている。これは正に戦時中の日本で、同盟国のドイツの音楽は演奏しても聴いてもよいが、敵国米英の音楽は聴いてはいけない、そして軍歌を歌えと強制させられた戦時の暗黒時代そっくりである。正にラテン語聖歌を、さも敵国の歌を歌うかのように排斥しているとしか思えないではないか。後で聞いた話なのだが、問題の典礼担当の司祭は着座式の典礼委員会の席上で、
「ラテン語或はラテン語聖歌が、ヨーロッパの教会を崩壊させた原因である。それは、ラテン語によって世界の教会を統一しようとしたからである。従って、それぞれの言葉で典礼を行わなければならない。」
 と宣うたそうである。私はこれを聞いて、これはもはやカトリックではない。中国の愛国教会のように、ローマと絶縁した教会にしようという一つの意図の流れであると非常に強く感じた。

世界のカトリック教会にそういう流れが一部にあることは、澤田教授等によって指摘されて来たことであるが、身近な横浜教区で現実の問題となって現れてくると、背筋が寒くなる思いである。
 この神父、従前から妙な日本人(語)論を振りかざして、カトリックの土着化を正当付けようとしていた人でもある。それが新司教の着座式の典礼担当の役を受持つことによって、彼の本質ともいえる歪曲した宗教観が図らずも公の場で明らかにされたのである。
 このように意図的に純粋な信徒を操ろうとしているような人物がいることは、正統カトリックの立場から申せば百害をもたらすだけである。従って小教区の主任はもとより、着いている教区の要職全てを速やかに解任すべきであることは勿論、同人詣でを招来する危険予防のため、解任と同時に帰国させるなり、遠く国外に追いやって然るべきでものである。
 

アジア特別シノドスで、日本司教団が主張した「脱西欧」は「こと細かいことまでローマの言うとおりにしていたのでは、アジアにおける布教は難しいので、もう少し現地に則したやり方を認めてほしい」ということであると解釈しているが、典礼憲章に明記されていることまで無視することは、司教団の本意ではないと信じている。現に日本の最高位聖職者である白柳枢機卿は、毎年秋に東京カテドラルで行われるラテン語の”荘厳ミサ”今年は第9回で10月16日)の主司式をなさっておられる。

このことはラテン語の典礼を司教団は決して禁止していないという明白な証しとなるのである。

にも拘らず教区主催の典礼で、誤った考えの司祭の言動が公然と罷り通るのは、真に由々しき問題ではなかろうか。明治維新後わが国はそれまでの鎖国主義から脱却し、政治、経済、軍事更には芸術文化に至る迄西欧文明を積極的にとり入れた結果、世界の先進国の仲間入りを果たしたのである。先の大戦で敗戦国になったが、その大きな流れは変わっていない。
 日本文化の良いところは残さなければならないとしても、今更「脱西欧」が今日の日本にもたらす何物かがあるのだろうか。私達の身の回りを見ても純日本的なものを探すのに苦労するくらい、日常生活が西欧化してしまっているのが現実である。

私の友人が所属する近くの教会は外国人が多いが、彼等がミサに与かった時の感想は「他教の礼拝所に間違えて紛れ込んだと思いました。」とのことであった。
 世界は益々狭くなっている。それぞれの国の特性を保ちながら共通のものを見出してゆかなければ、争いは何時までも絶えないであろう。カトリックこそその普遍性を活かして、洋の東西を問わず共通のものを見出して行く担い手に最も相応しいのではないだろうか。

もう一つ、私が述べて来たような意見に同意する信者の方も多いのであるが、今の教会の中では公然と意見を述べ難い雰囲気にあることが、極めて問題である。「開かれた教会」「何でも言い合える教会」を標榜しながら、実体は一つの考えを押しつけようという空気が強く、これでは「閉ざされた教会」として全体主義への道を進んで行くのではないかと大いに懸念されるのである。教会の一致を説かれる新しい梅村司教(横浜教区長)のお考えを伺いたいものである。

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