2012年11月29日
あの時の菅直人首相の心理

(主題に入る前に)
3年3ヶ月前に行われた総選挙は、「政権交代の可能な二大政党」ということが言われたと思います。政権交代は実現しましたが、その結果が三年後、政党乱立になったのは、世の動きの面白さですね。
それにしても相変わらず、小沢一郎氏はみっともない動きをすると思います。つい一月前、10月25日に“結党記念パーティー”を開き、おそらくは相当の資金も集めたのでしょうが、その党を、もう「解党」するそうです。


小沢さんと言えば、この11月12日にいわゆる「越山会事件」の控訴審判決があり、小川正持裁判長は一審東京地裁の無罪判決を支持し、控訴を棄却しました。

私がこの疑惑事件で当初から、そして今も強く感じているのは、「税務当局は何故動かなかったか」ということです。何故ですかね?
そして報道は、何故そのことに疑問を持たなかったのですかね。

検察は、検察が証明しなければならないのです。
税務調査において、証明義務は調査を受ける方にあります。この場合、証明義務は小沢さんにあります。

そして実は、金の動きほど、証明しやすいものはないのです。天から降ってくる金はないし、地から湧く金も無い。存在する金には常にその根拠がある。その根拠を説明できなければ、それは「脱税」であります。

今回の選挙でもう一つ私が注目しているのは鳩山弟さんですね。福岡6区。
自民党へ復党願いを出しているそうです。今の段階ではみっともないのは片方ですが、それを認めたら、両方がみっともないことになります。

さて、
2011.3.11を迎える前、菅直人首相がどのような状態にあったか。簡単に思い出してみましょう。

内閣支持率、最低18.7% 本社・FNN合同世論調査
  産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が2月26、27両日に実施した合同世論調査で、菅直人内閣の支持率は18・7%と、前回(12、13両日)から2ポイント下がり過去最低を更新、初めて20%を割った。(以下、略) [産経新聞 2011.3.1]
前原外相辞任 在日外国人献金問題で引責 窮地の菅政権に痛撃
  前原誠司外相(48)は6日夜、外務省で記者会見し、政治資金規正法が禁じる外国人からの政治献金を受けていた問題の責任をとって辞任を表明した。(以下、略) [産経新聞 2011.3.7]

そして、3.11、前原誠司外務大臣を辞任に追い込んだと同じ疑惑が、より重量のある姿で、自らに顕われました。

菅首相:外国人献金
◇野党批判「外相は辞めた」

  前原誠司前外相に続き、菅直人首相にも在日韓国人からの政治献金が明らかになった。(以下、略) [毎日新聞2011.3.11]

つまり、首相としての菅直人氏は、ほとんど“詰んで”いました。そこに3.11大災害が発生しました。

興味のある二つの資料があります。

【単刀直言】松井孝治・民主副幹事長
[産経新聞 2012年10月11日(木)]

(部分引用)
  菅さんが鳩山内閣の副総理のときによく言っていたのは「沖縄問題をより強いメッセージで上書きしないといけない」ということ。普天間問題で膠着(こうちゃく)状態に陥った鳩山政権を政治的に局面転換する材料として消費税増税を使ったという側面はあったと思う。
【単刀直言】鳩山由紀夫前首相
[産経新聞 2011年7月12日(火)]

(部分引用)
  菅直人さんは、私が首相のときに副総理として、何度も「厳しい局面に立たされたら、別の大きなテーマを示せば、そちらに国民の目が向いて局面を打開できるんだ」と進言してきました。

つまり、目眩ましです。
しかしこれは菅さんだけでなく、民主党そのものが、そうであったのです。次々に露見した夥しいスキャンダル、それは間断なく露われる別のより大きなスキャンダルに眩まされて、後に消えていきました。民主党員にとって最大の烏賊墨は小沢・鳩山の巨大脱税でした。
菅さんには3.11がそれでした。

大地震で政治休戦 読売新聞−2011.3.12
与野党は「政治休戦」の時だ 産経新聞−2011.3.12


数日前に発行された門田隆将氏著『死の淵を見た男』(PHP研究所)に、次の一節があります。



  「菅首相が来ます」
  「なに?」       ゛
  なぜ来るんだ? 現地対策本部長の池田元久は耳を疑った。
  三月十二日の未明、四時頃のことだった。福島第一原発から五キロしか離れていない双葉郡大熊町のオフサイトセンターで、池田は、スタッフにもう一度聞き返した。
  一国の総理が、原子力事故のさなかに、その「現場」にやって来る。
  池田自身が現地に到着し、オフサイトセンターが立ち上がってから、まだ何時間も経っていない。そんな段階に総理がやって来るとは、どういうことなのか。
  「これだけの地震と津波で死者・行方不明者が大勢出ている状態です。現に事故が進行しているさなかです。私が霞が関を出る前に、すでにテレビにも映し出されていましたが、あの津波の濁流は凄かった。瓦礫の下で救出を待っている人たちの生存率は七十二時間で急激に下がっていきますから、最初の七十二時間は最大限、救出活動に全力を挙げるというのが世界の常識です。それなのに、総理が原発にやって来るということがわかりませんでした」
  それは、国民の生命・財産を守らなくてはいけない国家のリーダーが、一つの部分”だけに目を奪われていることを物語っている。(p.131-132)


菅さんは張り切って前線に出ました。人気挽回のチャンスに心は逸ったでしょう。自民党の阪神淡路経験も、アメリカの助言も、聞こうとしませんでした。功名を独り占めしようとしました。それ自体が、速やかに収拾できるとの、間違った判断であったことを示しています。

無能でも人気があれば、あるいは不人気でも有能であれば、より妥当な初動が取れたでしょう。支持率の落ち込んだ無能な権力者の下で大災害が起きたのでした。権力者の心にあったのは「邪心」でした。これもまた、大災害の一部でした。

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