2014年7月9日
司教団の病(三)

7/10 余録
 

本文は個別の事例でなく全体の傾向について述べようと思っています。が、たまたま「集団的自衛権」に関する与党協議での合意、続く閣議決定に対する、日本カトリック正義と平和協議会、並びに日本カトリック司教協議会常任司教委員会の、素早い反応がありました。時事問題として本件について検討してみようと思います。与党合意の為されたのが6月27日、閣議決定が7月1日。正平協の声明は6月27日与党合意当日、常任司教委員会抗議声明は閣議決定の翌々日で、手際の良い反応です。衆議院内閣委員会における中丸啓議員発言への無反応との落差に驚きます。こうした発言は、どのような手順で公式声明として承認され、公開されるのでしょうか? 常々疑問に思っていることの一つです。

閣議決定は7月1日に為され、併せてQ&Aが発表されました。安部首相の記者会見もありました。

日本カトリック司教協議会社会司教委員会から出版された、『なぜ教会は社会問題にかかわるのか Q&A』の中で、

「(前略)ですから、教会は、福音を生活によってあかしするだけでなく、人間のいのちの尊厳と基本的人権、共通善などにかかわる諸問題を福音と教会の教えに照らして理解し、人々の救いのために必要であると判断するとき発言するのです。」(p.15)

と答えています。従って今回の「集団的自衛権」に対する抗議文も、「教会の教えに照らして」「人々の救いのために」発せられた、ということになります。その観点から、今回の閣議決定事項のどの部分がそれに当たるのか、検討してみたいと思います。全文を引用することは出来ませんので、私の考える要点のみになりますが、選択が不適当と思われる方は、ご指摘下さい。便宜的に閣議決定文に、当該箇所へリンクを設定します。クリックして下さい。

(1)は特に問題は無いと思います。

(2)は、私は当然の認識であると思いますが、そう思わない人も多いので反対される訳です。憲法前文の、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」という前提条件が、既に失われていると思います。が、そう思わない人も多くいるのでしょう。しかしこれは認識の問題、政策の問題であって、「教会の教え問題」ではあり得ません。

(3)(4)は、カトリック教会の教えに合致しています。教会の教えを問題にするなら、正に教えに沿ったなものです。

[カトリック教会のカテキズム]
1906 共通善とは「集団とその構成員とが、より完全に、いっそう容易に自己の完成に達することができるような社会生活の諸条件の総体」である、と理解すべきです。共通善はあらゆる人の生活にかかわります。一人ひとりの側にはもとより、権威を行使する人々の側にはいっそうの賢明さが必要です。共通善には三つの本質的要素があります。
1907 第一に、個人をその人であるがゆえに尊重することです。共通善を実現するために、公権は個人が持っている基本的で奪いえない人権を尊重しなければなりません。社会は、その構成員の一人ひとりがそれぞれの召命を実現できるようにしなければなりません。共通善はすべて、人間の召命の実現に欠くことのできない本来の自由、たとえば「正しい良心に従って行動する権利、プライバシーを守る権利、宗教の分野をも含めて正当な自由を享有する」権利を行使する諸条件を整えることを要求します。
1908 第二に、共通善は集団の社会的安寧と発展とを求めます。すべての社会的任務を要約すれば、発展ということばで表現することができます。いうまでもなく、異なる個々の利害を共通善に応じて判定するのは権限者の務めです。しかし、権威者は、それぞれの人が真に人間らしい生活を送るために必要なもの、たとえば食料、衣服、健康、仕事、教育や教養、適正な報道、家庭を作る権利などを手に入れやすくなるように図らなければなりません 。
1909 第三に、共通善には平和、すなわち、正しい秩序の持続や保全という内容が含まれています。したがって、権威者は適正な手段を用いて、社会とその構成員との安全を図らなければなりません。共通善こそが、個人および集団の合法的防衛権の土台になるものなのです。
1910 各共同体にはそれぞれに認められた共通善がありますが、共通善を完全に実現するのは政治共同体です。市民社会やその住民、および中間団体の共通善を擁護し、促進させるのは国家の務めです。

(5)で述べられた目的も、上記、カトリック教会のカテキズムに合致します。

(6)(7)(8)は当たり前のことで、不備であったことがむしろ政治の油断怠慢と思います。どこに「教会の教え上」の問題があるでしょうか?

(9)、ここは問題なのだろうと思います。我が国の防衛に助けとなる活動をしている米軍が攻撃された場合、知らんぷりをするのかどうかということです。防衛そのものを不必要という人々相手ですから話は通じませんが、(昔2chで卓抜な喩えを読みました。曰く、「鍵を掛けるから泥棒が入るのだという人々」)、本文はその論争が目的でなく、この条項が「教会の教え」にどう反しているかの点検です。私には、教会の教えに沿っていてこそ、反している部分を見出すことが出来ません。

(10)(11)、現に戦闘の行われている場所へは入らないが、戦場でなかった所が戦場になった場合、端的には、日本は逃げる、ということです。これは実際にそのようにいくか、戦場か戦場でないかの判定も難しいし、判定した後は更に難しいでしょう。そんなに器用に離脱できますかね。友軍を捨て置いて、去ることが出来ますか?去ることが必ず、より安全だと決まっているのでしょうか。この部分は、私自身疑問を持ちます。国会審議で相当に揉めるでしょうね。しかしいずれにせよ「政治的選択」の問題であり、「教会の教え」に関係しないと思います。どこにそのような教えがあるのか、教えてくださいと質問しても、回答のあったことはありません。司教様方の頭のなかには、私たちには見えない「教本」があるようです。

[カトリック教会のカテキズム]
2265 正当防衛は単に権利であるばかりではなく、他人の生命に責任を持つ者にとっては重大な義務となります。共通善を防衛するには、不正な侵犯者の有害行為を封じる必要があります。合法的な権威を持つ者には、その責任上、自分の責任下にある市民共同体を侵犯者から守るためには武力さえも行使する権利があります。
2310 このような場合、政治をつかさどる者には祖国防衛に必要な任務を国民に課す権利と義務とがあります。職業軍人として祖国の防衛に従事する人々は、国民の安全と自由とを守るための奉仕者です。自分の任務を正しく果たすとき、共通善ならびに平和の維持に真に貢献するのです。
2312 教会の教えならびに人間理性に基づけば、戦争中も道徳律がつねに守られるべきです。「不幸にも戦争が起こった場合、そのこと自体によって、敵対する国家間においてはすべてがゆるされることになるわけでもありません」。

(12)これは当然そうあるべきでしょう。1909「権威者は適正な手段を用いて、社会とその構成員との安全を図らなければなりません。」全く、教えに沿っているのです。

(13)(14)ここが今回「閣議決定」の眼目でしょう。日本国憲法は文章としても変なところが多いですが、(例えば前文の、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」)、ここで政府は、憲法が政府に要求しているものの中で一番大切なものは何かと言っているのです。それは、「国民の平和的生存権」であり、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」です。カトリック教会の教えにある「共通善」と、ほぼ同じものです。(ほぼ、というのは、私には全く同じものに思えますが、私は教義に精通していませんので、ほぼと言っておきます)

(13)(14)は政府の認識であって、私自身はそれをごく当然の認識と思いますが、そう考えない人も多くいるでしょう。私との議論の中で他国から攻められた場合、「戦うよりは隷従を選ぶ」と語った司教様がいらっしゃいます。これは日本国憲法に違反ですし、教会の教え(カテキズム)にも反しています。どっちにせよ、それは「政治問題」であります。閣議決定を基礎とした法案が国会に出され、審議されるでしょう。民主主義と日本国憲法の定めに従って、採択もしくは否決されるでしょう。「政治」の問題であって、「教会の教え」に関係ありません。ですから、司教様方の口出する問題ではないのです。司教様方には、もっと重要な別問題があるでしょう。

(15)(16)国際法上では許されることも、「あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるもの」と制限しています。これを信じるかどうかは、「教会の教え」に関係なく、“投票権”の問題です。

 


河野定男氏 『何故いけない?教育基本法改正』
(教会の教えを底に置いた論文で、本論の手本になったものです)

 

(余録としてのつぶやき)

  1. 日本国憲法で何が最重要なのか、ということが、正面から取り上げられたのだと思います。何となく「九条」と思ってきました。今回内閣は、「われらの安全と生存」(前文)「生命、自由、幸福の追求」(十三条)の保持を、政府の最重要責務であると語ったのです。憲法解釈変更というなら、正にこの点にあります。

  2. 昔、2chで秀抜な警句に度々出会いました。「我が国が他国を攻めると心配する人が、他国が我が国を攻めるとは心配しない。」

  3. 結局、自国の政府を、保護者と考えるのか、抑圧者と考えるのか、
    國民にとって政府は味方なのか敵なのか、
    その位置によって、答えは180度変わるでしょう。


 

 

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国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について

原典

平成26年7月1日
国家安全保障会議決定
閣議決定
 

(1)我が国は、戦後一貫して日本国憲法の下で平和国家として歩んできた。専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持しつつ、国民の営々とした努力により経済大国として栄え、安定して豊かな国民生活を築いてきた。また、我が国は、平和国家としての立場から、国際連合憲章を遵守しながら、国際社会や国際連合を始めとする国際機関と連携し、それらの活動に積極的に寄与している。こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない。

(2)一方、日本国憲法の施行から67年となる今日までの間に、我が国を取り巻く安全保障環境は根本的に変容するとともに、更に変化し続け、我が国は複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している。国際連合憲章が理想として掲げたいわゆる正規の「国連軍」は実現のめどが立っていないことに加え、冷戦終結後の四半世紀だけをとっても、グローバルなパワーバランスの変化、技術革新の急速な進展、大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発及び拡散、国際テロなどの脅威により、アジア太平洋地域において問題や緊張が生み出されるとともに、脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている。さらに、近年では、海洋、宇宙空間、サイバー空間に対する自由なアクセス及びその活用を妨げるリスクが拡散し深刻化している。もはや、どの国も一国のみで平和を守ることはできず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で一層積極的な役割を果たすことを期待している。

(3)政府の最も重要な責務は、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の命を守ることである。我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、政府としての責務を果たすためには、まず、十分な体制をもって力強い外交を推進することにより、安定しかつ見通しがつきやすい国際環境を創出し、脅威の出現を未然に防ぐとともに、国際法にのっとって行動し、法の支配を重視することにより、紛争の平和的な解決を図らなければならない。

(4)さらに、我が国自身の防衛力を適切に整備、維持、運用し、同盟国である米国との相互協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼及び協力関係を深めることが重要である。特に、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定のために、日米安全保障体制の実効性を一層高め、日米同盟の抑止力を向上させることにより、武力紛争を未然に回避し、我が国に脅威が及ぶことを防止することが必要不可欠である。その上で、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜くとともに、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備しなければならない。

(5)5月15日に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」から報告書が提出され、同日に安倍内閣総理大臣が記者会見で表明した基本的方向性に基づき、これまで与党において協議を重ね、政府としても検討を進めてきた。今般、与党協議の結果に基づき、政府として、以下の基本方針に従って、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な国内法制を速やかに整備することとする。
 

1 武力攻撃に至らない侵害への対処

  1. (6)我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していることを考慮すれば、純然たる平時でも有事でもない事態が生じやすく、これにより更に重大な事態に至りかねないリスクを有している。こうした武力攻撃に至らない侵害に際し、警察機関と自衛隊を含む関係機関が基本的な役割分担を前提として、より緊密に協力し、いかなる不法行為に対しても切れ目のない十分な対応を確保するための態勢を整備することが一層重要な課題となっている。

  2. (7)具体的には、こうした様々な不法行為に対処するため、警察や海上保安庁などの関係機関が、それぞれの任務と権限に応じて緊密に協力して対応するとの基本方針の下、各々の対応能力を向上させ、情報共有を含む連携を強化し、具体的な対応要領の検討や整備を行い、命令発出手続を迅速化するとともに、各種の演習や訓練を充実させるなど、各般の分野における必要な取組を一層強化することとする。

  3. (8)このうち、手続の迅速化については、離島の周辺地域等において外部から武力攻撃に至らない侵害が発生し、近傍に警察力が存在しない場合や警察機関が直ちに対応できない場合(武装集団の所持する武器等のために対応できない場合を含む。)の対応において、治安出動や海上における警備行動を発令するための関連規定の適用関係についてあらかじめ十分に検討し、関係機関において共通の認識を確立しておくとともに、手続を経ている間に、不法行為による被害が拡大することがないよう、状況に応じた早期の下令や手続の迅速化のための方策について具体的に検討することとする。

  4. (9)さらに、我が国の防衛に資する活動に現に従事する米軍部隊に対して攻撃が発生し、それが状況によっては武力攻撃にまで拡大していくような事態においても、自衛隊と米軍が緊密に連携して切れ目のない対応をすることが、我が国の安全の確保にとっても重要である。自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、米軍部隊に対して武力攻撃に至らない侵害が発生した場合を想定し、自衛隊法第95条による武器等防護のための「武器の使用」の考え方を参考にしつつ、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動(共同訓練を含む。)に現に従事している米軍部隊の武器等であれば、米国の要請又は同意があることを前提に、当該武器等を防護するための自衛隊法第95条によるものと同様の極めて受動的かつ限定的な必要最小限の「武器の使用」を自衛隊が行うことができるよう、法整備をすることとする。
     

2 国際社会の平和と安定への一層の貢献

(1)いわゆる後方支援と「武力の行使との一体化」

  1. いわゆる後方支援と言われる支援活動それ自体は、「武力の行使」に当たらない活動である。例えば、国際の平和及び安全が脅かされ、国際社会が国際連合安全保障理事会決議に基づいて一致団結して対応するようなときに、我が国が当該決議に基づき正当な「武力の行使」を行う他国軍隊に対してこうした支援活動を行うことが必要な場合がある。一方、憲法第9条との関係で、我が国による支援活動については、他国の「武力の行使と一体化」することにより、我が国自身が憲法の下で認められない「武力の行使」を行ったとの法的評価を受けることがないよう、これまでの法律においては、活動の地域を「後方地域」や、いわゆる「非戦闘地域」に限定するなどの法律上の枠組みを設定し、「武力の行使との一体化」の問題が生じないようにしてきた。

  2. こうした法律上の枠組みの下でも、自衛隊は、各種の支援活動を着実に積み重ね、我が国に対する期待と信頼は高まっている。安全保障環境が更に大きく変化する中で、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、国際社会の平和と安定のために、自衛隊が幅広い支援活動で十分に役割を果たすことができるようにすることが必要である。また、このような活動をこれまで以上に支障なくできるようにすることは、我が国の平和及び安全の確保の観点からも極めて重要である。

  3. 政府としては、いわゆる「武力の行使との一体化」論それ自体は前提とした上で、その議論の積み重ねを踏まえつつ、これまでの自衛隊の活動の実経験、国際連合の集団安全保障措置の実態等を勘案して、従来の「後方地域」あるいはいわゆる「非戦闘地域」といった自衛隊が活動する範囲をおよそ一体化の問題が生じない地域に一律に区切る枠組みではなく、他国が「現に戦闘行為を行っている現場」ではない場所で実施する補給、輸送などの我が国の支援活動については、当該他国の「武力の行使と一体化」するものではないという認識を基本とした以下の考え方に立って、我が国の安全の確保や国際社会の平和と安定のために活動する他国軍隊に対して、必要な支援活動を実施できるようにするための法整備を進めることとする。
    (10)(ア)我が国の支援対象となる他国軍隊が「現に戦闘行為を行っている現場」では、支援活動は実施しない。
    (11)(イ)仮に、状況変化により、我が国が支援活動を実施している場所が「現に戦闘行為を行っている現場」となる場合には、直ちにそこで実施している支援活動を休止又は中断する。
     

(2)国際的な平和協力活動に伴う武器使用

  1. 我が国は、これまで必要な法整備を行い、過去20年以上にわたり、国際的な平和協力活動を実施してきた。その中で、いわゆる「駆け付け警護」に伴う武器使用や「任務遂行のための武器使用」については、これを「国家又は国家に準ずる組織」に対して行った場合には、憲法第9条が禁ずる「武力の行使」に該当するおそれがあることから、国際的な平和協力活動に従事する自衛官の武器使用権限はいわゆる自己保存型と武器等防護に限定してきた。

  2. 我が国としては、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、国際社会の平和と安定のために一層取り組んでいく必要があり、そのために、国際連合平和維持活動(PKO)などの国際的な平和協力活動に十分かつ積極的に参加できることが重要である。また、自国領域内に所在する外国人の保護は、国際法上、当該領域国の義務であるが、(12)多くの日本人が海外で活躍し、テロなどの緊急事態に巻き込まれる可能性がある中で、当該領域国の受入れ同意がある場合には、武器使用を伴う在外邦人の救出についても対応できるようにする必要がある。

  3. 以上を踏まえ、我が国として、「国家又は国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場しないことを確保した上で、国際連合平和維持活動などの「武力の行使」を伴わない国際的な平和協力活動におけるいわゆる「駆け付け警護」に伴う武器使用及び「任務遂行のための武器使用」のほか、領域国の同意に基づく邦人救出などの「武力の行使」を伴わない警察的な活動ができるよう、以下の考え方を基本として、法整備を進めることとする。
    (ア)国際連合平和維持活動等については、PKO参加5原則の枠組みの下で、「当該活動が行われる地域の属する国の同意」及び「紛争当事者の当該活動が行われることについての同意」が必要とされており、受入れ同意をしている紛争当事者以外の「国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場することは基本的にないと考えられる。このことは、過去20年以上にわたる我が国の国際連合平和維持活動等の経験からも裏付けられる。近年の国際連合平和維持活動において重要な任務と位置付けられている住民保護などの治安の維持を任務とする場合を含め、任務の遂行に際して、自己保存及び武器等防護を超える武器使用が見込まれる場合には、特に、その活動の性格上、紛争当事者の受入れ同意が安定的に維持されていることが必要である。
    (イ)自衛隊の部隊が、領域国政府の同意に基づき、当該領域国における邦人救出などの「武力の行使」を伴わない警察的な活動を行う場合には、領域国政府の同意が及ぶ範囲、すなわち、その領域において権力が維持されている範囲で活動することは当然であり、これは、その範囲においては「国家に準ずる組織」は存在していないということを意味する。
    (ウ)受入れ同意が安定的に維持されているかや領域国政府の同意が及ぶ範囲等については、国家安全保障会議における審議等に基づき、内閣として判断する。
    (エ)なお、これらの活動における武器使用については、警察比例の原則に類似した厳格な比例原則が働くという内在的制約がある。
     

3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置

  1. 我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。

  2. (13)憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。
    この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。

  3. (14)これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。
    我が国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに、これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を採ることは当然であるが、それでもなお我が国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要がある。
    こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。

  4. (15)我が国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。

  5. また、憲法上「武力の行使」が許容されるとしても、それが国民の命と平和な暮らしを守るためのものである以上、民主的統制の確保が求められることは当然である。政府としては、我が国ではなく他国に対して武力攻撃が発生した場合に、憲法上許容される「武力の行使」を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続と同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記することとする。
     

4 今後の国内法整備の進め方

これらの活動を自衛隊が実施するに当たっては、国家安全保障会議における審議等に基づき、内閣として決定を行うこととする。こうした手続を含めて、実際に自衛隊が活動を実施できるようにするためには、根拠となる国内法が必要となる。政府として、以上述べた基本方針の下、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とする法案の作成作業を開始することとし、十分な検討を行い、準備ができ次第、国会に提出し、国会における御審議を頂くこととする。

 

=====憲法、抜粋=====

(前文)

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

(第13条)
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

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