2014年9月7日                         9月8日 畏友 河野定男氏の見解
教皇フランシスコの訪日問題(五)
「イスラム国」に対する教皇庁の姿勢

 

もう2~3回、日本のカトリック教会・司教団への批判を書いて、それをもって、その種の文章を個人的に書くことは止めます。何かに名を連ねることはあるでしょうが、個人としては止めます。私の思索範囲から除外します。自分の心の平安を乱すだけで、私にとって何の益もないからです。

考えてみれば、その思いに至った仲間が、私の周囲に多くいます。耳を塞ぐのです。あるいは、教会へ来なくなるのです。私もその段階になりました。(カトリック教会を離れる積りは全くありません。素晴らしい神父様方を何人も知っています。教会へ通うようになって、私は自分が変わったと思います。一番の証人は妻で、冷静に私を観察していて、私の受洗一年後に、「私を教会へ連れて行ってくれ」と言いました。私から妻を誘ったことはありません。そして私と同じY神父様から翌年洗礼を受けました。私が変わったことを、妻が認めたのです。カトリックの教えを齧ったことで、何か変化があったのでしょう。敬虔になったとも謙虚になったとも全く思いませんが)。

しかしその私が、正平協や司教団の声明文をその前に知っていたら、カトリック教会へ近づくことは無かったでしょう。教会にとっては布教の機会喪失であり、個人にとっては人生の、おそらくは善き方向への転換機会を、失わせるのです。

私がどうしても分からないのは、色々な考えの違いがあり、また違いがあって当然の問題について、何故司教たちが、一方的な考えを述べるのか、ということです。教義・教理については、当然のことです。しかし社会的政治的な問題は相対的なものであり、信徒の自由です。教会の基本的な教えは、くどくそのことを諭しています。司教が一方的な意見を述べることは、異なる意見を持つ信徒への圧迫であり、排除です。それは、『宣教・司牧』という根本的な役目に反することです。未信徒を遠ざけ、信徒には分裂をもたらす。
しかし、いくら言っても、分からないでしょう。本質的な役目よりも、自分が気持ち良くなることを大切にするのです。正義の味方、平和をもたらす者、という錯覚は、楽しいのでしょう。

私は、人を批判する時は、基本的に「個人」で、自分を明らかにして、と思っています。私は覆面で闇討ちはしないのです。しかしもうしんどくなりました。というより、アホらしくなりました。あと、2~3回でオシマイです。

さて、

2014年3月31日付 「カトリック新聞」(4256号)に、
『教皇 機内で記者会見 イラク、中国問題など発言』
という記事があります。
「教皇フランシスコは8月18日、韓国訪問からローマへ戻る特別機中で、約1時間にわたる記者会見を開いた」
ということです。

全文は上のリンク先を参照して頂くとして、本文テーマに必要な箇所を抜書きします。

教皇フランシスコは、イラク北部の過激派「イスラム国」のような不法な攻撃者を止めるための武力行使は正当化できるかもしれないが、米軍による過激派への空爆は支持せず、そうした人道的介入はある国家が単独で決めるべきではないと言明した。

駐イラク教皇庁大使のジョルジヨ・リングア大司教は8月11日、バチカン放送から米軍による空爆についての質問を受け、「これは必要なことだった。さもなければ(「イスラム国」を)止めることはできなかった」と笞えていた。リングア大司教の発言は驚きを誘った。聖ヨハネ・パウロ2世の教皇職以来、バチカンは人道支援目的の軍事介入は国際社会の支持を伴うべきだと強調してきたからだ。

教皇フランシスコは機中で、同行記者から空爆を支持するかについて聞かれ、次のように答えた。

不法な攻撃がある場合のこうした事例について、私か言えるのは不法な攻撃者を止めること自体は正当だということです。私は 『止める』という動詞を強調します。私は爆撃しろ、戦争をしろとは言いません。攻撃者を止めるということだけです。攻撃者をどのようにして止めればよいかという手段について判断するべきです。不法な攻撃者を止めることは正当ですが、それでもなお私たちは思い出す必要があります。何度となく、こうした不法な攻撃者を止めるという口実を使って、強大な国家が他の諸国を支配し、実際には征服戦争をしてきたのです。単独の国家がこれを止める方法、不法な攻撃者を止める方法を決めることはできません。第2次世界大戦後、国際連合という考え方が生まれました。そうした場で私たちは話し合うべきです。『不法な攻撃者がいるのか? そのようだ。私たちはどのようにして攻撃者を止めようか?』 ただそれだけです。それ以上ではありません」教皇は、自身が最近行った国連への訴えで、「イラクで今、起きている人道的悲劇を終わらせるため行動を起こす」よう呼び掛けたのは、バチカン高官たちと共に検討した対応策の一つだったと語った。


カトリック新聞がこのように伝えるのは意外ですが、編集のしようも無かったのでしょう。上の記事で分かることは、教皇フランシスコは、空爆=武力行使を、否定していない、ということです。米国“単独”であることを不支持な訳です。

「聖ヨハネ・パウロ2世の教皇職以来、バチカンは人道支援目的の軍事介入は国際社会の支持を伴うべきだと強調してきたからだ。」
とも記されています。“平和の使徒”聖ヨハネ・パウロ2世も、国際社会の支持を伴う人道支援目的の軍事介入、を否定していないのです。そのことは、後尾で紹介する、ドイツ「Frankfurter Allgemeine」の記事にも符合します。この記事を紹介して下さった方は、
「ボスニアの戦争の際にも、当時のヨハネ・パウロ2世は、[たとえ武力を行使してでも]という発言をなさっています」
と教示して下さいました。私はこのご発言の原典を知りませんが、カトリック新聞記事に合致すると思います。


8月17日付カトリック新聞に、『教皇訪日を再要請』という記事があります。「日本カトリック司教協議会々長・岡田武夫大司教と、副会長・高見三明大司教が、7月28日、揃ってバチカンを訪れ、教皇の訪日を願う司教団の書簡を、教皇の秘書に届けた」というものです。教皇が夏休みで不在なことは分かっているはずですが、アポもとらないのでしょうか。それとも留守を狙ったのでしょうか。

本件については、司教協議会のサイトにも、カトリック新聞オンラインにも、掲載されていません。(私は発見出来ていません)。
更に不思議なことは、「教皇訪日」再要請の『司教団書簡』がどのようなものか、カトリック新聞の本紙を含め、まったく発表されていないことです。先日の、「集団的自衛権閣議決定」に対する即日の反応と比較しても、不可解なことです。今回の、日本のカトリック司教団による『教皇訪日要請書簡』は、きわめて重要なものですから、早く公表すべきです。何故、重要か。それは安倍首相から教皇に直接訪日要請があり、教皇が前向きな対応をした、その後であることです。経過は下のようになります。

6月17日付拙文の再録になりますが、時系列で書けば、

  • 2013年10月、日本の司教団から「教皇の訪日をお願いする書簡」の駐日教皇庁大使への届け、(返事なし)、

  • 2014年6月6日、安倍首相のフランシスコ教皇への訪日招請、教皇は「前向きな返答をした」。

  • 翌6月7日、岡田大司教のコメント、

  • 7月28日、二人の大司教による教皇秘書への、『教皇訪日再要請 司教団書簡』の手渡し、

ということになります。

7月28日に教皇秘書へ届けた『教皇訪日再要請 司教団書簡』が何故“重要”かと言いますと、
1) 安倍首相の招請に対しては前向きな返事をし、ソウルより帰路の機中でも、記者団にそれを語っている。
2) 日本の司教団に対しては、無反応、である。
3) 日本の司教団と安倍首相は「敵対関係」にある。安倍さんにその意識は無いでしょうが、司教団はほとんど安倍さんを仇敵と思っているでしょう。

ある家にご主人から招かれたとします。その前に奥さんからも招かれていました。奥さんへ返事をしない間に、ご主人へは前向きの返事をしました。それを踏まえて奥さんから連絡がありました。
「主人のお招きを、検討して頂けるとのことで、ありがとうございます。主人共々わたくしも子供たちも、大歓迎致します。多忙は重々存じ上げておりますが、是非ともお越し下さいませ。」
これならば、返事もしやすいです。

普通は、こうなりますね。世の常識というものです。礼儀といいます。

しかしながら、(昨年10月4日付の訪日要請文は安倍さんによる招聘前ですから致し方ないとして)、今年6月7日付教皇訪日についてのコメントに併せると、教皇が受けられないと思えるものが2点あります。それは既に前に書きましたので繰り返しませんが、「絶対平和主義(憲法九条)」と、「原発即時廃止」の問題です。その部分のみを下に抜書きします。

「日本の教会はあらためて、人間の原子力利用の非倫理性、非福音的、非人間性を学びつつ、また原発事故により引き起こされる世界的な環境汚染への責任も痛感しています。2011年に日本司教団は即時原発廃止を訴えました。」(2013.10.04)

「人間の傲慢さにより原発事故が起こったのだとわたしたちは考え、日本カトリック司教協議会は原発廃止の運動を進めております。わたしたちのこの働きをフランシスコ教皇が祝福し、この趣旨を世界に伝えてくださることを期待しております。」(2014.06.07)

「ご承知のように、ノーベル平和賞候補に憲法9条を保持する日本国民がノミネートされております。フランシスコ教皇には、そのような素晴らしい憲法を持ち、戦争放棄をこれからも世界に発信し続ける日本国民を力づけ、励ましていただきたい、とわたしたちは願っています。また、33年前に広島と長崎を訪れた聖ヨハネ・パウロ2世教皇が行ったように、フランシスコ教皇にも、戦争の悲劇を繰り返さないことを訴えるメッセージを全世界に発信していただきたい、と願っています。(2014.06.07)

これらの要望に教皇が応じられない理由は、前に書きました。それは同時に、安倍首相の政策にも反するものです。つまり日本の司教団は、招待した主人の考えとまったく異なる立場を客に求める、奥方のようなものです。相手は、どう返事すれば良いか、困りますね。(困るというのは穏やかな表現です。自分を招待客の立場において、そのような奥さんをどう評価するか、想像してみて下さい)。司教団は分かってやっていると思います。だからそれは、安倍首相による教皇招聘への妨害です。安倍首相・日本政府から招かれた教皇が、安倍さんの政策を批判することは、普通にはあり得ません。まして安倍さんの政策はカトリックの教義に反していません。教皇が安倍さんを批判しないことは、安倍さんに徹底的に敵対する日本のカトリック(あえて一部のといいます)にとって、大きな打撃になります。

この辺りの状況が、今回の『教皇訪日再要請 司教団書簡』から読み取れるでしょうし、発表が遅れている原因も、そこにあると思います。

 

末尾ですが、ドイツ「Frankfurter Allgemeine」に次のような記事があります。このページはドイツの知人が教えて呉れました。(カトリック信徒です)。翻訳は私の娘で、全文を訳してあるのですが、皆様にお読み頂く自信はないと言っております。その程度であることを前提に、お読み下さい。

末尾部分のみアップします。全文はこちらです。


Vor seinem Abflug nach Südkorea hatte der Papst UN-Generalsekretär Ban Ki-moon an die UN-Charta erinnert und „konkrete Handlungen“ der Solidarität gefordert, um die zu schützen, die „von Gewalt betroffen und bedroht sind“. Die UN müsse in Übereinstimmung mit der UN-Charta handeln, um die humanitäre Katastrophe zu beenden, fordert Papst Franziskus. Zu den konkreten Handlungen der Solidarität zählt der Papst den Schutz vor Gewalt und Vertreibung sowie Hilfe für die Vertriebenen, denen auch eine sichere Heimkehr garantiert werden müsse. Viele wollen aus Furcht aber nur unter internationalem Schutz in ihre Heimat zurückkehren.

韓国へ出発する前、教皇は潘基文事務総長に国連憲章を思い起こさせ、「暴力に見舞われ、脅かされている」人々を守るための一致団結した「具体的な行動」を求めた。国連は人類の破滅を終わらせるため、国連憲章と合致した行動を教皇フランシスコは求めている。教皇は具体的な連帯行動に暴力と追放からの保護、追放された者への救援を加えている。追われた者への救援には確実な帰郷も保証されなければならない。しかし多くの者は恐れから、国際的援護のもとでのみ帰還したいと思っている。

Bisher hatte der Papst stets nur über diplomatische Interventionen gesprochen. Den Krieg mit der Waffe hatte er stets abgelehnt und auch kürzlich den Waffenhandel in Kriegsgebieten. Sein UN-Brief lässt nun auch an militärische Defensiveinsätze denken. Der Vatikanvertreter bei den UN-Organisationen in Genf, Erzbischof Silvano Maria Tomasi, sprach sich schon für ein bewaffnetes Eingreifen aus; und der derzeitige Nuntius in Bagdad, Erzbischof Giorgio Lingua, soll Filoni davon überzeugt haben, dass diesmal selbst der Vatikan für den Waffengang eintreten müsse.

これまで教皇は常に外交的介入についてのみ発言していた。武力による戦争に彼は常に反対し、また最近は戦闘地域における武器取引も反対していた。彼の国連宛書簡は軍による防衛作戦についても考えさせている。ジュネーブにある国連事務局のバチカン代表シルヴァーノ・マリア・トマシ大司教は武力介入に賛成する意見をすでに述べた。そして現在の駐バグダッド教皇大使ジョルジオ・リングア大司教は、今回はバチカン自らが戦を支持しなければならないと、イラクに派遣されたフィローニ前教皇大使を納得させたそうである。

 

Frankfurter Allgemeine ; Jörg Bremer氏の記事は、無根拠ではないでしょうが、教皇の国連・潘基文事務総長宛書簡内容は、ヴァチカンの公式文書を見たいと思います。(朝日新聞の例もあり、鵜呑みは危険です)。しかし冒頭に紹介したカトリック新聞の記事とも重なっており、教皇庁が、緊迫・緊張の中にあることは間違いないと思います。

そこへ日本の大司教様がお二人、
「ご承知のように、ノーベル平和賞候補に憲法9条を保持する日本国民がノミネートされております。(6/7付 岡田大司教のコメント)」
というような、浮世離れした『訪日再要請書簡』(6/7付コメントが踏襲されたならば)を届けに、教皇ご不在を承知で、ヴァチカンへ赴いたようです。

『書簡』がどのような内容なのか、強い興味を持ちます。

[資料]国連憲章(抜粋)

 

 

 

 

2014年9月8日、夙川教会の河野定男氏よりご意見を頂きました。文中野村へのほめ言葉らしきものがありますが、挨拶の一つで無視して下さい。私は原文の改変(編集。マスコミがよくやる)をしない主義ですので、全体をそのままコピーします。


From: 河野定男(夙川教会)
Date: Mon, 8 Sep 2014 12:05:25 +0900

野村さん、
河野です。

野村論文「教皇フランシスコ訪日問題(五)を拝読。
いつものことながら、野村さんの議論の進め方と文章力に改めて敬服させられました。

わたしは論文の主旨におおいに賛同する立場ですが、次の一点については異論があります。

《今年6月7日付教皇訪日についてのコメントには、教皇が受けられないと思えるものが2点あります。それは既に前に書きましたので繰り返しませんが、「絶対平和主義(憲法九条)」と、「原発即時廃止」の問題です。》

野村さんの上記文章自体は、その通りだとは思いますが、6月7日付の岡田大司教コメントは、「(日本の)教会内外のかたがた」に向けたものであって、なぜ教皇は日本の司教団の訪日招請に返事しないか(返事できない)の問題は、昨年10月4日の司教団の招請状のみを対象として批判すべきである、とわたしは思います。10月4日の招請状には、「絶対平和主義(憲法九条)」の問題は触れていません。

2013年10月4日の招請状は、招請理由を
1)東日本大震災からの復興に寄り添う、
2)日本の教会の再宣教150年と信徒発見
3)被爆地日本の平和の歩み、
の三つの項目にわけて説明しています。

教皇様はこの日本の司教団から招請状を丹念に読んでおられると推測しています。その証拠は本年1月15日の一般謁見演説です。この演説の結びで、1855年に発見された、司祭なしで250年も正統信仰を守り続けた潜伏キリシタンに触れ、これを称賛されています。これは明らかに日本司教団の招請状(の理由2)を「読んだよ」というメッセージです。

にもかかわず、教皇さまから返事は来ていない。その理由は、野村論文でも引用されている招請理由3)の被爆地日本の平和の歩み、の第2文節の次の一文です。

「日本の教会はあらためて、人間の原子力利用の非倫理性、非福音的、非人間性を学びつつ、また原発事故により引き起こされる世界的な環境汚染への責任も痛感しています。2011年に日本司教団は即時原発廃止を訴えました。」

この文章は招請理由3)の「の被爆地日本の平和の歩み」第1文節に述べられている広島、長崎に投下された原爆問題と、原子力の平和利用である原発問題を意識的に巧みに混同させ、「人間の原子力利用の」非倫理性、非福音的、非人間性を訴えています。

これは、原子力発電そのものも「非福音的」行為であると断罪しているわけですから、このような内容を含む招請状に応じて教皇が来日したとなれば、大問題です。教皇ピオ12世は、原子力の平和利用を積極的に支持され、バチカンは原子力の平和利用の機関であるIAEAの設立(1957年)当初からの加盟国となっています。(野村さんも、この点につき、以前の論文で正しく触れらています)。

フランシスコ教皇が、このようなバチカンの立場を覆すような行動がとれるわけがありません。

教皇が日本の司教団の招請状に返事しない(できない)のは、この原発問題のみに絞られていると、わたしは考えています。

この意味で、7月28日に二人の大司教によって教皇秘書へ手渡された『教皇訪日再要請司教団書簡』の内容が速やかに公表されるべきと考えます。

[河野定男氏の意見、終わり]

 

 

(以下、資料)[国連憲章より抜粋]

第41条〔非軍事的措置〕
安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。

第42条〔軍事的措置〕
安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

第43条〔特別協定〕
1. 国際の平和及び安全の維持に貢献するため、すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ一つ又は二つ以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。この便益には、通過の権利が含まれる。
2. 前記の協定は、兵力の数及び種類、その出動準備程度及び一般的配置並びに提供されるべき便益及び援助の性質を規定する。
3. 前記の協定は、安全保障理事会の発議によって、なるべくすみやかに交渉する。この協定は、安全保障理事会と加盟国群との間に締結され、且つ、署名国によって各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。

第44条〔非理事国の参加〕
安全保障理事会は、兵力を用いることに決定したときは、理事会に代表されていない加盟国に対して第43条に基いて負った義務の履行として兵力を提供するように要請する前に、その加盟国が希望すれば、その加盟国の兵力中の割当部隊の使用に関する安全保障理事会の決定に参加するようにその加盟国を勧誘しなければならない。

第45条〔空軍割当部隊〕
国際連合が緊急の軍事措置をとることができるようにするために、加盟国は、合同の国際的強制行動のため国内空軍割当部隊を直ちに利用に供することができるように保持しなければならない。これらの割当部隊の数量及び出動準備程度並びにその合同行動の計画は、第43条に掲げる一又は二以上の特別協定の定める範囲内で、軍事参謀委員会の援助を得て安全保障理事会が決定する。

第46条〔兵力の使用計画〕
兵力の使用計画は、軍事参謀委員会の援助を得て安全保障理事会が作成する。

第49条〔相互的援助〕
国際連合加盟国は、安全保障理事会が決定した措置を履行するに当って、共同して相互援助を与えなければならない。

第51条〔自衛権〕
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国が措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

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