2015年6月21日
1955年4月バンドン会議(一)


「バンドン会議」の呼称を、私は勿論知っていました。1955年4月といえば私は13歳。その時に、スカルノ、ネルー、周恩来、ナセル、という名を覚えたと思います。しかしその歴史的・政治的意味について、知ることはありませんでした。

私が今、何故この会議に興味を持ったかと言えば、今年4月22日、「アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議」において安倍首相がスピーチし、中国を含めその内容を問題視しなかったにも拘わらず、韓国のみ、「謝罪がない」理由をもって、公式に安倍発言を非難したからであります。(日本の政治家報道陣言論人のある傾向の人々がそれに同調し、補強しました)。
安倍スピーチの直前に中国・習近平主席は退出したそうでありますが、少なくとも公式に批判はしていません。(周主席の安倍スピーチ前退席は、安倍発言に「謝罪」が無い理由でなく、安倍スピーチが実質的に中国への強い牽制を含むものであることを事前に察知した故であると考えます)。

アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議における安倍総理大臣スピーチ


私の印象では、会議参加国の多くは安倍スピーチを支持し、日本を頼りになると感じたように思います。
韓国・朴槿惠大統領の会議不参加は、“逃げた”のだと思います。悪口をふれ回っている安倍さんが歓迎される姿を、正視出来なかった、というのが私の感想です。私はサッチャー氏や現在のメルケル氏、クリントン氏、その他の多くの女性政治家に“女性”を意識したことがありませんが、朴さんにだけは強くそれを感じます。

日本は1955年4月、第一回「バンドン会議」に招かれました。55年と言えば日本の敗戦後10年、
カトリック教会の大司教や司教団、日本共産党が口を揃える、「アジア・太平洋地域の2 千万を越える人々の死に責任を持って」いる国日本、その日本国政府に対して、その被害地域の人々が、招いたのです。

白柳誠一大司教(のちに枢機卿)は次のように語っています。

東京カテドラルのミサにおける白柳誠一大司教の説教(1986.09.21)


2000万人が事実であれば、当該地の人々は日本を呼び付け、糾弾し、謝罪させようとした、と考えるのが自然です。しかし、資料はそのようになっていません。
日本政府次席代表として会議に出席した加瀬俊一氏の子息・加瀬英明氏によれば、お父様より直接聞いた話として、

第一回AA会議は、大戦が終結してからまだ十年しかたっていなかったために、反植民地感情が奔騰するなかで開催された。父もその熱気に、あらためて驚かされた。
会議が始まると、新興アジア・アフリカ諸国の代表たちが日本代表団の席にくると、日本が帝国主義勢力をアジアから駆逐して、民族解放をもたらしたことに対して、つぎつぎと感謝の言葉を述べた。
昭和31(1956)年3月8日に、重光葵外相が参院予算委員会で、「人平洋戦争によって、日本は東南アジア諸国の独立に貞献した」と述べた。
いま、岸田外相が同じ発言を行うことが、できるだろうか。
(『日本の息吹』 平成27年6月号)


上の内容に同主旨の文章は、平成6年7月、加瀬俊一氏が京都外国語大学で行った講演として、多くの場所で引用されています。ただ私はその原典を発見できませんので、加瀬英明氏の言葉を紹介しました。
名指しはしませんがある大手紙論説委員の方も、その加瀬俊一氏の京都外語大学での講演がある人の著作に引用されていると、その部分をそっくり引用をしていますが、(即ち曾孫引)、その引用先著作の当該場所に記載されているのは、関係はあるが別物です。曾孫引してその引用先を誤記するという、困った例です。しかも全く同じ間違いをしているWebページが別にもあり、原典に関係なく流布していると想像できます。
報道を職とする者は、原典を追及し確認する作業を、倫理として持たなければならないと思います。


(加瀬英明氏が紹介している重光葵発言は、次のようなものです)。

24-参-予算委員会-10号 昭和31年03月08日

○国務大臣(重光葵君)
  お話の要点は、アジア方面における民族主義を尊重しろ、こういうことに尽きておると私は思います。
  一体、民族主義がどういうわけで起ってきたか。御承知の通りに第一次世界戦争においてはヨーロッパの民族主義が確立しましてヨーロッパの各国が興ってきた。第二次世界戦争においてはアジア、ひいてはアフリカ方面の民族主義が確立すべき時期であると、こう歴史家は見ておる。これは見落ししてならぬことはむろんのことであります。しかもそのアジアの民族主義の確立については、私は日本の戦争を何ら批判し、もしくは弁護するということは少しもいたすものではございませんけれども、しかしながら、第二次世界戦争――太平洋戦争というものが大きなここに関係を持っておるということは否定することができません。この意味においては、私は日本はアジアの民族主義に貢献したという意味において、日本人としてもややその点においては満足感を持つものでございます。しかしそれはそれとしておきまして、これはどうしても民族主義を尊重しなければならない、これが根本であることはむろんのことでございます。(後略)


ところで、
カトリック教会の、「日本の、2000万人の死への責任」説は、司教団、あるいは大司教によって、繰り返し引用され踏襲されています。ただし、根拠を示そうとしません。

戦後70年司教団メッセージ平和を実現する人は幸い~今こそ武力によらない平和を(2015.02.25)

「戦後70年司教団メッセージ」の精神(岡田大司教)-しんぶん赤旗(2015.04.21)


岡田大司教の「しんぶん赤旗」での発言は、掲載日付からして日曜版でなく、本紙のようです。(私は日曜版の定期購読者です)。ここでも、

「1986年にこの大聖堂(東京カテドラル聖マリア大聖堂)にアジアの司教の代表者が集まりましたが、私の前任者である白柳誠一大司教は、アジア・太平洋戦争による2千万を超える人々の死への責任を告白し、許しを願いました。また1995年、戦後50周年にあたり、当時の司教全員で出した「平和への決意」というメッセージでは、日本軍による残虐な破壊行為、元日本軍「慰安婦」問題にも言及し、謝罪を行い、償いの責任を表明しています。」

と語っています。そして、末尾で、

私は日本共産党とは思想的に異なりますが、共産党が日ごろ言っていることには賛成です。改憲の動きの強まりのなかで、平和の擁護を貫いている共産党にはがんばってもらいたいと思います。

「私は日本共産党とは思想的に異なりますが、」
と前置きしていますが、どこが違うんですかね。私の知る範囲では、日本共産党と日本のカトリック司教団は、思想的に、完璧に一致しています。一致していない言動を発見することが出来ません。のみならず共同行動もしてきたのです。

(参考資料) 「ご承知の上でしょうか?」


この「2000万人説」については日本共産党も夥しい場所で語っています。赤旗のみならずNHK討論でも、国会でも、TVでも、街頭演説でも、至るところで使っています。[日本 侵略 2000万人 NHK]で検索すると、ずらずらっと出てきます。カトリック司教団は一切根拠を出しませんが、発言内容は日本共産党のそれに一致しています。その日本共産党が唯一、根拠らしきものを示したページがあります。

侵略戦争の犠牲者数は本当か?-「しんぶん赤旗」2004.11.04


[日本共産党の答え](要旨)

・ 中国1000万人以上(「中国の人権状況」中国国務院=ただし37年7月~45年8月まで。他に2000万人との報告もある)、
・ べトナム200万人(独立宣言)、
・ インドネシア400万人(サンフランシスコ講和会議での同国代表発言)、
・ フィリピン111万1938人(対日賠償要求)、
・ インド150万人(べンガル飢餓死者のみの推計、政府任命飢餓調査委員会)、
・ ニュージーランド1万1625人(政府公表)、
・ オーストラリア2万3365人(同)、
・ そのほか泰緬(たいめん)鉄道建設に投入された労働者の各国死者7万4025人(英国調査)など。ミャンマーやシンガポール、朝鮮などをのぞいても、これら諸国の公的発表の死者数だけでも1872万から2872万人を数えます。

1955年4月のバンドン会議に、ニュージーランドとオーストラリアを除いて上に挙げられて国は参加しています。それら参加国の、日本共産党が言う日本が責任を持つ死者の合計は、(中国を下限の1000万人としても)、18,611,938人になります。議長国のインドネシアは400万人の犠牲者を出しているというのです。(それはそれとして、何人単位と何100万人単位と、1000万人単位が混在する物凄い根拠資料ですな)。

それらの国が、体験者の大多数が生きている10年という時期に日本を招き、日本への非難はなく、日本も又謝罪の形跡がありません。日本政府代表団は何事もなく、無事帰国しています。

どう考えても、おかしくはないですか?


私が「バンドン会議」に興味を持ったのは直近で、無知と言えます。二冊の本を便りに、少し勉強してみたいと思います。




『バンドン会議と日本のアジア復帰』
宮城大蔵 著
草思社





世界の教科書シリーズ
『インドネシアの歴史』
イ・ワヤン・バドリカ
石井和子 監訳
明石書房



なお末尾ですが、1955年4月の「バンドン会議」において、『平和十原則』というのが採択されています。その中に次の2条があります。

5. 国連憲章による単独または集団的な自国防衛権を尊重
6. 集団的防衛を大国の特定の利益のために利用しない。また他国に圧力を加えない。

「平和十原則」ですから、平和の為に“必要”と合意した「原則」です。武力放棄は検討の対象になっていません。思いも及ばない、というやつです。

[固定アドレス]
[Home]

本文発信者は「野村かつよし」です。

ご意見はこちらへ→