2012年10月24日  11月2日追記
週刊朝日の記事

今回は「安全神話」について書こうとしたのですが、その前にちょっと、“時事”余談を。

週刊朝日の記事を巡って、同紙と日本維新の会代表・橋下徹氏の間でやりとりがあります。
私は、騒ぎになるまではまったく興味が無く、従って記事の内容は知りませんでした。
橋下さんが怒って、それで何だろうと週刊朝日を買いに行ったら、どことも売り切れでした。amazonを覗いたら、あるにはあるのですが、3,000円を超えていました。

私は元々「部落」とか「同和」とかいうものに偏見がありません。今も皆無です。何も感じない。
私の親も兄姉も先生も、そうした地域や人々の存在、その意味を、一切私に教えませんでした。正しい人たちでした。
知らないのですから偏見の持ちようがないのです。
私は、部落をことさら口にする組織は、(カトリック教会にもありますが)、差別(あるいは差別意識)の解消が目的でなく、他に魂胆があると思っています。
忘れるのが最も確実有効な解決法ですが、忘れさせるまいとしているのが、これらの運動です。忘れられることで、失う利権がある訳です。

ということで、橋下さんが部落出身であろうがなかろうが、私にはどうでもよいことでした。

ただ私は、誤報、虚報、捏造には強い関心があり、その観点から週刊朝日記事に興味を持ちました。
と言って3,000円超を出費する気はなかったので、昨日、会社の近くの「みなと図書館」でコピーして来ました。

『ハシシタ 奴の本性』
というのですが、品のないタイトルですね。
一読、おそろしく低質な記事でした。
佐野真一さんがどのような経歴の人か知りませんが、よく文筆で食って来られましたね。

  第1回
 「パーティにいた謎の人物と博徒だった父」

このサブ・タイトルにあるように、9月12日の「日本維新の会 旗揚げパーティ」で出会った、
  「今年90になる“なんでもかんでも相談所”所長」

の“話”と、
  「橋下徹の亡くなった父親をよく知る人物」
の“話”を、つなぎ合わせたものです。
この二人のどちらが“謎の人物”であるのか分かりません。両方なのか。
しかしよく“謎の人物”の話を、記事にする気になりますね。

むしろ内容は、佐野さんと週刊朝日スタッフの調べた事実で、謎の人物というのが捏造(創作)かも知れません。
その謎の人物の“話”に、佐野さん個人の印象論(悪態)をまぶしたものが、週刊朝日の記事と、私は邪推します。それにしてもこれだけ感情露わな文章というのは、私なら恥ずかしくて書けませんね。

とにかく「質の悪い」記事だ、ということだけ記しておきます。記事の内容そのものはまったく興味が無いので、書きようがありません。

ただ恐ろしいのは、橋下さんだから反撃できたけれど、ほとんどの者は、狙われたら対抗できませんよ。
報道は「暴力装置」です。

 

[2012.11.02追記]

三日前、10月30日の産経新聞に曽野綾子先生の本件関連コラムがありました。今回の週刊朝日の記事について、
「品性の卑しい記事というものは他にもたくさんあるが、これほどのものは珍しかった。」
と書いておられます。
これは最大級の侮辱を、上品に表現したのですね。

更に曽野先生は、橋下氏を「ハシシタ」と表記したことについて、
「橋の下という日本語には悪い意味がある」
と記しています。浅学にも私はその悪い意味を知りませんでした。どうでもいい場所とか掃き溜めとかの意味があるようです。(もっとヒドイ意味が隠されているのなら、曽野先生はわざわざここに記さなかったでしょう)。山本周五郎に『橋の下』という短編がありました。確か実際に橋の下が舞台だったと記憶しますが、周五郎先生は当然、二重の意味で使ったのでしょう。この年になって知るとは、人生は深いです。

本当に、これだけ汚らしい文章というのは、私も記憶にありません。悪口雑言とか罵詈雑言とかいうものとは質の違うものです。興味のある方は図書館へ行って読んで下さい。私は引用するのもイヤだ。
週刊朝日の編集部が、よく掲載したと思います。不思議に思いますが、筆者も編集部も同じ穴の狢と考えれば、納得です。

私は営業マンで、社名の入った車で走り回っていましたが、上司から、「会社の看板を背負って走っている。絶対に下品な運転をするな」と言われていました。

『朝日』という看板を背負って暴走した、と言いたいところですが、「朝日」の本性を露呈した、とも言えます。

今考えてみると、橋下さんはもう二週間ほど我慢して、更に二回ほど懐へ引き込んでから叩いた方が、相手の打撃は大きかったでしょう。その意味で、朝日は助かったのです。

[固定アドレス]
[Home]