思考の断片 12 

1) カトリック新聞に関する島本大司教の言葉
2) 「拉致」にかかわる二つの言葉

野村勝美(ノムラカツヨシ)
2002.10.26

(第39号 Dec.25.2002)

1) カトリック新聞に関する島本大司教の言葉

この8月31日に帰天された島本大司教様が、カトリック新聞について語られた言葉があります。ご発言は2000年8月1日名古屋で、日本カテキスタ会主催の研修会において、お話しになったものです。後に、「島本大司教様への質疑応答」という文集として、参加者に配布されました。印刷前に大司教様の点検を受けていると思いますが、私自身が耳にしたその侭に、付け加えも省略もなく文章となっています。
このご発言の公開について、何か不都合があるにしても大司教様は正すことができません。そのことを思い躊躇するものもありますが、むしろ本音を伝えることを喜んで下さるかも知れないと考え、載せることにします。文責は野村にありNCKは知らぬことです。

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2002.08.01 NCK(日本カテキスタ会)研修会にて、『カトリック新聞への危惧』に関する質問に対して、

「その同じような考え(カトリック新聞への危惧)を持っている司教、司祭、修道者も結構おります。しかしおっしゃる通りことカトリック新聞に関しては、一応あれは司教団の機関紙とはなっておりますけれど、しかし、すべての記事をことごとく司教の誰かが権限として云々している訳ではないので、その編集長に一任しております。そうしますとかなり長い歴史というか十何年来、社会的な問題に関する記事が多く掲載されていて、その霊性面を強調するような記事があまり見られないという現実があります。そしてそれはやはり、司教たちの中でも色んなことを聞いておりますし、だからその都度、カトリック新聞社の責任者にその旨を伝えているのですが、編集委員長だけの独断でやれるものでもない。編集委員会というものがあって、そこの構成メンバーが、どちらかというとそういう社会的な問題に関心があって、しかも日本の教会は社会問題に疎すぎると嘆く人たちの集まりなんです。

その結果、あのようなご指摘のようなカトリック新聞のようになっているという現実があります。ですから、それをどうやってなおしていくかということですけれども、これは、二つの方法が考えられるのではないですか。とにかく、司教協議会が総会の席でカトリック新聞の在り方ということについていろいろと意見の交換をしあって、方向性を打ち出す。そして、それをきちんと編集委員会に伝えるというひとつの方法があります。それは何回も、そうですね、私が司教になったのが20年前ですけれども、その間に5、6回行っております。でも、それによってそんなに変わっておりません。それがまず現実だということ。それから、もうひとつの方法としては、読者の声、投書欄がありますが、そこへみなさんの希望なり、不満なり何かを勇気をもって投書すればいくらか変わっていくのではないかなと、という気がいたします。

ですから、私の考えでは、今の編集委員会を大きく変えなければいけないような傾向のカトリック新聞がいつまで続くのかと思っておりますが、それを変えなくてはならない・・・・変えるためにはどういう行動が一番ソフトで傷つけないで効果的かということが難しい問題ですけれども、私も私以外の人たちも何人かいるのですけれども、そういうカトリック新聞についての不満は持っております。
いいチャンスがあれば、それをとりあげる必要があるし、皆さんも投書をするか編集長宛に要望を伝えるということもひとつの方法ではないかと思います。質問に下駄を預けるような答になってしまいましたが。」(以上、島本大司教様の言葉)

ここで、大司教は重要なことを話されたと思います。
「司教協議会が・・・・方向性を打ち出す。それをきちんと編集委員会に伝える」
これは、時の編集委員会の方針が司教協議会の方向性に一致するものなら、「きちんと委員会に伝える」必要のないもので、しかもそれを、「それは何回も、そうですね、私が司教になったのが20年前ですけれども、その間に5、6回行っております」という、驚くべきことにはならないはずです。司教協議会の意向は、カトリック新聞編集委員会が無視している、としか言いようがありません。結果として「左傾」という以前の、「幼稚な」新聞になってしまいました。

島本大司教様の葬儀ミサ・告別式式次第を見た知人から下のような手紙を頂きました。
『島本大司教様の葬儀式次第を見て驚きました。入祭、キリエ、サンクトゥス、アニュスデイなどがグレゴリアンの死者ミサで、出棺にはインパラディズム(楽園歌)です。しかもこれらは4線譜です。島本大司教様は5年前のシノドス(世界代表司教会議)で唯一人ラテン語で発表して、教皇様が「教会の伝統の言葉を用いてくださってありがとう」と喜ばれたそうです。これは同席した濱尾大司教から伺ったことです。』
島本大司教様には一度だけしかお目にかかれませんでしたが、大司教様のために、静かにお祈り致します。

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2) 「拉致」にかかわる二つの言葉

この文章は10月26日に書いています。北朝鮮に拉致された人々が帰国して十日以上を経過しました。日本国政府は帰国した五人を再び北朝鮮へやらないと決断しました。当然のことでしょう。北朝鮮との関係がどのように動いてゆくのか分かりませんが、拉致にかかわる二つの言葉を、そのことばを聞いた時点の私の文章で、記してみたいと思います。

曽我ひとみさんの昨日の言葉。(野村10/18記)

みなさん、こんにちは。
24年ぶりに古里に帰ってきました。とってもうれしいです。
心配をたくさんかけて本当にすみませんでした。
今、私は夢を見ているようです。人々の心、山、川、谷、みんな温かく美しく見えます。空も土地も木も私にささやく。「おかえりなさい、がんばってきたね」。だから、私もうれしそうに、「帰ってきました。ありがとう」と元気に話します。みなさん、本当にどうもありがとうございます。

おそらく、一言半句を金正日及び公安にチェックされている視線の中で、彼女はこれを書き、語りました。心、山、川、谷、みんな温かく美しく見えます。この言葉に、かの国の凍てついた心、苛酷な風土が窺えます。そして、
「がんばってきたね。」
これは、空や土地や木がささやいた、のではないでしょう。曾我ひとみさん本人が、自分に向かって云ったのでしょう。がんばってきたね。そして私たち日本人全員に向かって告げたのです。私はがんばってきた。生き抜いたと。
「がんばってきたね。」この言葉を聞いて、私は泣きました。

この日、勝谷誠彦氏は次のような文章を発信しています。
『モノ書きの端くれとして受けた衝撃は曽我ひとみさんの会見での挨拶で決定的なものとなった。24年間日本語をほとんど使わなかった女性が新幹線の中で書いた文章を越えうる作家が今どれほどいるか。詩とは机に向かい書くものではない。身体に横溢した気が出口を求めて迸る時に生まれるものだ。そのことを曽我さんの「詩」は示している。「空も土地も木も私にささやく。おかえりなさい」。
糞作家の駄文に溢れている国語の教科書は来年からこれを載せよ。詩とは何かを子供達に教えるのにこれ以上の教材はない。』

10.20皇后様、67歳 誕生日のお言葉(野村10/20記)

 小泉総理の北朝鮮訪問により,一連の拉致事件に関し,初めて真相の一部が報道され,驚きと悲しみと共に,無念さを覚えます。何故私たち皆が,自分たち共同社会の出来事として,この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません。今回の帰国者と家族との再会の喜びを思うにつけ,今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり,その一入(ひとしお)の淋しさを思います。 

政治への関与を遮られている皇族として精一杯の言葉であり、そしてこの上ない言葉と思います。政治家も評論家たちも、このお言葉以上の品格で、この事件の「つらさ」を語った人はいません。その言葉の説得力は、その品格に比例します。
短い言葉の中に、語られるべきすべてが含まれています。

『何故私たち皆が,自分たち共同社会の出来事として,この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったか。』

政治家、報道メディア、日本国民すべてへの、本質的な批判ででしょう。私は、このような言葉こそ一人でよい、カトリックの高位聖職者から発して欲しかったと思います。皇后はしかもその言葉の前段に「無念」の一言をかぶせるのです。「無念」は、攻撃的でなく、しかし強い響きを持つ言葉です。込められた思いがあって、はじめて出てくる言葉です。
拉致された(今回明らかになったよりもっと多勢いるでしょう)人々が心の底から叫ぶとすれば、

「無念だ!」

の一言でしょう。皇后様の耳はそれをお聴きになり、そして語られたと思います。
私は本誌37号で、
「一度、北朝鮮に関する司教団や正義と平和協議会の『発言』をお聞きしたいものです」
と書きました。今回の拉致が事実とされた後も、司教団や正義と平和協議会がこの件に関して公式の声明を出したことを聞きません。北朝鮮の「核兵器開発」については尚更、沈黙しています。常日頃、政治的発言は「預言者の役目」であると語っておられる何人かの司教様方の静けさは何でしょうか。不思議な風景です。要は、関心のあることとないことがあるのでしょう。局部的に強く反応し別なものには無関心であること、それを"偏向"というのです。浦和教区長・谷大二司教様は10月17日付で、「日朝国交正常化と真の和解と平和を求めるメッセージ」を出していますが、基本構成は北朝鮮側主張と同じです。拉致は悪い。しかし日本はかつてもっと悪いことをした。在日朝鮮人をいじめるな。

冷静に検証してみるべきは、かつて日本人が朝鮮人に為したことと現在金正日が自国朝鮮人に為していることの、どちらがより非道なのかです。あるいは李王朝が民衆に為した政治と、日本政府が行ったことと、どちらが過酷・苛烈であったのか、でしょう。
この点については最近、韓国人自身による見直しの気運が出ており、それにもっとも迷惑を受け当惑しているのが日本の「反日日本人」です。金正日の拉致の白状・謝罪によって更に打撃を受け、核兵器の開発を認めたことで念押しとなりました。朝鮮総連が激しく動揺しており、土井社民党は崩壊直前です。その路線に極めて近いカトリックのグループも同じのように思います。(終)

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(追記)こののち、2002.11.11付で、日本カトリック正義と平和協議会 松浦悟郎司教が声明を出しました。検討してみました。「カトリック正義と平和協議会」の異様、を併せてお読み下さい。

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