2014年10月23日
皇后讃歌
美智子皇后陛下の傘寿に、謹んでお祝いを申し上げます。

 


http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h26sk.html


20日に、皇后陛下は八十歳(傘寿)のお誕生日を迎えられました。このような皇后を戴く誇りと喜びとともに、謹んでお祝いを申し上げます。世界を見回して、最も高貴な女性と思います。

初めて、皇太子殿下の婚約者として美智子様の写真を見た時、
発表されたのは昭和33年(1958)11月とありますから、私は高1でしたが、
こんな人が日本にいたのかと、衝撃を受けました。ビックリしましたね。それは嬉しい驚きでした。

平成5年(1993年)、ドイツで“日本年”というのがありました。私はたまたまデュッセルドルフにいて、そこで両陛下を迎えました。その時真近に美智子皇后を見て、その美しさに、改めて驚愕しました。それは「美人」という範疇でなく、「品」、「品格」「気品」というものでしょう。デュッセルドルフの市庁舎前には、お年寄りから子供まで、大勢のドイツ人が集まっていました。私は日本人であることに誇りと喜びを感じました。「これがうちの皇后や。どや」という感じです。
市庁舎のバルコニーにお出ましになった瞬間の写真を撮っています。



同じ瞬間を別な角度から撮った地元紙の記事があります。


歌を二首、転記します。今は失われた宮家の、妃殿下の歌です。小田部雄次著『皇族に嫁いだ女性たち』(角川選書)に記載されています。

思ひきや広野の花をつみとりて 竹のそのふにうつしかゑんと *
あまりにもかけはなれたるはなしなり 吾日の本も光りおちけり

美智子様は「広野」、原っぱから、「そのふ」へ入って行かれたのです。
「吾日の本も光りおちけり」、日本も、もうお終いだ、と思われつつ。

忍耐と努力は、想像を絶するものであったでしょう。それを為さしめ、その人格によって周囲を、何よりも國民を納得せしめたのは、おそらく「謙虚」さであったと想像します。「誠実」とも言えますが、誠実は常に謙虚なものです。

しかしこの度、皇后の二つの発言を読み返して、「謙虚」という控えめなものでなく、より強い意志、「責任感」であったのだと思い至りました。責任感は天皇や皇室に対してのみならず、日本人、民族とその歴史に対してでした。
それに気づいたのは、「国際児童図書評議会(IBBY)」における二つの発言です。私は何度もこのお言葉を読んでおり、前者のVHSも持っていますが、真意について、深い理解が出来ていませんでした。
当該箇所のみ抜粋引用させて頂きます。

まず、「第26回IBBYニューデリー大会基調講演」より

  教科書以外にほとんど読む本のなかったこの時代に,たまに父が東京から持ってきてくれる本は,どんなに嬉しかったか。冊数が少ないので,惜しみ惜しみ読みました。そのような中の1冊に,今,題を覚えていないのですが,子供のために書かれた日本の神話伝説の本がありました。日本の歴史の曙のようなこの時代を物語る神話や伝説は,どちらも8世紀に記された2冊の本,古事記と日本書紀に記されていますから,恐らくはそうした本から,子供向けに再話されたものだったのでしょう。
  父がどのような気持ちからその本を選んだのか,寡黙な父から,その時も,その後もきいたことはありません。しかしこれは,今考えると,本当によい贈り物であったと思います。なぜなら,それから間もなく戦争が終わり,米軍の占領下に置かれた日本では,教育の方針が大巾に変わり,その後は歴史教育の中から,神話や伝説は全く削除されてしまったからです。
  私は,自分が子供であったためか,民族の子供時代のようなこの太古の物語を,大変面白く読みました。今思うのですが,一国の神話や伝説は,正確な史実ではないかもしれませんが,不思議とその民族を象徴します。これに民話の世界を加えると,それぞれの国や地域の人々が,どのような自然観や生死観を持っていたか,何を尊び,何を恐れたか,どのような想像力を持っていたか等が,うっすらとですが感じられます。
  父がくれた神話伝説の本は,私に,個々の家族以外にも,民族の共通の祖先があることを教えたという意味で,私に一つの根っこのようなものを与えてくれました。本というものは,時に子供に安定の根を与え,時にどこにでも飛んでいける翼を与えてくれるもののようです。もっとも,この時の根っこは,かすかに自分の帰属を知ったという程のもので,それ以後,これが自己確立という大きな根に少しずつ育っていく上の,ほんの第一段階に過ぎないものではあったのですが。
  又,これはずっと後になって認識したことなのですが,この本は,日本の物語の原型ともいうべきものを私に示してくれました。やがてはその広大な裾野に,児童文学が生まれる力強い原型です。そしてこの原型との子供時代の出会いは,その後私が異国を知ろうとする時に,何よりもまず,その国の物語を知りたいと思うきっかけを作ってくれました。私にとり,フィンランドは第一にカレワラの国であり,アイルランドはオシーンやリヤの子供達の国,インドはラマヤナやジャータカの国,メキシコはポポル・ブフの国です。これだけがその国の全てでないことは勿論ですが,他国に親しみをもつ上で,これは大層楽しい入口ではないかと思っています。


平成14年(2002)9月29日「国際児童図書評議会(IBBY)創立50周年記念大会」(スイス:バーゼル市)に「おけるおことばより、

  1998年,IBBYのニューデリー大会における基調講演を求められました。大会のテーマは「子どもの本を通しての平和」で,私は第二次大戦の末期,小学生として疎開していた時期の読書の思い出をお話しいたしました。
  身近にほとんど本を持たなかったこの時期,私が手にすることの出来た本はわずか4,5冊にすぎませんでしたが,その中の1冊である日本の神話や伝説の本は,非常にぼんやりとではありましたが,私に自分が民族の歴史の先端で過去と共に生きている感覚を与え,私に自分の帰属するところを自覚させました。この事は後に私が他国を知ろうとする時,まずその国に伝わる神話や伝説,民話等に関心を持つという,楽しい他国理解への道を作りました。


「民族の共通の祖先」「一つの根っこのようなもの」「私に自分が民族の歴史の先端で過去と共に生きている感覚を与え,私に自分の帰属するところを自覚させました」、
そのような方が自覚をもって、「広野」から「そのふ」へ入って行かれました。美智子様は皇族でも華族でもありませんでした。

天女であったと、私は思います。

 

 

* 2015.02.14
「竹の園生」
浅学故に知らなかったのですが、「竹の園生」とは、「親王」「皇族」の意味だそうです。つまりこの歌は、きわめて具体的なものでした。

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