ISBN 4-7544-4 B6版 418頁 |
1973年、みちのく秋田の寒村で不思議な現象が起こった。名もない修道院(聖体奉仕会)で起きた驚愕の事実…この物語は一人の修道女、シスター笹川が聖櫃から流れ出た天来の光に射すくめられたことから始まる。彼女の手には幾多の聖人が経験した「聖痕」が浮かび上がった。奇しくもマリア像の手にも同じ傷が! 聖痕は激痛をともなった。原因不明の難聴に襲われ、やがて完全に聴力を失った修道女は肉体的苦痛の全てを主に捧げ、深い祈りの生活に没頭していた。そんな彼女に守護の天使が出現、「すべての人の償いのために祈ってください」と励ました。 教会当局の冷ややかな反応とは裏腹に過熱化するマスコミ報道。事態は騒然たる様相を呈したが、心の清らかな人々は一連の現象に「天の声」を聞いていた。 神秘現象はやむことを知らない。ある日、木像のマリア像が突然、神々しい輝きに包まれ、シスター笹川は祝された処女の声を現実に聞くことになる。聞こえないはずの彼女の耳に、この世のものとは思われぬ荘厳で優美な女の声が響いた。聖母は人類と教会の未来のために、3つの預言を残された。殊に第三の預言が与えられた日は、ファティマ最後の聖母出現と日付の重なる10月13日であった! 謎めいた符合…… 一人の修道女の内的な世界で起きた不思議な出来事は天の奇跡をもって裏書きされる。1975年1月4日以降、マリア像から幾たびも涙がこぼれ落ちた。神の母の美しき涙…この奇跡は信仰の多寡、信者、未信者の区別なしに大衆に目撃され、専門家による鑑定の結果、紛れもなく人間の体液であることが証明されるに至る。科学的合理主義者はここで燃え尽きた。あらゆる疑いが灰燼に帰した。聖母マリアは何故に涙を流されたのか? 1981年9月15日、悲しみの聖母を記念するこの日に101回目の落涙現象が記録された。これが最後の涙であった。101という数字には深い意味が秘められていた。創世記3章15節を引いた天使の言葉、それは「共贖者マリア」の概念を暗示するものであった! 奇跡はこれだけにとどまらない。「ご聖体のうちにましますお方のみ前で、耳が完全に癒され、いと高きおん者のみ業が成就されます」と兼ねてから告げていた天使の言葉通り、翌年の聖霊降臨の祭日に行われた聖体降福式の最中、司祭(著者)が聖体顕示器を高々と掲げて一同に祝福を与えた瞬間、シスター笹川の耳がたちどころに開けた。まさに一瞬の出来事であった。 1984年4月22日、この上なく慎重な調査を経て、時の新潟教区長、伊藤庄治郎司教がついに秋田における私的啓示を司教書簡で認可する。殺到する国内外の巡礼者。数え切れぬ人々の上に恵みの雨が降った。次々に起こる恵みのラッシュ! 信仰の再生、受洗の決意、神への立ち返り、不治の病の全快…… 幼木が樹齢を重ねて大木に育ってゆくように、巡礼地・秋田も逞しい成長を見せる。1992年、「国際マリア会議」が秋田で開催され、世界各地から枢機卿、大司教クラスを含む約70名の聖職者が一堂に会した。歴史の大きなうねりの中で、「聖体奉仕会の祈」はEucharistic Prayer of Akitaとして、急速に世界に広がってゆく……。 本書は、一連の現象に立ち会った安田貞治神父による渾身のルポルタージュである。すでに数カ国語に翻訳され、海外でも異例の売れ行きを見せている。枯れ果てた現代社会…広大な砂漠を彷徨い、生きる目的を見失いそうになりながら、それでも神との親密な交わりを求めてやまない多くの読者に、一服の清涼剤となろう。秋田の聖母のお告げは神への忘恩と侮辱に満ちた世界に対する厳しい警告であるが、同時に祈りと償いへの招きでもある。祈りの人、教皇ヨハネ・パウロ2世が特使を派遣し、自ら祝別したロザリオを聖体奉仕会に贈呈された事実も十分に頷ける。心ある諸氏よ、今こそ慈愛に満ちた天の母の願いを聞こう! |
聖体奉仕会の祈 幸いなる御母よ、 |
聖体奉仕会修道院巡礼記 |