2013年6月22日 (6/24 追記)
三保松原

富士山が、三保松原を含め「世界文化遺産」に登録されたそうです。
私はその意義について論評できませんが、「三保松原」については、現状を、関係者の皆様がご存じなのか、と思いますね。
三保松原は「イコモスが除外を勧告していた」そうですが、イコモスの勧告が妥当だったと思います。

先月末、5月31日から一週間、6泊7日で“東海道五十三次”の旅に出ました。
東海道五十三次その通りではないですが、ほぼその経路を辿り、往きは東海道、帰りは中山道の旅をしました。ほぼ 1,400Km走りました。

最初の宿泊地が「三保松原」でした。宿場番号でいえば、「18番 江尻宿」の近くになります。
三保松原を選んだのは、世界文化遺産云々が話題になっていたからです。

三保松原は40年余り前に訪ねました。
観光で来るほど心にも金にも余裕のなかった頃で、私が富士・吉原地区に数軒のお得意先を持っていた、1968年前後と思います。
社用にくっつけて訪れたのでしょう。
美しい場所として心に残りました。

松の美しさと共に忘れないのは「地引き網」の見事さで、みんなが協力して引き上げる網の中に、引き上げられるにつれ踊る銀鱗、正に「鯛やヒラメ」の美しさでした。
こんなに!と、その量と種類に驚愕しました。
豊かで長大な浜辺でした。

それが、滅びてしまうのでしょう。おそらく最終段階にありますね。
見たくなかったです。

原因は人間的要因のようです。
wikipediaによれば、原因は、
「1960年代に安倍川により流された土砂を大量に採掘したこと」
「安部川での砂防ダムや護岸工事など、川から供給される砂や礫の減少により、波や沿岸流で供給される流砂と波によって侵食される土砂の需給バランスが崩れたため」
と考えられている、ということです。

森は海の恋人」という畠山重篤氏の始めた美しい運動があります。
森が伐られ、川の海への流れが遮蔽されたとき、海は衰退する、ということです。

三保の松原は、その足下が、海に削り取られようとしています。
松原が海に沈み込んでいく姿を、容易にイメージできます。松並木のすぐ足下に、浜を抉った海が近づいています。

「世界文化遺産」への登録は、反面教師になる為でしょうか。今回の決定が三保松原への世界の注視を呼び、それがかつての砂浜を取り戻す契機となることを、祈ります。



富士とテトラポット



松原の足下は抉り取られようとしている






6/24 追記
Yahooから、Hajime HAYASHIDA とおっしゃる方の、
「三保の松原からの富士」
というのを発見しました。
ホームページは、「富士山のページ」のようです。

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