2014年12月20日
私は大震災勃発の40日後、4月20日に石巻を訪れました。まったくの傍観者として、見に行ったのです。私には何かを手伝うにも技術も体力もありませんでした。全く役に立たぬ男でした。私が何かを手伝おうとしても、邪魔になるだけと分かりきっていました。私は自分に出来るもっとも簡単で確実な方法、即ち現金を、これは相当額、振り込みました。ただ、1000年に一度という未曾有の災害を、この目で見ておきたかったのです。 石巻を目指したのは、かつて(30年ほど前)、大変にお世話になった会社が、そこに在ったからです。私の勤務先も会社の分割等がありました。グループとしては今も仕事させていただいておりますが、私自身はまったく離れていました。私が知る方々も、一人もいません。私はその会社の正門前から中を覗いて、それだけで失礼しました。 私は、どこへ行っても写真をバチバチ撮る男です。メモがわりの意味もあります。日時が記録されるので、あとで便利な訳です。しかしこの時の被災地訪問では、驚くほど少ない撮影しかしていません。何か、“畏れ”のようなものがありました。 その時に、日本製紙石巻工場の写真を、ただ一枚、撮っています。何となく、微妙にブレている気配もあります。
佐々氏は、被災地にあった「略奪」についても記しておられます。私たちはネット上で、それらしき情報を聞いていました。しかし大メディアは、ほとんど報じなかったと思います。そしてこの場合においては、報じなかったことを悪い判断とは思いません。大きな騒動になっているのならともかく、報道が不安を煽ってはならないと思います。佐々さんの記述する“略奪者”は、獰猛なのはいなかったようですが、ここで大きな暴力沙汰になっていれば、事態はとんでもない進展をしたかも知れません。 石巻を訪ね、日本製紙の外観を、今度はゆっくり気兼ねなく、見て回りたいと思います。石巻を初めて訪れたのは40年も前と思います。実は“ホヤ”という奇妙な形のものを知ったのも、石巻でした。まったく知らなかったのでビックリしました。しかし一発で好きになりました。私も海の近くで育ったので、磯の香りはそれだけで大好きなのです。北上川河口の花火大会も、美しかったのを憶えています。佐々涼子氏と早川書房、そして日本製紙の皆様に感謝致します。 |
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