2014年6月17日
教皇フランシスコの訪日問題(一)

読売新聞 2014年6月7日(土)
【ローマ=中島健太郎】
安倍首相は6日午前(日本時間6日午後)、バチカンの法王庁でローマ法王フランシスコと会談した=写真、ロイター=。首相は法王に対し、鏡面を光に当てるとキリストの影が浮かび上がる、江戸時代の「隠れキリシタン」たちが使った「魔鏡」を贈呈。首相から「近く日本を訪問してほしい」と述べたのに対し、法王は「ぜひ訪ねたい」と応じた。日本の首相とローマ法王の会談は、2009年の麻生首相以来、5年ぶり。

このニュースに対して、日本のカトリック司教協議会会長・岡田武夫大司教は「安倍首相のフランシスコ教皇訪日要請の報道を受けて」とするコメントを発表しました


(カトリック新聞 2014.06.15)

私はこのコメントによって初めて、「昨年10月に教皇の訪日をお願いする書簡を教皇に」送ったこと、しかし「まだ承諾の返事はいただいて」いないことを知りました。

時系列で書けば、
2013年10月、日本の司教団から「教皇の訪日をお願いする書簡」の発送、(承諾の返事なし)、
2014年6月
6日、安部首相のフランシスコ教皇への訪日招請、教皇は「前向きな返答をした」。
翌6月7日、岡田大司教のコメント、
ということになります。

先ず、岡田大司教“コメント”を読んでみました。中に二つの大きな問題点があると思いました。

1) いわゆる「護憲」、“平和憲法?”護持への支持要請
2) 「反原発」活動への支持要請

そこで、昨年10月の「訪日願い」はどのような内容であったか、調べました。
「日本の教会はあらためて、人間の原子力利用の非倫理性、非福音的、非人間性を学びつつ、また原発事故により引き起こされる世界的な環境汚染への責任も痛感しています。2011年に日本司教団は即時原発廃止を訴えました。」
とあります。憲法については、ここでは触れられていません。ただ「平和アピール」の発信を求めています

「まだ承諾の返事はいただいて」いない、とは、どういうことでしょうか。「断りの返事」も無かったのでしょうから、要は無回答であった訳です。無視されたのですね。しかし安倍さんには前向きな回答をしました。

教皇には、安部首相に対して、「日本の教会と相談の上」、とでもいうような、司教団に対する配慮の言葉もありませんでした。その一言があれば、日本の司教様方は飛び上がって喜んだでしょう。又、教皇が、そのような配慮の出来ぬお方とは思いません。その神経が無くて、教皇に推されるはずがないのです。つまりこれは教皇が配慮の必要を認めなかったのです。

教皇が訪日されるとすれば、それは教会の招きでなく、日本政府のお客様になります。これはもう頂上で繋がってしまったので、逆転は出来ません。司教団はいわば袖にされた訳です。このことを日本の司教団は考えてみる必要があるでしょう。私は信徒の一人として、考えてみたいと思います。

慌てて出したと思える岡田大司教“コメント”ですが、これは、(教皇に伝われば)、教皇の気を更に重くさせるでしょう。それは、岡田大司教や日本の司教様方の求めているものが、教会の教えや、教皇庁の方針に沿わないからです。

そのことを、何回かに分けて、明日以降、書いていきたいと思います。

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拙ページ「時事短評」は、途中で長い中断状態がありました。中断時期はほぼ民主党政権時代に重なります。何故日本人はこのような選択をしたのかと、深い失望の中にありました。しかし今では、あの期間は、日本人にとって必要なコストであったと思います。私たちは身に沁みて勉強したと思います。そして安倍晋三という政治家が、挫けることなく精進していて呉れたことを感謝するものです。

私、そして私の属するグループは、日本のカトリック教会・高位聖職者の、余りにも偏った政治的言動を、批判してきました。しかしほとんど無反応なので、私個人は、もう匙を投げる手前にあります。

しかし今回の、フランシスコ教皇訪日要請問題を見て、少なくとももう一度、整理して申し上げなくてはならないと思いました。それは司教様方の思考の手前勝手さ、客観性の無さ、批判に対する非許容、つまりは未成熟による傲慢についてです。社会的な常識の欠如です。

私は40近くになってカトリックの洗礼を受けました。受洗したのは鎌倉の雪ノ下教会でしたが、神父様は勿論信徒間でも、政治的な話は出ませんでした。移った山手教会でも、同様でした。従って、“正平協”を始めとする司教様方の「政治的言動」を知ったのは、受洗後10年近く経ってからだと思います。昭和天皇崩御の際の対応に、驚いたのがきっかけかも知れません。しかし山手教会そのものには特別な動きは無く、ヨゼフ会(壮年男子の会)新年会では、天皇崩御に対して黙祷を捧げました。その時の会長の言葉で、初めてカトリック教会司教団(司教協議会常任委員会)の、人情に外れた対応を知りました。この通達は、日本国民の心に、冷たい風を送ったと思います。受洗前に正平協を知っていれば、そのまま去ったと思います。そういう人は今もいるように思います。宣教の障害物と言えるでしょう。

本ページは三回くらいに亘ると思いますが、信徒でない、ごく一般の方々に読んで頂きたいと思います。それは、本年3月19日の衆議院内閣委員会においての中丸啓議員の発言で、司教団の教導が、「ここだけ見れば完全な反社会活動と言わざるを得ない」 と言われています。更には、“オウム真理教”まで引き合いに出した同議員の質問に対して、『国家公安委員長』が、「一般論として」ではあるが、「平素から我々も関心をもって(情報を)集めています」と答弁しているのです。公安の監視団体ということです。

本来ならば司教団は直ちに中丸啓事務所を訪ね、厳重な抗議をすべきです。しかし一切ありません。静謐そのものです。決して「抗議」のキライな方々ではないのに。(何故抗議しないかについては、次回以降に検討します)

中丸啓議員の発言筋道は、ヴァチカンからの指令によって日本の司教団が組織的に反日活動を行っている、ということです。

カトリック信徒でない方々に、切に申し上げます。これは絶対にありません。私たちの目から見て、ヴァチカンの意向に不忠実なのが日本の司教団と思います。今回のフランシスコ教皇に対する要望にある、「(平和?)憲法護持」「反原発」、ともにカトリックの教義、ヴァチカンの政策から、外れています。フランシスコ教皇が司教団の訪日要請を無視したのは、それが理由であると思います。そのことを書いていきます。

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