2013年2月24日
「北方領土」の問題

去年の秋から、「大本営」に関する本を、何冊か読みました。
きっかけは、
『消えたヤルタ密約緊急電』(岡部伸・新潮新書)

これは相当に原価のかかった「労作」で、一級品と思います。
情報士官・小野寺信という人は、ヒトラーのソ連侵攻計画を把握して情報を大本営に送っています。ドイツはそんなに強くない、とも指摘しています。ドイツを買い被って戦争を始めてはならないと。しかし無視されます。

痛恨は「ヤルタ密約=ソ連の対日本参戦」情報で、大本営に到達しながら握りつぶされています。
ヤルタ会談(1945.2.4-11)においてスターリンが、「ドイツの降伏より三ヶ月を準備期間として、対日参戦する」と約束した「ヤルタ秘密協定」を、小野寺情報士官は、もっとも早い時期、2月半ばに把握し、大本営へ送電します。が、握りつぶされます。
ドイツの降伏が5月8日、ソ連の対日参戦が8月8日ですから、きっちり約束通り実行された訳です。
小野寺は一貫して早期停戦(手を上げること)を進言していました。大本営には反感を持たれていたのでしょう。
早期停戦により、ヒロシマ・ナガサキは勿論、沖縄も本土空襲による厖大な死者も、救われたかも知れません。北方領土問題も避けられたでしょう。

この本を読んで驚いて、関連すると思える本を芋蔓式に読みました。小野寺信氏の夫人であり同志、小野寺百合子氏の、
『バルト海のほとりにて』(共同通信)

『大本営参謀の情報戦記』(堀栄三・文藝春秋)
『関東軍と極東ソ連軍』(林三郎・芙蓉書房)
『瀬島龍三 参謀の昭和史』(保阪正康・文藝春秋)
『大東亜戦争の実相』(瀬島龍三・PHP)
『沈黙のファイル』(共同通信社社会部編・共同通信)

今まで知らなかったことを、これらの書物から知りました。
一番は「諜報」への認識でした。
諜報とは情報の収集と分析でしょうが、漠然と汚れ仕事と思っていました。しかし実は大切な、崇高と言える使命感によって成り立っていることを知りました。
「諜報」は戦争の先兵になります。しかしそれ以上に戦争の抑止力になります。
相手の内実、本音を知ることによって、しなくても良い戦争を、避けることができるのです。

上の書物については近々別なページ「ノムさんの“読んだ”」で記します。(現在ページは開いていません)
 

今日のテーマは“「北方領土」の問題”です。
実は今の私の考えも、上の書物を読んでからのことです。

長い前置きでしたが、以下本論、

22日、森元首相がプーチン大統領と会談しました。
今まで私は、中立条約を一方的に破って攻め込んだソ連が非道なのだから、四島一括、全面返還が当然だと思っていました。
しかしそうでもなかったようです。

「情勢ノ推移ニ伴フ帝國國策要綱」
という、御前会議を経て決定された国策文書があります。(ソ連には筒抜けだったでしょう)。

--------------------
 

出典:國立公文書館 アジア歴史資料センター
レファレンスコード:C12120183800
(誤字脱字は引用者の責任です)

 

情勢ノ推移ニ伴フ帝國國策要綱

昭和十六年七月二日
御前會議決定

第一 方針

一、帝國ハ世界情勢變轉ノ如何ニ拘ラス大東亜共榮圏ヲ建設シ
  以テ世界平和ノ確立ニ寄与セントスル方針ヲ堅持ス
二、帝國ハ依然支那事變處理ニ邁進シ且自存自衛ノ基礎ヲ確立
  スル為南方進出ノ歩ヲ進メ又情勢ノ推移ニ應シ
  北方問題ヲ解決ス
三、帝國ハ右目的達成ノ為如何ナル障害ヲモ之ヲ排除ス

第二 要綱

一、蒋政權屈服促進ノ為更ニ南方諸域ヨリノ壓力ヲ强化ス
  情勢ノ推移ニ應シ適時重慶政權ニ對スル交戦權ヲ行使シ
    且支那ニ於ケル敵性租界ヲ接収ス
二、帝國ハ其ノ自存自衛上南方要域ニ對スル必要ナル外交交渉
  ヲ続行シ其ノ他各般ノ施策ヲ促進ス
  之カ為對英米戦準備ヲ整ヘ先ツ「對佛印泰施策要綱」及
  「南方施策促進ニ關スル件」ニ遽リ佛印及泰ニ對スル諸方
  策ヲ完遂シ以テ南方進出ノ態勢ヲ强化ス
  帝國ハ本號目的達成ノ為對英米戦ヲ辞セス
三、獨「ソ」戦ニ對シテハ三國樞軸ノ精神ヲ基調トスルモ暫ク
  之ニ介入スルコトナク密カニ對「ソ」武力的準備ヲ整ヘ
  自主的ニ對處ス
  此ノ間固ヨリ周密ナル用意ヲ以テ外交交渉ヲ行フ
  獨「ソ」戦争ノ推移帝國ノ為有利ニ進展セハ武力ヲ行使
  シテ北方問題ヲ解決シ北邊ノ安定ヲ確保ス
四、前號遂行ニ方タリ各種ノ施策就中武力行使ノ決定ニ際シ
  テハ對英米戦争ノ基本態勢ノ保持ニ大ナル支障ナカラシム
五、米國ノ参戦ハ既定方針ニ従ヒ外交手段其ノ他有ユル方法ニ
  依リ極力之ヲ防止スヘキモ萬一米國カ参戦シタル場合ニハ
  帝國ハ三國条約ニ基キ行動ス但シ武力行使ノ時機及方法ハ
  自主的ニ之ヲ定ム
六、速ニ國内戦時體制ノ徹底的强化ニ移行ス特ニ國土防衛ノ
  强化ニ勉ム
七、具体的措置ニ關シテハ別ニ之ヲ定ム

--------------------

1940.09.27 日独伊、三国同盟締結
1941.04.13 日ソ中立条約締結(4月30日公布)
1941.06.22 独ソ戦開戦
1941.07.02 「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」決定
1941.07.07~08.09 関東軍特別大演習(関特演)

という時系列になります。
ドイツがソ連へ攻め込んだ10日後に、「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」を決定しています。その要項三項は、

獨「ソ」戦ニ對シテハ三國極軸ノ精神ヲ基調トスルモ暫ク之ニ介入スルコトナク密カニ對「ソ」武力的準備ヲ整エ自主的ニ對處ス此ノ間固ヨリ周密ナル用意ヲ以テ外交交渉ヲ行フ獨「ソ」戦争ノ推移帝國ノ為有利ニ進展セハ武力ヲ行使シテ北方問題ヲ解決シ北邊ノ安定ヲ確保ス

要するに「対ソ武力準備し」「独ソ戦争でソ連が弱まったら」「(対ソ)武力を行使して」北方問題を解決する、というのです。
そして直後、7月7日に「関東軍特種演習」(関特演)が下令されます。ソ連国境に70万人以上を動員した大演習であったそうです。

『沈黙のファイル』末尾のイワン・コワレンコ証言において、コワレンコ氏は次のように述べています。(単行本 p.354)

日本はドイツの同盟国だというところから出発すべきだ。日ソ中立条約があったにもかかわらず日本はドイツと協力した。北太平洋で日本軍は戦争物資や民需品を乗せたソ連の民間輸送船を沈めた。ソ連についてのスパイ情報もドイツに送った。ソ連国境に関東軍を終結した。そのためソ連はソ満国境に四十個師団を配置しなければならず、これらの師団をドイツとの戦争に投入できなかった。直接の敵ではなかったが、敵と同じだった。
 

さて、昨2月23日の読売新聞社説では次のように書かれています。(抜粋)

森氏はプーチン氏との会談で、北方領土問題について昨年3月「引き分け」を目指すと発言したことの意味を質(ただ)した。プーチン氏は「勝ち負けなしの解決だ」と述べるにとどめたという。

歯舞、色丹2島の引き渡しを明記した1956年の日ソ共同宣言が、領土交渉におけるプーチン氏の立場の原点だ。ロシアは近年、国後、択捉両島などの基盤整備に予算を投入し、北方領土の「ロシア化」を着々と進めている。

森氏が先月、テレビ番組で択捉島以外の3島の先行返還に言及したのは、現実的な解決を急ぐべきだと考えるからだろう。
麻生副総理も外相時代に4島全体の面積を2等分する「面積等分論」に言及したことがある。
 

日本も四島一括返還を呪文のように唱えるだけでは島は永久に還って来ないでしょう。日本は自縄自縛でタイミングを失したと思います。一切を求めても、得るのは無です。
ただ政治家はそれをいうと袋叩きに遭うので、おそろしくて口にしないのです。
森元首相の1月9日夜BSフジ番組での“「3島返還」選択肢”発言もそうでした。産経などでは特に批判されていました。

小泉さんが北朝鮮から拉致被害者を奪回した時も、それが「全員でない」という理由で、他ならぬ拉致被害者支援者サイドから非難されました。
櫻井よしこなどという人が非難の急先鋒でしたね。
一切を求める者は、外見は立派に見えて、何も求めていないのです。

ソ連の条約破りをいいますけど、日本もソ連側に攻め込む検討は十分にしていたのです。
南へ向かったのは「選択」の問題に過ぎません。
お互い様と思います。
竹島・尖閣とは意味が違うのです。北方四島は、明確な「戦争」で取られたのです。

全島一括して取り返したかったら、もう一度戦争するしかないでしょう。 

[固定アドレス]
[Home]