2012年10月20日  *10/23追記
東海村臨界事故

東電福島第一原発の事故が私を意気消沈させました。その克服の為に、何回か本件について書きます。ただ私は完璧に文科系の人間で、自分勝手で感覚的なことしか書けません。調査報告書も政府、民間、国会、入手はしましたがほとんど読めていませんし、読んでも十分な理解は困難でしょう。

私の意気消沈の原因は、「日本人」というものについてでした。日本人のものの考え方と、行動パターンでした。

平成11年(1999)9月30日、
茨城県東海村において、住友金属鉱山(SMM)子会社 「JCO」 が、“臨界事故”を起しました。
極めて予言的な、神の警告と言える重大事故でしたが、関係者 ── 事故会社、監督官庁、マスコミ、それぞれに、これも又、予言的な対応をしました。

病根は、このとき露わであったのです。私は驚き、一文を私たちの同人誌『ヴァチカンの道』1999年クリスマス号に寄稿し、同時に私のサイトにアップしました。(←原文の修正は一切していません)

事故直後の、SMM社長の公式文章を、下に再録します。当時は私の知識がPDFファイルでの保管等に至らず、手入力しましたが、この通りで間違いありません。驚くのは、この声明が事故の“翌日”に為されていることです。私の当時の解説は、上記リンクからご覧下さい。

平成11年10月1日

報道各位
   住友金属鉱山株式会社
   社長 青柳 守城

   この度は私どもの100%子会社であります株式会社ジェー・シー・オー東海事業所転換試験棟におきまして、ウラン取扱い作業中放射能事故を発生させ、地域社会をはじめとして多くの皆様に多大なご迷惑をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます。また、被災者の方の病状を危惧しており1日でも早い回復とこれ以上被害が拡大しないことを切に願っております。
   事故の経過などにつきましては、現在鋭意調査継続中でありますが、科学技術庁のご指導のもと株式会社ジェー・シー・オーにて問題の解決に向けて懸命の努力をいたしております。原因などの究明につきましては、当局の調査結果を待たねばなりませんが、当社といたしましても私を長とする事故対策本部を設置し株式会社ジェー・シー・オーともども当局の調査に全面的に協力し、一日でも早い事態究明と問題解決に全力を尽くしたいと考えております。
   現在、事態は鎮静化に向っての第一歩を踏み出しておりますが、原子力安全委員会の先生方や、関係省庁の先生方のご指導と、核燃料サイクル開発機構の方々、日本原子力研究所の方々の現場における絶大な御支援をいただけなければ、このような速やかな鎮静化の第一歩は実現できなかったものと考えております。心より深く感謝申し上げます。

以上

ここに見えるのは事業者の、監督官庁・報道陣を、「なめた」態度です。なぜこのように胸を張った声明が、“翌日”、出せるのか、それにはその理由があるはずであり、それを追及するのが報道であるはずでした。

東海村周辺農家は「風評被害」を恐れ、(おそらくは婉曲に脅かされ)、沈黙しました。農家の沈黙は、フクシマの農家(漁業を含め)を見た今、私にも深刻に理解できます。あの時も東海村近辺農産物は暴落したのでした。事故を騒ぐことは、自分の首を絞めることでした。

その後、JCOという会社は清算抹消され、施設は解体撤去されました。すべては「無かったかの如く」、消しゴムで消すように、世から消し去られました。これが「日本」でした。

東海村臨界事故は、監督官庁のあり方に強い警告を発するものでした。どのような検査・監督をしていたのか。お座なりであったのなら(お座なりだったのでしょう)役所の責任、担当者の処分はどうなったのか。おそらく役人で処分された者はいない。(いたのなら教えて下さい)。

そうした体制が問われることなく、3.11に至ったのです。3.11においても、処分された権力者を聞かない。

絶対的な権限、つまり操業停止を命ずることのできるほどの権限を持つ者が、その指図結果に対して責を問われないことは、国民にとって大きな落とし穴です。今回の東電福島第一においても、一人として問責されていない。

今回の原発事故において、不可思議なのは、原子力安全委員会の指針、
『発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針』
でした。ほとんどの人が取り上げていますが、その

「指針27.電源喪失に対する設計上の考慮」

長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない。非常用交流電源設備の信頼度が、系統構成又は運用(常に稼働状態にしておくことなど)により、十分高い場合においては、設計上全交流動力電源喪失を想定しなくてもよい。 

わざわざ「しなくてもよい」と指示する安全対策指針も特異ですが、この指示こそが今回の事故を防ぐことの出来なかった、日本人として断腸の文言であった訳です。

行政上の現場責任は別として、内閣府に設置された「原子力安全委員会」は実質最高責任を持つべき組織です。事実、旧安全委員会のサイトにはこのように説明されていました

<原子力安全委員会について>
  原子力安全委員会は原子力基本法、原子力委員会及び原子力安全委員会設置法及び内閣府設置法に基づき設置されています。原子力を安全に利用するための国による規制は、直接的には経済産業省、文部科学省等の行政機関によって行われていますが、原子力安全委員会は、これらから独立した中立的な立場で、国による安全規制についての基本的な考え方を決定し、行政機関ならびに事業者を指導する役割を担っています。このため、内閣総理大臣を通じた関係行政機関への勧告権を有するなど、通常の審議会にはない強い権限を持っています。

こういう組織の委員長である斑目春樹氏は、「全交流動力電源喪失を想定しなくてもよい」という指針の指示について、
「うっかりしていた」(mp3音声)

と言いました。これには、私はひっくり返りました。
「うっかり」だと?
こんな軽い連中に、大切な原子力を委ねていたのだ。

私は10数年前から自分の最終的な読書テーマとして「昭和史」に取り組んでいます。昭和前期、戦争ですね。
「大本営」、中でも「作戦課」、ここが戦争を取り仕切ったのでした。調べれば調べるほど、(日本人に対する戦犯として)処断さるべき人物は、ここに居た、と思えるのですが、戦後ものうのうと生き延びました。
3.11当時「原子力安全委員」であった五人は勿論、この「指針」に関わった全員から、成立の経緯、本人の立場を調査すべきでしょう。名誉は剥奪されなければならない。斑目さんは今も東大の先生をしておられるのですか? 

もう一つ、この「指針」指示で、私の気力を萎えさせるのは、「想定しなくてもよい」という文言です。
戦争は、“想定しなくてもよい”。
他国が攻めてくることは、あり得ない、
“想定しなくてもよい”。

── 「九条平和教徒」も、思考径路は同じです。
径路が同じというか、「極限」を直視出来ない。
私を含め、日本人にある「断線」ですね。


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2012/10/23 追記
今日、興味深いニュースが流れましたね。

伊の地震予知失敗 学者ら7人に実刑

多数の犠牲者が出た2009年のイタリア中部地震で、大地震の兆候がないと判断し被害拡大につながったとして、過失致死傷罪に問われた同国防災庁付属委員会メンバーの学者ら7人の公判が22日、最大被災地ラクイラの地裁で開かれ、全員に禁錮6年(求刑禁錮4年)の実刑判決が言い渡された。地震予知の失敗で刑事責任が争われる異例の事件。同地震では309人が死亡、6万人以上が被災した。検察側は「報告がなければ犠牲者は用心深く行動したはずだ」と主張。弁護側は「地震被害は誰の責任でもない」と争っていた。(ラクイラ 共同)[産業経済新聞社 2012年10月23日(火)]

本件判決の妥当性は、私には判定できません。直ちに想定できるのは、今後当該委員たちは危険についてのみ語ることになるでしょう。安全を語ることは本人にとって危険だからです。
しかしこの判決を、「方向性」としては、私は正しいと思います。

まして今回の原発事故の場合、全電源停止が極限事故に繋がることは、分かっていた訳ですから、それを「想定外」においた安全委員会の責任は、イタリアの地震とは質違いに重いと思います。

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