2008/09/26
皆さん、こんにちは。

小泉元総理の政界引退は私にとって感慨深いニュースだったので、とりあえず短い短評を書かせて頂きました。(→)
小泉さんのことはまたゆっくり、来月に入って書きたいと思います。

さて、「正平協・大阪大会」報告の第二回。
13日夕刻から、開幕式、夕食会がありました。

まず池長大阪大司教の、ご本人も直接関係はないがとお断りの、あまり関係ない開会の挨拶がありました。
次に正平協会長・松浦悟郎補佐司教の挨拶がありました。
食事、歓談が進行したところで、余興というのか、意味はよく分かりませんでしたが、こんなのがありました。

延々と、感じでは30分くらい(実際は20分くらい?)ありました。
何かを歌っているのですが、私には意味が分かりませんでした。
これが、大司教二人(長崎、大阪)、司教三人(さいたま、仙台、大阪補佐)の臨席する催しですかね。
私は途中で外に出ました。
品がなかったですね。歌も十分に下手でした。

さいたまの谷司教たちがタバコを吸っておられました。

谷司教は、私は二度目ですが、司教の方は私を勿論知りません。
最初は昨年7月29日、参院選挙投票日のミサでした。
この日私は仲間数名と、浦和教会まで行きました。谷司教が参議院選挙当日にミサの中で政治的な発言をするというので、聞きに出かけました。事実それらしき資料も配られました。
何よりびっくりしたのは谷司教の服装でした。
浦和教会所属“頬白親父”さんに送った感想のメールを、頬白さんはそのままブログに掲載してしまいました(勿論事前の相談はありました)。

=野村のメール=

司教が香部屋に入る2分前まで、Gパン&Tシャツ姿でぶらぶらしていたのには、本当にオドロキました。
写真で見る谷司教によく似たオッサンがいるもんだなと、まさか本人と思わず、カメラを構えるもことなく、ぼんやりみていました。その人がミサ2分前に香部屋へ向かい、“司教”になって出てきたのには魂消ました。Gパン&Tシャツの上に祭服をひょいと羽織ったに違いありません。まあ、涼しいでしょうね。私たちの教会では有り得ないことです。
司祭はスータンを常用、ミサの祭服はその上に着けます。お暑いと思います。浜尾枢機卿もローマンカラーを外したことはないし、その上から祭服を着けます。夏は大変だろうと思います。事実、湯気を上げていますよ。

祭壇では、神父様方は膝の前に手を置きかしこまっているのですが、この方は腹が突き出しているせいもあるでしょうが反り返った感じで、偉そうにしていました。
説教席へ、十字架の前を横切る時も、神父様方は十字架に頭を下げるのですが、“司教様”はその素振りもみせませんでした。「敬虔さ」をまったく感じさせない人ですね。

ミサを終えて出てくるときは、カメラを構え待機しました。祭服をひょいと丸めて、左腕でかかえていました。

この時は信徒の皆様が司教の動きにまったく影響されない雰囲気にも驚きました。
山手教会では梅村司教が前を通れば、信徒は立ち上がりますよ。

まあそれはそれとして、今回の谷司教は、きちんとした服装でした。

この、外でいる間に一人の聖職者が、母娘と話していました。私は初めてでしたが、それがこの会場である聖トマス大学々長の小田武彦神父であると、仲間から耳打ちされていました。娘さんはこの大学の学生だったのかも知れません。
横で耳をすませますと、アフリカの人々を例えて、人生について話しておられるようでした。相当に長い話しで、話すのは小田神父のみでしたが静かな、噛んで含める言い方で、聞く母娘はニコニコして、何度もうなずいていました。私も内容の詳細は分かりませんが、いい話しであることは分かりました。何よりも小田神父の醸し出す雰囲気が「聖職者」でした。この方について詳しいことを存じませんが、私が挨拶しますと、名刺を下さいました。「メール・アドレスは裏にあります」とおっしゃいましたので、この「正平協大会レポート」が完成すれば、案内旁々、メールを差し上げてみようと思います。


夕食会がほぼ終わって片づけに入る頃、私の仲間が松浦司教と話しており、私も近づきました。
私は6月1日に、司教にお目にかかっていました。

前に質問書を出していました。返事も頂いていました。

私たちの出した質問書に対して、回答いただいたことにお礼を申し上げ、しかし、
「あれではまったくお答えになっていません。私はストレートを投げているのですから、キチンと打ち返して下さい」
といいました。司教は、
「文書でなく、ゆっくりお話ししましょう」
とおっしゃるので、結構です、私はどこへでも行きます、潮見でも結構です、と約束した訳です。
それはそれでいいのですが私の仲間も一緒に次の話題に移り、声が段々大きくなりました。

司教のお話しは、「福音の教えに従って、教会には政治的発言をする義務がある」というものだったと思います。
以下は松浦司教の反論できない文章なので、あくまで野村がそう理解した、ということで、お読み下さい。このページを松浦司教がご覧になって、意に反する受け取りだとご指摘されるなら、いつでもその箇所が分かる形で、訂正致します。

「イエス様は無抵抗にすべてを受け入れ、十字架にかかられた」と司教は話されました。
「司教様のおっしゃる非武装・無抵抗と言うことは、もし他国から攻められたら日本国民に、無抵抗に、死を、もしくは隷従を受け入れよ、ということですか?」
「そうです。それがなければ何のための信仰ですか。ガンジーも、キング牧師も、無抵抗でした」
「ガンジーの無抵抗は、それが最も効果的であった政治的選択でしょう。当時のイギリスと武力で戦って、勝てる可能性がありましたか? 政治的に不可能なものから捨てていったら、わずかな可能性ではあるが一縷の望みが、無抵抗で世界に訴えることだったのでしょう。ガンジーは宗教的根拠で無抵抗だったのではないですよ。政治的選択です。キング牧師も同じでしょう。キング牧師がテロリストにならなかったのは、当然の選択じゃないですか。あの人たちはすべてリアリストです。だからこそ偉いのです。
日本の政治家に、他国から攻められたら無抵抗に手を上げよと要求するのですか。
司教ご自身がその選択をなさるのはいい。私自身もあるいは、人を殺すよりは自分の死を選ぶかも知れない。しかし政治家にそれを求めるのは間違いであり、愚かです。政治の目的、政治の正義は、国民の生命・財産を守ることです。宗教の正義と政治の正義は違うのです。だからこそ“分離”しなければならないのでしょう」
「福音のメッセージに従って、私たちには政治的にも発言する義務がある」
「福音のメッセージがこうであると、司教様が判断なさるのですか。カテキズムの教えと、随分違うじゃないですか。教会のカテキズムは、正当防衛を認めています(→カトリック教会のカテキズム抜粋)。ご自分の政治的言動が福音に基づいたものであると主張するのは僭越ではないですか。
しかし、よしんばそうだとして、ハワイ沖“えひめ丸”事故では、あくまで意図しない事故であるに拘わらず正平協はブッシュ大統領にまで抗議しました。奄美沖北朝鮮工作船は明らかな殺意をもって我が巡視船“あまみ”に対し機関砲を撃ち込んできた。しかし正平協は一言の抗議もしていない。(この辺りから段々声が大きくなったそうです)。なぜ北朝鮮には抗議しないんですか。チベットの人権蹂躙・虐待についてもそうです。アメリカに対してはブッシュ大統領、ならばなぜ駐日大使でなく胡錦涛に宛てないのか」

この辺りは、仲間のKさんは相当にビックリしたみたいです。
司教の回りには誰もいなくなり、残った人たちも“息を呑んだ”そうです。
実際問題として、そんなに殺気だった雰囲気はなかったのです。目は、司教は穏やかだったし、私もそのはずです。ただ司教が、「ちょっと待った、ちょっと待った」と私の発言を封じようとしたのは、ちょっと重厚さに欠けるように感じました。私も多少一方的にしゃべりすぎましたけどね。

片付けの人に邪魔になるので外に出、正門方向に歩きました。
途中で本田神父のことを思い出し、
「イエス様はマリア様がレイプされて生まれた子だ」
というようなとんでもないことを教えている神父がいます。どうなさるんですか、と尋ねました。「本田神父はどのような心でクレドを唱えているんでしょうか」
「自分はよく知らない、どのような文脈の中での言葉かも分からない」とおっしゃいました。
「本も出しているじゃないですか。発言がインターネットでも出ています。鹿児島の郡山司教もご自分で耳にして、驚いているではないですか」
「あなたが本田神父に直接話して下さい」
「私がそんなことする立場ではありません。司教の、それが役目でしょう」
その声も多少大きかったかも知れません。薄明かりの中で銀杏の葉が揺れました。
「あの人はフランシスコ会で、」
「しかし大阪教区の統制下にあるのでしょう。あんなものは破門にして下さい」
と言ってしまいましたが、これは言い過ぎだったでしょうね。

=続きます。=

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