2014年4月5日
永遠の0(ゼロ)

 

特攻を扱った「永遠の0」という小説が、ベストセラーとなり、映画もヒットしている、ということは知っていました。


昨年末に鹿児島県の特攻ゆかりの数カ所を巡りました。
出水、鹿屋、指宿、知覧、万世、・・・

私は、特攻で出撃した方々の、何かを、分かろうという積りはありませんでした。
分かりようは無いのです。

私には、“ベストセラー”というものに直ちには食いつかない習性があって、それは的外れですが、嫉妬心があると思います。

鹿屋へ行ったのは、
堀栄三氏 『大本営参謀の情報戦記』
を読んでいたからです。
昨年二月には賀名生の堀氏生家も訪ねました。

『大本営参謀の情報戦記』のクライマックスに「鹿屋」がありました。鹿屋へ行って、そこで初めて、その地と『永遠の0』に繋がりのあることを知りました。
この本、この映画のチラシ、そして「永遠の0」名の焼酎まで、鹿屋の場所場所で目に付きました。
焼酎は買いましたが、その時も本は買いませんでした。

本を買ったのは、千玄室宗匠の産経新聞連載コラム「一服どうぞ」2014.03.23を読んだからです。
千玄室宗匠がかつて海軍特攻隊員であり、水戸黄門・西村晃が同僚であったことは知っていました。

ことの善しあしは別として、かつて海軍の特攻隊員であった私も遺書を書いた。生きて帰った私はその遺書を今も保存している。当初は見るのも話をするのも嫌で、己のみ生存するという後ろめたさにじくじたる思いでいっぱいであった。特攻に参加したことなど言うまいという思いが強く支配していた。しかし百田尚樹さんの『永遠の0』を読み返し号泣した。そして映画になった。実際その当時の予備学生出身の士官であった自分を、映画の中に置き換えて見ながら、逝(い)った戦友の顔を思い出し、ほとばしる涙で顔がぬれていたのである。
「卑怯(ひきょう)といわれても自分を大切にしろ」と教官たちの中の一人に諭された。水戸黄門役で名を上げた今は亡き西村晃が相棒であったが「千よ、俺は絶対死なんぞ。生きたい。生きたい」と叫んだ声が今も耳の底に残っている。

これを読んで、私は初めて、『永遠の0』を買い、一気に読みました。

結論を言うならば、これは最高度の、『反戦小説』です。
そしてこの本が「反戦小説」であると感じる人は、靖國神社が『平和祈念』の社であると分かるでしょう。

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2013.12.22 鹿屋 零戦


2014.02.21 佐世保 東山海軍墓地

戦に生き残った者名を連ね悲惨な
戦争が二度とおこらぬよう訴え祖國の
繁栄と平和を祈念してこの鎮魂の碑を建てる
               1985.10.20

「兄・野村博美」
「東京だョおっ母さん」
「あゝ同期の桜」

 

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